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謎とき村上春樹─「夢分析」から見える物語の世界─

河合俊雄/著

1,980円(税込)

発売日:2025/06/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

ユング派分析家の第一人者が独自視点で「村上文学」に迫る!

「夢」の中へ、「物語」の内側へ──『1Q84』を中心に『スプートニクの恋人』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』などの作品群を、ユング心理学の視点から深く精緻に考察し、村上文学に隠された世界を浮き彫りにする。『村上春樹の「物語」──夢テキストとして読み解く』に新たに4編の作品論を増補した決定版。

目次

はじめに――村上春樹と謎とき 選書版刊行にあたって

第一章 物語と心理学
物語と別の世界/物語と夢/村上春樹と心理学/内在的読み――物語と夢の読み方/『1Q84』の特殊性/村上春樹の世界の変遷/物語の個別性と二義性

第二章 自立と近代意識
三つの時間性/十歳/心理学と十歳/文学と十歳/近代意識/デタッチメントと近代意識/親と共同体の特殊性

第三章 解離と遭遇
近代意識とつながり/孤立/遭遇/責任の回避/定点としての身体/個人の解離、世界の解離/ポストモダンの意識

第四章 ポストモダンの意識
『スプートニクの恋人』と『アフターダーク』/三四郎とスプートニク1――近代意識/三四郎とスプートニク2――ポストモダンの意識/ポストモダンの意識の諸相/村上春樹と現代の意識

第五章 神話的世界とその喪失
プレモダンとポストモダン/プレモダンの世界――リトル・ピープルと空気さなぎ/水平的関係と垂直的関係/物の魂の喪失/『ねじまき鳥クロニクル』におけるプレモダンの世界と喪失/神話的世界の喪失/犯罪化するプレモダン/プレモダンの悪魔化と近代意識

第六章 超越の反転と結婚の四位一体性
転回点/殺害と愛――プレモダンとポストモダン/ロマンチックラブと不在の定点/不在とコミット/聖なるカップル/超越との交差――結婚の四位一体性/『ねじまき鳥クロニクル』の四位一体性との違い

第七章 人間の愛と物語――心理学的差異
超越性の罠/心理学的差異――神から人間の愛へ/人間の愛――現実のつながりと排他性/人間の愛の成就/心理学的差異を自覚している作家/現実への逃避?

第八章 超越性の排除となごり
人間の愛と超越性の排除/第三項――子ども/神の子の転生/第三項――牛河/欲望の三角形/第三者と超越的なもの/超越性のなごり

第九章 存在の逆転
人からと神から/前近代と現代の世界観/地上への着地/現実の発見/家族でない家族/過去の発見――『1Q84』/シミュレーションとしての現実/魂の動きとしての現実

第十章 再び物語へ
隠されていく物語/儀式と物語/物語の中の物語/物語の反転/物語の二重性

増補
第十一章 村上春樹におけるインターフェイスとしての夢
異世界とオープンシステムとしてのこころ/クローズドシステムとしてのこころ/インターフェイスとしての夢/インターフェイスの危険と禁止/インターフェイスと死/インターフェイスと身体・他者/おわりに:イメージの象徴性と直接性

第十二章 色彩を持たない多崎つくるの現実への巡礼
トラウマと原疎外:デタッチメント/暴力と性/超越性の消滅/四位一体性/四から五へ/喪失と自己感情/現実と他者

第十三章 『騎士団長殺し』における絵画の鎮魂とリアリティ
物語と絵画/水平的関係と垂直的関係/穴と異界/水平と垂直の図式/第三者と縁/世界と歴史性/内面性と現実/象徴・幻想・直接性

第十四章 『街とその不確かな壁』を夢テキストとして読む
解離した世界、孤独で解離した人たち/二つの世界の反転/壁に囲まれた「街」と前近代の世界/内面性と想像/性的シーンのなさと直接性/共有され、語られる物語/時間と継承


あとがき

書誌情報

読み仮名 ナゾトキムラカミハルキユメブンセキカラミエルモノガタリノセカイ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-603930-0
C-CODE 0395
ジャンル 評論・文学研究、ノンフィクション
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,980円
電子書籍 配信開始日 2025/06/26

