
ジャンケン文明論
792円(税込)
発売日:2005/04/17
- 新書
- 電子書籍あり
『「縮み」志向の日本人』の著者が問う新文明論。西洋的二者択一からアジア的三つ巴の思考へ。
誰も勝たない、誰も負けない、東洋独自の循環型の文明――著者はそれを「ジャンケン文明」と呼ぶ。西洋型の近代文明は、二項対立の「コイン投げ文明」であった。だが、そこからはもう「衝突」しか生まれてこない。今こそ東アジアが、日本、韓国、中国の新しい関係を携えて、その独自の文明の豊かさを世界に発するべきではないか……。「拳の文化」をたどり、時代を読み解きながら考える、「共存」のための文明論。
目次
まえがき──ジャンケン「三つの物語」
1 なぜいまジャンケンか
切符売り場で考えたこと
冷たい汽車
エレベーターと昇降機
男が人であることば
眠れないサル──昼と夜
海と陸の地政学
文明衝突論の根源
チケットとテキスト──モノの支配
人と「モノ」
アジアの知恵の木
孔子のテイラーメイド教育
東のジャンケンと西のトッシング・コイン
冷たい汽車
エレベーターと昇降機
男が人であることば
眠れないサル──昼と夜
海と陸の地政学
文明衝突論の根源
チケットとテキスト──モノの支配
人と「モノ」
アジアの知恵の木
孔子のテイラーメイド教育
東のジャンケンと西のトッシング・コイン
2 手とジャンケンの誕生
隠れたヒゲ
拳の文化史
ジャンケンの身体性
「文字芸者」はジャンケンを語らない
文明の化石
啄木の二つの手
運命の手と祈りの手
たわむれの手
労働からコミュニケーションへ
手と口
千の手・「円融会通」
拳の文化史
ジャンケンの身体性
「文字芸者」はジャンケンを語らない
文明の化石
啄木の二つの手
運命の手と祈りの手
たわむれの手
労働からコミュニケーションへ
手と口
千の手・「円融会通」
3 ジャンケンの構造
お地蔵さまとのジャンケン
拳と酒の関係論
二人称の文化モデル
負けるが勝ちになる拳酒の原理
下戸はアジア人だけのもの
仏像の手と数拳
先制攻撃が負ける法則
阿吽の呼吸
デタラメとよろめきの美学
大坂商人の符牒
なぜ江戸人はジャンケン・マニアであったのか
モグラの結婚
拳と酒の関係論
二人称の文化モデル
負けるが勝ちになる拳酒の原理
下戸はアジア人だけのもの
仏像の手と数拳
先制攻撃が負ける法則
阿吽の呼吸
デタラメとよろめきの美学
大坂商人の符牒
なぜ江戸人はジャンケン・マニアであったのか
モグラの結婚
4 コイン投げ型とジャンケン型の文明
ダ・ヴィンチのジャンケン
なぜ石が紙に負けるのか
中国三大物語のリーダー
鬼ごっこの児童心理学
コブシとヒラテは「易」の陰陽だ
「三すくみ」と日本のマインド・モデル
地震から外交まで
政・官・業のアイアン・トライアングル
手本は二宮金次郎
「一円融合」と「円見」
「勤労」「分度」「推譲」
野球のパ・リーグと四すくみ
夏目漱石の『明暗』と「三体間運動」
ボーアの太極紋章
エイゼンシュテインのジャンケン・コード
ジャンケンの経営学
オランダ・モデルと第三の道
「友愛」のグローバリズム
なぜ石が紙に負けるのか
中国三大物語のリーダー
鬼ごっこの児童心理学
コブシとヒラテは「易」の陰陽だ
「三すくみ」と日本のマインド・モデル
地震から外交まで
政・官・業のアイアン・トライアングル
手本は二宮金次郎
「一円融合」と「円見」
「勤労」「分度」「推譲」
野球のパ・リーグと四すくみ
夏目漱石の『明暗』と「三体間運動」
ボーアの太極紋章
エイゼンシュテインのジャンケン・コード
ジャンケンの経営学
オランダ・モデルと第三の道
「友愛」のグローバリズム
5 「三国拳」の新しいアジア文明
東北か北東か
アジアということば
文化は単数か複数か
虹の色は何色か
フィシス、セミオシス、ノモス
中国大陸の「パー」
