石油と日本―苦難と挫折の資源外交史―
1,540円(税込)
発売日:2015/05/29
- 書籍
- 電子書籍あり
無資源国・日本が背負った宿命の150年――果たしてそこに理念はあったのか。
近代より続く『石油の時代』にあって、石油を持たない国・日本は 「資源外交」に身を投じるしかなかった。そこは国同士がエゴを剥き出しに衝突し、謀略を巡らす現場。莫大な時間と金、時には人の命も費やして、いったいこの国は何を得てきたのか? 日本の行方を左右した交渉、開発、投資――その僅かな栄光と数多の蹉跌。
第一章 日本と石油の出会い
日本の石油史年表
書誌情報
読み仮名 | セキユトニッポンクナントザセツノシゲンガイコウシ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 296ページ |
ISBN | 978-4-10-603768-9 |
C-CODE | 0331 |
ジャンル | 産業研究 |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,232円 |
電子書籍 配信開始日 | 2015/11/20 |
書評
国際政治に翻弄される資源外交
石油は産業の生命線である。国防上も不可欠である。その石油が日本にはない。日本は近代国家として発足すると同時に、世界に石油を求めた。本書は日本がそのために如何に苦闘したかを綴った物語であり、日本の資源外交の失敗のクロノロジーでもある。
戦前日本はソ連領北樺太油田の利権を獲得、開発したが、ソ連の圧力で生産操業停止に追い込まれた。やがて日本との戦争に参戦するソ連が相手だったのである。
本書は日本の「資源外交」の最大の失策は太平洋戦争であったという。太平洋戦争は米国の対日石油禁輸で始まり、蘭印(オランダ領東インド)に石油を求めたが、戦争遂行には役に立たなかった。
戦後日本の石油政策はゼロからの再出発となる。その中で苦難にめげずイランから石油を運び続けた出光佐三と、サウジアラビアのカフジ油田の開発に成功した山下太郎は、日本の資源外交の歴史で貴重な成功の物語である。
第一次石油ショックの折、田中角栄が外交手段を総動員、OAPECに日本を「友好国」と認めさせ石油を確保したのも、資源外交の成功例と言えよう。
しかしその後は失敗例が続き、本書の最後の三章はその代表例を扱っている。まずイラクに対する1兆円強の投資が砂漠に消えた話である。田中角栄政権は、イラクのインフラ関連プロジェクトに1兆円強の資本を投下し、石油を確保しようとしたが、イラク戦争後イラクに対する債権を放棄せざるを得ず、ならなかった。
次はアラビア石油の利権延長問題である。利権延長交渉の過程でサウジ側は、20億ドル相当の鉱山鉄道建設プロジェクトという無理な要求を提示し、利権の延長はならなかった。
最後にイランのアザデガン油田がある。日本は世界第二位のこの大油田の優先開発交渉権を得、正式契約にこぎつけたが、イランに強硬派のアフマディネジャド大統領が登場し核開発を加速化させた結果、イランに対する制裁が強化され、欧州企業同様日本も撤退せざるを得なかった。
日本の資源外交の歴史を紐どいてみると、国際政治に翻弄された実態が浮かび上がってくる。太平洋戦争がその象徴であった。戦後、イラクに対する1兆円の債権が砂漠に消えたのも、アザデガン油田が蹉跌したのもそうであった。この二つはいずれも中東を舞台とし、いずれも米国に挑戦したイラクのサダム・フセインの政治とイランの核開発がもたらしたものである。本書は日本の資源外交でアメリカに逆らった方針がことごとく“修正を余儀なくされた”と述べ、それを「ワシントン・リスク」と言っている。しかしそれはアメリカが国際政治の主導権を握っていることの反映であり、国際政治の厳しい現実として、日本に選択肢はなかった。
資源外交の失敗の歴史から何を教訓として学ぶべきであろうか。一つは筆者の言うとおり、自主開発比率を高める国家戦略を立てることである。確かに日本は戦後、二度の石油危機に見舞われたとはいえ、全体としてみれば必要な量の石油は入手できた。石油は金さえ出せばマーケットから買える「コモディティ」(市況商品)だった。しかしその状態は何時変わるか分からない。有事に備えるのが安全保障である。今後の日本にとって石油、資源の安全保障を確保するための国家戦略は、筆者の言うように不可欠であろう。
いま一つの教訓は国際政治を見る目を鍛えることである。日本の資源外交は国際政治に翻弄され続けた。今後の資源外交では、国際政治の動向と、特にその中で米国の政策を見極めることが求められる。
私はサウジアラビア大使時代以来、筆者に何度となく会う機会があり、そのたびに筆者の石油に対する熱い思いを聞かされた。本書はその熱い思いの集大成である。
本書には日本の石油の歴史に埋もれた数多くの物語が語られている。その中心は人である。それは戦前サウジアラビアで鉱区を探した石油技師の三土知芳、第一次石油ショックの際の官房長官談話のレールを敷いた元外交官の森本圭市、メキシコで石油をかき集めた都留競や、南方戦線に散った多くの石油部隊の人々であった。彼らは日本の資源外交の裏舞台でのドラマの主人公であった。本書は日本の石油開拓の専門書として貴重な資料であるのみならず、隠れたドラマに焦点を当てた興味尽きない物語でもある。
(おおた・ひろし 岡崎研究所理事長、元駐サウジアラビア大使)
波 2015年6月号より
担当編集者のひとこと
ニュースの深層は「石油史」にある!
