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宮沢賢治 デクノボーの叡知

今福龍太/著

2,200円(税込)

発売日:2019/09/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

愚者の「助け」だけがもたらす希望――。

〈土偶坊(デクノボー) ワレワレ カウイフ モノニナリタイ〉――殆どの作品を「未完」の状態で残した宮沢賢治。その手稿が示す揺らぎと可能性を丹念に追うことで、賢治世界=イーハトーブのまったく新しい姿が見えてきた。石、宇宙、火山、動物、風等に込められた創造原理を解き明かし、いまを生きる私たちの倫理を問う、画期的批評。

  • 受賞
    第30回 宮沢賢治賞
目次
まえがき
序―人は火山礫とともに生きてきた
I―太平洋にタイタンは要らない 〈海〉について
「初めての海」とタイタニック号/「パシフィック」の謎/「太平洋」をめぐる幻想地理学/海の原理と山の原理/マゼラン星雲と銀河鉄道
II―模倣ミメーシスの悦び 〈動物〉について
森の掟を体現する「熊」/模倣と交感による野生との一体化/前-言語的な世界のありかた/身体的ミメーシスの技法/「鷹」を書く井上有一/模倣の森へ
III―風聞と空耳 〈風〉について
賢治世界の創世の風景/山男と風の恩寵/風童と“存在の深淵”からの声/歌のはじまり/インドラの綱と風の太鼓
IV―天と内臓をむすぶもの 〈石について〉
石牟礼道子と石のまなざし/賢治の花崗岩は世界の基盤/「白いみかげ」と内臓感覚/石に刻まれる生命記憶/空は石である/石たちの呟きを聴く賢治/石に選ばれた人々
V―愚者たちの希望 〈デクノボー〉について
理想自我としての「虔十」/デクノボーという未知の思想/「木偶のばう」と「デクノボー」の距離/「幼年期」と変身の夢/愚者の助けだけが本当の助けである/月並みの知恵から離れて
VI―内なるレンブラント光線 〈心象スケッチ〉について
イーハトヴの主食はパンである/「心象スケッチ」とはなにか/生成変化する「ひかり」のメカニズム/あらゆることが可能な小宇宙/ひかりがお菓子になるとき
VII―方角の旅人たち 〈北〉について
ことばと思考の極北/渡り鳥と北上川/永遠の未踏地「ベーリング」/「オホーツク挽歌」の旅/清教徒とインディアンが出会う場所
VIII―終わらない植民地コロニー 〈未完〉について
〈未完〉という創造原理/サガレンまたは永遠の闘争/経済と無垢のはざまに佇む象/オーウェルと植民地主義の恥辱/誰が「川へはひつちやいけない」のか/人間存在の本質的な「入植者」性
IX―可有郷かゆうきょうからの通信 〈ユートピア〉について
教えることの深淵に現れる青黝い世界/「農民芸術概論綱要」とウィリアム・モリス/「芸術としての労働」という夢/コミューン思想の興隆のなかで/生のユートピアとことばのユートピア
X―血、虹、半影の夢 〈死〉について
賢治が追い求めた「万象同帰」/死の床に吹く「すきとほった風」/個をのりこえて「半影」の世界へ/究極の無垢に彩られた双子の星たち
あとがき
参考文献

書誌情報

読み仮名 ミヤザワケンジデクノボーノエイチ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 400ページ
ISBN 978-4-10-603846-4
C-CODE 0395
ジャンル ノンフィクション
定価 2,200円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2020/03/13