日本のグウ・岩戸を開く力
韓国のチョキ──半島のバランサー
半島性の回復
セミオシス──「函三為一」
東アジアの三つの文字
飛鳥をなぜ「あすか」と読んだのか
『冬のソナタ』の韓流
アジアの寛容と融通性と開放性
新しい地政学
ケイタイの未来
ビッグベンの時計が手の上で鳴るとき
アジアの人よ、エレベーターから降りろ
アジアということば
文化は単数か複数か
虹の色は何色か
フィシス、セミオシス、ノモス
中国大陸の「パー」
日本のグウ・岩戸を開く力
韓国のチョキ──半島のバランサー
半島性の回復
セミオシス──「函三為一」
東アジアの三つの文字
飛鳥をなぜ「あすか」と読んだのか
『冬のソナタ』の韓流
アジアの寛容と融通性と開放性
新しい地政学
ケイタイの未来
ビッグベンの時計が手の上で鳴るとき
アジアの人よ、エレベーターから降りろ
あとがき
書誌情報
読み仮名 | ジャンケンブンメイロン |
---|---|
シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-610111-3 |
C-CODE | 0230 |
整理番号 | 111 |
ジャンル | 人文・思想・宗教、社会学、ビジネス・経済 |
定価 | 792円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2012/07/27 |
蘊蓄倉庫
『ジャンケン文明論』こぼれ話
イー・オリョン(李御寧)氏の『ジャンケン文明論』について、一番多く受ける質問は「本人が日本語で書いているのか?」というものだ。いわゆる在日ではなく、ソウル在住の韓国育ちの韓国人だから、そういう疑問が生じるのだろう。答えは、勿論、自分で書いている。韓国の人たちは日本の「だじずでど」の発音は苦手だ。「だから」が「たから」になり、「でも」は「ても」になる。話すときばかりではなく、原稿に書くときにも発音通りの表記となるが、そういう間違いは文脈からすぐに類推できる。ところが、こと英語やフランス語やラテン語の学術用語になると、その用語を知っていても類推できないことがある。最初の原稿でどうしてもわからない用語があった。「ゼンダ」という用語である。あれこれ辞書を調べたが諦めて、ソウルの李氏のお宅に伺ったときに聞いてみた。答えは「ジェンダー」であった。椎名誠さんのように、「うーむ」と私はうなった。
イー・オリョン(李御寧)氏の『ジャンケン文明論』について、一番多く受ける質問は「本人が日本語で書いているのか?」というものだ。いわゆる在日ではなく、ソウル在住の韓国育ちの韓国人だから、そういう疑問が生じるのだろう。答えは、勿論、自分で書いている。韓国の人たちは日本の「だじずでど」の発音は苦手だ。「だから」が「たから」になり、「でも」は「ても」になる。話すときばかりではなく、原稿に書くときにも発音通りの表記となるが、そういう間違いは文脈からすぐに類推できる。ところが、こと英語やフランス語やラテン語の学術用語になると、その用語を知っていても類推できないことがある。最初の原稿でどうしてもわからない用語があった。「ゼンダ」という用語である。あれこれ辞書を調べたが諦めて、ソウルの李氏のお宅に伺ったときに聞いてみた。答えは「ジェンダー」であった。椎名誠さんのように、「うーむ」と私はうなった。
掲載:2005年4月25日
著者プロフィール
李御寧
イー・オリョン
1934年生まれ。ソウル大学大学院碩士。文学博士。専門分野は、批評文学、記号学。梨花女子大名誉教授。韓国の初代文化相。現在、中央日報社常任顧問。著書に『韓国人の心 増補・恨の文化論』『「縮み」志向の日本人』『「ふろしき」で読む日韓文化』などがある。
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