2015年7月14日、イランが核開発協定に合意したというニュースが世界を駆け巡りました。そして翌8月、日本の経済産業副大臣はテヘランに飛び、イランの工業相に加え、どうにか石油相とも会い「経済制裁後」についての話し合いを持ちましたが、この一連の出来事を著者の中嶋猪久生氏は半ば憤り、半ばあきれて見ていました。
「あまりに動きが緩慢すぎる。ドイツ、フランス、イタリアといった国々はすでにイランの大統領とも会って、具体的交渉にも入っています」
中嶋氏がこう嘆くのも無理はありません。かつて日本はイランに「アザデガン油田」という超巨大油田の権益を持っていました。長年の友好関係と外交交渉の末、アメリカやフランスを押しのけて2004年にようやく開発権を獲得したものです。が、結局はアメリカのイラン制裁発動により、放棄を余儀なくされました。もしあの油田を持っていたなら……と思わず歴史の“IF”を語りたくなるほど弩級の油田です。なのに今日のイラン関連の報道を見ても、アザデガンの“ア”の字も出てきません。いや、アザデガンだけではありません。日本は以前、イラクやサウジアラビアにも石油の権益や開発権を持っていました。これらはみな先人たちが努力と冒険を重ねて得たものでしたが、今はほとんど日本の手から離れてしまっています。
中嶋氏はかつてオイルマネーの最前線で活躍するビジネスマンでした。石油ビジネスの現場に立ち続け、こうした権益が失われてゆく様を、幾度となく見てきました。その歯噛みする経験を、冷静な分析と併せてぶつけたのが本書『石油と日本―苦難と挫折の資源外交史―』です。
日本が石油産業に出会った明治時代に遡って資源戦略を丹念に見直した時、この国の先人たちが意外なまでに交渉や石油開発に秀でていたことがわかります。ただ一方で権益を失う時は一瞬です。わずかな外交判断ミスや日和見の態度、その結果として先の大戦も経験しています。
石油のみならずエネルギー全般で見た時、昔も今も日本は資源後進国と言わざるを得ません。にもかかわらず、どうして資源交渉では後手にまわり、しばしば失敗を繰り返してしまうのか……その答えはもちろん本書に書いてありますが、何よりも今、世界で起こっていること――揺れ動く中東情勢、中国の台頭、アメリカの失速――そこで日本がどのように振る舞うべきか、その指針も本書は示しています。なぜなら、すべては歴史の中で、一度ならずとも石油を通じて対峙してきた相手だからです。
石油で読み解く“近現代”とその延長線上にある“現在”。昨日見た、あのニュースの深層は、そう「石油史」の中にあるのです。
2015/05/29
著者プロフィール
中嶋猪久生
ナカジマ・イクオ
1947年三重県四日市市生まれ。一橋大学経済学部卒。東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。国際部(国際金融・企画)、国際審査部、バハレーン駐在事務所長等歴任。在職中、外務省国連局(兼外務省機能強化対策チームメンバー)等へ出向。その他、エネルギー総合推進委員会GCC諸国動向調査委員会委員委嘱、明治学院大学国際学部非常勤講師等を経て、現在、日本エネルギー経済研究所中東研究センター外部研究員、関西大学非常勤講師(国際金融論)。著書に『資源外交連戦連敗――アザデガン油田の蹉跌』。