予測学―未来はどこまで読めるのか―
1,320円(税込)
発売日:2020/08/26
- 書籍
- 電子書籍あり
私たちは、もはや「予測」や「予想」なしには生きていけない。
ウィルスの感染率、天気予報、地震・噴火、エスカレーター乗降時の無意識な動き、文字変換、カーナビや自動運転、株式市場、開票結果、世論調査、平均寿命、ガン患者の余命――社会は「予測」に満ち満ちている。スーパーコンピュータなど科学技術の進歩により、この傾向はどこまで進むのか。自然現象、社会現象など、あまたの「予測」を数理学者が読み解く。
〈そもそも地震の予測はできるのか〉〈30年以内の地震の確率〉
[深く知ろう(1)]数学的な補足 1.確率の基礎/2.確率的な独立/3.条件付きの確率/4.確率の分布
火山噴火の予測
天気の予測
[深く知ろう(2)]数学的な補足
豪雨の予測
自動運転に関する予測 〈少数派になるには〉
[深く知ろう(3)]数学的な補足
「がん」と余命の予測
人口と感染症の予測
〈人口の予測〉〈感染症の拡大の予測〉
[深く知ろう(4)]数学的な補足
犯人の予測
企業に関する予測
相手の判断を予測する
〈談合のジレンマ〉〈最後通牒ゲーム〉
政治の予測と世論調査
〈仮説の検定〉〈推定値のばらつき〉
〈ゴールドバッハの予想〉〈角谷の予想〉
物理学における予測
〈重力波の予測〉〈質量を生み出すメカニズムの予測〉
予測と確率
〈トレンドの予測〉〈出会いの予測〉
確実であっても予測できない
予測のしにくさを活用した暗号
[深く知ろう(5)]公開鍵暗号についての補足
暗証番号の予測
機械学習について
次の一手を予測する
予測変換
予測と遺伝
予測と感動
予測と知性
予測と意識
書誌情報
読み仮名 | ヨソクガクミライハドコマデヨメルノカ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 208ページ |
ISBN | 978-4-10-603857-0 |
C-CODE | 0341 |
ジャンル | サイエンス・テクノロジー |
定価 | 1,320円 |
電子書籍 価格 | 1,320円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/08/26 |
書評
リスクを避けるための本能
予測すること――それは科学者の夢であり、ビジネスマンの望みでもある。そしてこの能力に長けた人が社長に多くいたり、恋愛の達人などと呼ばれたりしている。我々は予測ができれば、大儲けができるし、先回りして思い通りに事を運ぶこともできるようになる。しかしそれはそう簡単ではないこともよく知っている。それゆえ、たまたま予測が当たった時は思わず「神様ありがとう」などと呟いてしまうのだ。
このように予測について思いを巡らすのはとても楽しい。きっとこの本の著者も楽しみながら書いていたに違いない。これだけ幅広い対象を、予測という横串を通して議論している本はあまり類を見ないため、予測で悩んでいる人は本書から様々なヒントを見いだせるのではないかと思う。例えば地震、火山の噴火、豪雨などの予測や、犯人の予測、相手が何を考えているかの予測など、これまで人類がどのように必死にこの難問に取り組んできたかについて、科学的な知見を交えて平易な文章で書かれている。そして一部の数学マニア(?)向けに、より詳しく知りたければ選書では珍しく式まで書かれているが、それは読み飛ばしても差し支えない構成になっている。
さらに著者は予測と感動の関係、そして予測と意識についても深い考察をしている。私も著者と同じように、自分が驚いた時は、実はそれ以前に何らかの予測をしており、それが裏切られた時ではないか、と考えている。つまり、我々の持つ感情は、予測なしには語れないのだ。その予測は科学的なものもあれば、単に以前はこうだったから、という経験から来るものもある。とにかく感情を生み出す比較対象を作る思考活動が予測なのだ。
たいした根拠のない場合の予測を、私は「予想」という用語で区別して使っているが、この本を読んでいて自分が自己矛盾を起こしていることに気がついた。それはあの厳密さの極限である数学の分野にも「予想」があるからだ。私も中学生ぐらいの時にハマった「コラッツ・角谷の予想」というものがこの本でも詳しく論じられている。これは小学生でも理解できるようなある規則で数字を操作していくと、どんな数から出発しても最後は1になってしまう、という手品のようなもので、操作は簡単だが何故そうなるかは未解決の難問である。これを知った当時、夢中で広告の裏紙を使って検算していたのを思い出す。コラッツ先生は大数学者であり、もちろん適当にこの予想を発表したわけではない。正しいと確信しているから世に出したのだ。つまり同じ予想でも、数学での予想は、私がよく行う競馬の予想、とは訳が違うのである。そこで、私の自己矛盾を解消するために、「数学という厳密な世界では、正しいと思えても厳密な証明という根拠が無いものはすべて予想と呼ぶ習慣になっている」と考えることにしよう。
競馬の予想とサラリと書いたが、実は私は長い間、競馬を嗜んでいる。昔はデータを集めて様々な科学的分析をしたものだが、さっぱり当たらない。競馬をするのが初めての知人から教えてほしいと頼まれ、一緒に競馬場に行った時も、私は結局その知人に負けたぐらいだ。そしてある時、テレビで活躍している有名な競馬予想屋の方と話す機会があり、データを集めて予想しても実は半分も当たらない、という話を聞いてから、私はデータを分析するのをやめた。最近はAIによる予想も登場してきているが、見ていると決して良い成績とはいえない。いつか競馬は予想でなく予測できるようになるのだろうか。
それではなぜ我々は予測するのだろうか。これはもちろん正解は無い問いかもしれないが、本を読んでいて思ったのは、もしかしたらリスクを避けるための本能なのではないか、ということだ。生物は命を守ることが最も重要なタスクであり、外敵がどこから来るかを予測して危険に備えておく必要がある。様々な経験や情報、そして論理を用いて、我々は事前にリスクを予測する。この能力を持たない生物は進化の過程で絶滅してしまうだろう。そして今残っている生物は何らかの意味で予測する能力が備わっていたと考えられ、それゆえ副作用としての感情を持つことができているのではないだろうか。
ただし、これはあくまで私の「予想」に過ぎないことを明記しておく。
(にしなり・かつひろ 東京大学教授/渋滞学者)
波 2020年9月号より
著者プロフィール
大平徹
オオヒラ・トオル
1963年、東京都生まれ。名古屋大学大学院多元数理科学研究科教授。1982年、グルー基金奨学生として渡米し、ハミルトン・カレッジに入学、1986年卒業。英国ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジ、民間企業勤務を経て1993年に米国シカゴ大学大学院物理学専攻博士課程修了、Ph.D.取得。民間企業研究所を経て、2012年4月より現職。専門は「ゆらぎ」や「遅れ」を含むシステムの数理だが、研究対象の題材は数理、物理、生物・生体、社会・経済など幅広く取り上げている。著書に『「ゆらぎ」と「遅れ」――不確実さの数理学』(新潮選書)など。趣味はギター演奏とサイクリング。東京・港区のサッカーチームに親子で所属する週末プレイヤーでもある。