
自閉症の子を持って
748円(税込)
発売日:2005/05/16
- 新書
- 電子書籍あり
息子の自立のために最善を尽くそう――。決意した父親の前に立ちふさがる役所、学校、自分の中の「鬼」……。感動のドキュメント!
長男が二歳の段階で軽度自閉症と診断された。医者は「適切な訓練」を受ければ、小学校入学時までに健常児に等しいレベルになると言う。しかし、「適切な訓練」を求めた著者の先には数々の障害が待ち構えていた。「重度重視」の福祉政策、専門医の決定的不足、「特殊学級」を強いる教育関係者、そして、時に「鬼」と化する自分自身の心……。これまで語ることの少なかった自閉症児の父が綴る、渾身の手記。
目次
はじめに
第1章 「障害児の親」を自覚した同時多発テロの夜
第2章 心の「鬼」と向き合いながら
第3章 民間施設で訓練を開始
第4章 行き場のない子どもたち
第5章 息子の見ている世界が知りたい
第6章 福祉が当てにならない理由
第7章 得たもの、失ったもの
あとがき
主要参考文献
主要参考文献
書誌情報
読み仮名 | ジヘイショウノコヲモッテ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 208ページ |
ISBN | 978-4-10-610118-2 |
C-CODE | 0247 |
整理番号 | 118 |
ジャンル | 教育学 |
定価 | 748円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/12/28 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2005年6月号より 心のバリアフリーを求めて 武部隆『自閉症の子を持って』(新潮新書)
行政担当の記者として二十年働き、そのうち三年は厚生省(現・厚生労働省)を取材した。それなのに、障害者福祉の問題には、ほとんど関心を持たなかった。
理由は簡単。障害者福祉分野に計上される国や地方自治体の予算額があまりに小さいので、ニュースにならなかったのだ。
息子に障害があることを知ったのは、厚生省の担当を離れてからのことだった。その後、記者としてではなく、ハンディを持つ子の親として障害福祉行政と向き合うことになったのだが、実のところ、今に至るまで公的な福祉サービスのお世話になったことがない。お世話になりたくても、利用できるサービスが存在しなかったのだ。
ある役所の職員から「自閉症のような新しいタイプの障害には、行政も対応できていないんです」と説明された時、「心身の障害に『古い』『新しい』なんてあるのだろうか」と思った。障害は間違いなく存在し、それを抱える人はサポートを必要としているのに、行政の側がそれを認識していないだけではないのか……。本書の執筆を始めた動機には、そんな思いもあった。
ところが、取材を進めるうち、問題は行政の仕組みではなく、その背後にある社会そのものだということに思い至った。自閉性障害者の数が、考えていたよりも多い事実に突き当たったからだ。軽度も含めれば自閉性障害の有病率が「百人にひとり」だという本書の記述に、違和感を持つ読者はいるだろう。しかし、「あとがき」でも触れたように、これは決して荒唐無稽な数字ではない。
自閉性障害が脳の機能不全に起因することははっきりしている。ならば、その障害を抱える人が急に増えるはずはない。百人にひとりの割合で存在した障害者を、過去の社会はどうやって受容していたのだろうか。
本書の冒頭で紹介した落語「孝行糖」は、その問いに対するわたしなりの答えである。過去の社会では、与太郎のような軽度障害者は周囲のちょっとした思いやりに支えられ、普通の生活を送っていたのだ。
ところが、現代は軽度障害者のケアを普及させるため、わざわざ法律を作らなければならない社会になってしまった。しかし、法律を作ったところで、思いやりを強制することなど出来はしない。
今の社会に必要なのは、ハンディを抱えた者を排除しない「心のバリアフリー」ではないだろうか。恥ずかしながら、そのことに気付いたのは自分が障害児の親となり、そうした心を持った人々に救われ、支えられるようになってからだった。障害者とその家族は周囲に特別な配慮を求めてはいない。片隅でいいから、公園や学校や電車の中で、ちょっと身を寄せてわれわれの居場所を作ってほしいだけなのだ。本書を通じ、できるだけ多くの読者に、そのことを伝えたいと考えている。