書評

私有されない希望

藤原辰史

 宮沢賢治は、できるだけ遠いところから眺めていたい、と思ってきた。彼の自己犠牲や純粋志向は憧れるけれどちょっとついていけない、と感じていた。しかも、彼の思想は、私の研究を内部から貫き続けてきた。ドイツや日本などの国を戦争へと導く土や食の思想と宮沢賢治は火花を散らすほど接近していく。そして、汲めども尽きぬ彼の言葉の泉から、戦後の引用者たちは公然あるいは隠然と芳醇な水を盗み、干上がった己の思想の土壌にその水を撒いている身振りが、やはり上記の歴史的条件ゆえに滑稽に映っていた。ほかならぬ私が彼の言葉を講義で取り上げるたびに、彼にすがっている自分を発見しては驚いていた。
 しかし、本書は、そんな私の宮沢賢治への凝り固まった警戒心を、熱のこもった文章でじんわりと溶かしつつある。本書を咀嚼することは、彼の作品が張り巡らす結界に自分があまりにも教条的に反応してきたかもしれない、と再考を促すものであった。
 海、動物、風、石、デクノボー、心象スケッチ、北(という方角)、未完(あるいは植民地)、ユートピア、死という十の言葉を頼りに、本書は、井上有一、ヴァルター・ベンヤミン、フランツ・カフカ、石牟礼道子、ジョージ・オーウェル、ウィリアム・モリス、ロジェ・カイヨワ、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、オクタビオ・パスなどの作品に大胆に道草をしながら、賢治の書く「希望」を「私有」から解放するべく冒険を試みた。化学肥料と品種改良の農業への浸透の時代に近代農学を学んでいた賢治が、「近代」や「市場」と、本書で言及されるほど決然と対峙できていたのかは議論の余地があるだろうが、ただ、本書が、賢治に警戒心が解けない人間の心を揺るがせる発見に満ちていることは、何度強調してもしすぎることはないと思う。
 仕掛けに満ちた文章を読んでいると、どの章も、ツルハシを持って険しい山に行き鉱脈を発見するような喜びを追体験できる。本書の中でとくに私をそんな気持ちにさせたのはⅣ章「天と内臓をむすぶもの――〈石〉について」であった。シュールレアリストばりの意外な組み合わせを発見する、著者の興奮した息遣いが聞こえてくるようである。
 賢治は「石っこ賢さん」と呼ばれるほど石が好きだった、という。晩年は石灰石粉の販売に精を出すことはよく知られているし、何より作品に頻繁に登場する。童話「十力の金剛石」にある「りんだうの花は刻まれた天河石アマゾンストンと、打ちくだかれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀クリソコで出来てゐました。黄色な草穂はかゞやく猫睛石キャッツアイ……」という調子の文章を読むと、ああ賢治らしいと多くの読者は思うに違いない。しかも、「孤独と風童」という詩では「白いみかげの胃」というフレーズがあったり、「山火」という詩では鉱石が登場する文脈で「破けた肺」という言葉が突然入ってきたり、「春と修羅」には「れいろうの天の海には」「聖玻璃の風が行き交ひ」という石と密接に関係する表現もあったり。著者は、めまいがするような表現者たちのリレーの中で、花、海、空、そして内臓を賢治の作品の中で統合していく。それを可能にするものこそ石である。「石どもは年月の塊ぞ。年月というものは死なずに、ほれ、道子のそばで息をしとる」と父に言われ「寄る辺ない」気持ちになった石牟礼道子。「物のはじめの姿やかくれた原型」、例えば「四肢」「生身の筋肉」を石にみたロジェ・カイヨワ。石に人間の特性を与えて仕事をする石工の言葉を詩に用いたオクタビオ・パス。そして、再び、斜長石の医者が黒雲母の患者に「お気の毒ですが一万年は持ちません」と言い放つ賢治の作品に戻り、世界文学史に位置づけ直す。
 宇宙の秘密を静かに隠し持つ石に耳をすまし、空を眺め、海に入り、そこにわが内なる器官を感じる。すると、区切りがなくなり、輪郭がぼやけ、誰かのもの、という所有感覚からだんだんと離れる。著者のいう「デクノボー」あるいは「愚者」は、現世の計算勘定に疎いだけ、そして、未完成であることにうしろめたさがないだけで、石や花や空に内臓を接続する技に長けている。近代的人間概念から一旦離れ、人間を「余りに重苦しい重力の法則」から解き放ち、誰のものでもない非人称の「希望」を見いだすというリスクに満ちた冒険は、「デクノボー」という自己規定が冒険者に徹底される限りにおいて、豊かな鉱脈に達するかもしれない。そう本書は教えてくれる。

(ふじはら・たつし 歴史学者)
波 2019年10月号より

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著者プロフィール

今福龍太

イマフク・リュウタ

文化人類学者・批評家。1955年東京に生まれ湘南の海辺で育つ。1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より群島という地勢に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰する。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』『書物変身譚』『ハーフ・ブリード』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(読売文学賞)など多数。

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