書評

臨床心理学者河合俊雄さんに「夢の見方」を教えてもらう

森田真生

 夢は決してよく見る方ではないが、いまでもいくつか忘れられない夢がある。たとえば、太陽が爆発する夢。空に浮かぶ太陽が、ゆっくりと、見たことがない大きさに膨らんでいく。不気味な色の空と、異様な大きさの太陽。太陽が膨らむ速度は凄まじく、「太陽が爆発したのだ」とわかる。驚きと戦慄、そして圧倒的な自然の力を前にしてなすすべもない諦めの感情……。地面に伏せる。すべての終わりを覚悟する。と同時に、これまで生かされてきたことへの感謝の念に包まれる。
 目覚めて振り返れば、荒唐無稽な夢である。だが夢のなかにいるときには、現実そのものなのである。
 夢を見るというのは不思議なことである。ふと気づいたときには、別の世界にいる。だが夢から覚める刹那には、それと気づくことができる。このときにはまだ、夢を現実としていたときの感触が残っている。そして、「あの夢は何だったのだろう」と、夢との対話が始まっていく。
 本書は、村上春樹の作品が、「非常にわれわれが見る夢に似ている」という直観から始まる。夢では覚醒時と違う世界が展開されるが、まったくのナンセンスでもない。心理療法では夢が、覚醒時には意識されていないこころを表していると考える。村上春樹の作品もまた、夢のように謎に満ちている。だが物語に身を委ねて不思議な世界に引き込まれていくうちに、「未知の可能性や豊かさ」が示されていく。
 ユング派の心理療法を営む著者は、臨床の現場で「夢が何を意味するのかを明らかにしようとする」ときと同じアプローチで、村上春樹の作品が示す可能性を、物語の内側に入り、その内部から捉えていこうとする。
 誰もが日々、夢を見ているにもかかわらず、夢の見方を教わる機会はあまりない。日常は、いくつもの物語にいろどられているにもかかわらず、物語の読み方をあらためて学ぶ機会は少ない。
 その意味で本書は、貴重な一冊である。夢をどのように見て、物語をどのように読めばいいのか。この本を読みながら私は、丁寧に導いてもらっているような感覚になる。
「物語を未知のものとして受けとめ、その中に入っていき、物語の動きを一緒に行うこと」によってはじめて、物語の意味とインパクトが生まれてくる。著者のこうした言葉に触れているだけで、物語に向き合う姿勢や心身のあり方が整えられていくのを感じる。
 ユング派の心理療法を基盤として本書で展開される作品の具体的な読み解きは、目から鱗の連続である。ユングの「結婚の四位一体性」の概念を適用して『1Q84』の青豆と天吾の恋愛を読み解くプロセスなどは圧巻だ。青豆と天吾がバラバラに孤独に生きていたことは、人と人のあいだのつながりの問題ではなく、超越性や死者との関係を含む「向こう側」との関係の問題であったことが明らかにされる。
 こうした読み解きの前提となるのは、近代意識の成り立ちについての著者の透徹した理解と、これと区別される「ポストモダンの意識」の特徴づけだ。村上春樹の作品は「現代の最前線の意識のあり方を捉えている」と著者は指摘する。それは、全体を支配する大きな物語を失ない、人間関係のつながらなさや、個人のこころの中における解離など、いくつもの困難を抱えた意識だ。
 このような意識を抱えた現代の私たちは、どのように生きていけばいいのだろうか。近代意識の成立をなかったことにして、前近代的な世界に回帰しようとするだけでは解決にならない。すでに私たちは、別の現実のなかに入ってしまっている。かつてあった世界にそのまま戻ることはできない。
『1Q84』のなかで天吾が、執筆中の小説と向き合いながら、「過去をどれほど熱心に綿密に書き換えても、現在自分が置かれている状況の大筋が変化することはないだろう」と内省する場面がある。過去を人為的に改変しようとしても、時間は「訂正に、更なる訂正を上書きして、流れを元どおりに直していくにちがいない」。だから私たちにできることがあるとするなら、過去を改変することではなく、「過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいく」ことである。天吾は、物語の中で、このような思考に至る。
 一度見た夢、書かれてしまった物語は、その内容を後から書き換えることはできない。だが物語を受けとめ、その中に入り、「物語の動きを一緒に行うこと」ができれば、その先に踏み出される次なる一歩を通して、過去に新しい意味を吹き込むことができる。
 本書は、村上春樹の作品の「謎とき」を通して、このことを鮮やかに実演して見せてくれている。

(もりた・まさお 独立研究者)

波 2025年7月号より

著者プロフィール

河合俊雄

カワイ・トシオ

1957年、奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。チューリヒ大学で博士号取得。京都大学こころの未来研究センター教授・センター長を経て、京都こころ研究所代表理事。国際分析心理学会会長などを歴任。『ユング派心理療法』、『心理療法家がみた日本のこころ』、『ユング──魂の現実性(リアリティー)』、『心理臨床の理論』、『夢とこころの古層』、『村上春樹で出会うこころ』、ユング『赤の書』など著書訳書多数。

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