理由は簡単。障害者福祉分野に計上される国や地方自治体の予算額があまりに小さいので、ニュースにならなかったのだ。
息子に障害があることを知ったのは、厚生省の担当を離れてからのことだった。その後、記者としてではなく、ハンディを持つ子の親として障害福祉行政と向き合うことになったのだが、実のところ、今に至るまで公的な福祉サービスのお世話になったことがない。お世話になりたくても、利用できるサービスが存在しなかったのだ。
ある役所の職員から「自閉症のような新しいタイプの障害には、行政も対応できていないんです」と説明された時、「心身の障害に『古い』『新しい』なんてあるのだろうか」と思った。障害は間違いなく存在し、それを抱える人はサポートを必要としているのに、行政の側がそれを認識していないだけではないのか……。本書の執筆を始めた動機には、そんな思いもあった。
ところが、取材を進めるうち、問題は行政の仕組みではなく、その背後にある社会そのものだということに思い至った。自閉性障害者の数が、考えていたよりも多い事実に突き当たったからだ。軽度も含めれば自閉性障害の有病率が「百人にひとり」だという本書の記述に、違和感を持つ読者はいるだろう。しかし、「あとがき」でも触れたように、これは決して荒唐無稽な数字ではない。
自閉性障害が脳の機能不全に起因することははっきりしている。ならば、その障害を抱える人が急に増えるはずはない。百人にひとりの割合で存在した障害者を、過去の社会はどうやって受容していたのだろうか。
本書の冒頭で紹介した落語「孝行糖」は、その問いに対するわたしなりの答えである。過去の社会では、与太郎のような軽度障害者は周囲のちょっとした思いやりに支えられ、普通の生活を送っていたのだ。
ところが、現代は軽度障害者のケアを普及させるため、わざわざ法律を作らなければならない社会になってしまった。しかし、法律を作ったところで、思いやりを強制することなど出来はしない。
今の社会に必要なのは、ハンディを抱えた者を排除しない「心のバリアフリー」ではないだろうか。恥ずかしながら、そのことに気付いたのは自分が障害児の親となり、そうした心を持った人々に救われ、支えられるようになってからだった。障害者とその家族は周囲に特別な配慮を求めてはいない。片隅でいいから、公園や学校や電車の中で、ちょっと身を寄せてわれわれの居場所を作ってほしいだけなのだ。本書を通じ、できるだけ多くの読者に、そのことを伝えたいと考えている。
(たけべ・たかし ジャーナリスト)
蘊蓄倉庫
小学校に毎日通う筆者
本書で描かれたのは筆者の長男が小学校の普通学級入学を決めるまででした。四月からは予定通り、某市の普通学級で授業を受けています。ただし、普通学級への進学には「両親のどちらかが授業に同席すること」という条件が課されているそうです。
かくして武部さんは四月から、ほとんど毎日、一時間目と二時間目の授業に参加してから出勤する生活を続けています。何とも大変そうですが、本人は、「好奇心を大いに刺激されます。毎日たくさん発見がありますよ」と、いたって前向き。この辺は新聞記者の面目躍如といったところでしょうか。
本書で描かれたのは筆者の長男が小学校の普通学級入学を決めるまででした。四月からは予定通り、某市の普通学級で授業を受けています。ただし、普通学級への進学には「両親のどちらかが授業に同席すること」という条件が課されているそうです。
かくして武部さんは四月から、ほとんど毎日、一時間目と二時間目の授業に参加してから出勤する生活を続けています。何とも大変そうですが、本人は、「好奇心を大いに刺激されます。毎日たくさん発見がありますよ」と、いたって前向き。この辺は新聞記者の面目躍如といったところでしょうか。
掲載:2005年5月25日
著者プロフィール
武部隆
タケベ・タカシ
1961(昭和36)年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1984年時事通信社に入社。金沢支局勤務を経て、本社内政部に配属。旧建設省、旧自治省、自民党、厚生労働省、総務省などの取材を担当。公共事業、地方財政制度、社会保障政策などに詳しい。
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