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日本人の深い叡智がここにはある。

剣と禅のこころ

佐江衆一/著

748円(税込)

本の仕様

発売日:2006/10/17

読み仮名 ケントゼンノココロ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 199ページ
ISBN 978-4-10-610185-4
C-CODE 0215
整理番号 185
ジャンル 哲学・思想、宗教、芸能・エンターテインメント、スポーツ
定価 748円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2012/02/24

人を殺す刀が人を活かす剣となる――。この「剣禅一如」の深い哲理は、現代人にとっても決して無縁ではない。むしろ、日々を生きるヒント、この日本を考えるヒントがそこには無数に隠されており、遺された数々の言葉は今も重く響く。剣は宮本武蔵や上泉伊勢守から山岡鉄舟まで、禅は道元から一休や良寛まで、それぞれの人と思想をたどりつつ、日本独自の死生観に迫る一冊。

著者プロフィール

佐江衆一 サエ・シュウイチ

1934年、東京生まれ。コピーライターを経て1960年、短篇「背」で作家としてデビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、ドゥマゴ文学賞を受賞した『黄落』は、著者自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーになった。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞を受賞。他の著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『士魂商才――五代友厚』『長きこの夜』『動かぬが勝』等。『エンディング・パラダイス』は、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』に続く、昭和戦争三部作の最後の作品となる。古武道杖術師範。

目次

序 章 人間の是非
第一章 「道の器用」を知る――若き日の宮本武蔵
武蔵はなぜ勝ちつづけたのか/私の青春時代の悩み/好きこそ物の上手なれ/朝鍛夕練/五十歳からが面白い/師なく、神仏をたのまず/勝つための剣/「観の目」で大局を観よ/魚を追いまわすように人を斬れ
第二章 人殺しの剣の矛盾――殺人刀と活人剣
遅れてきた青年/剣と禅の出会い/心を止めれば迷いを生じる/珍獣さとりの寓話/殺人刀から活人剣へ/春風を斬る/柳生流トンボの目付け/武蔵の剣が変わった/「空」の剣/日本独自の哲学
第三章 生命は一呼吸の間――道元に出会う
剣も禅もマナーではない/木鶏の話/自己を習う/本来の自己とは/「今、ここ」の一瞬/道元の雲遊萍寄
第四章 秘太刀の剣禅一如――塚原卜伝から山岡鉄舟まで
日本武道の系譜/塚原卜伝の「一の太刀」/上泉伊勢守と柳生石舟斎の「無刀取り」/針ヶ谷夕雲の「相抜け」/伊東一刀斎の「払捨刀」/馬庭念流の「そくい付け」/山岡鉄舟の「無刀流」
第五章 百尺竿頭の決断――自己を見つめる禅語
最初に出会った禅語/百尺竿頭の一歩/権威なんか糞喰え/どちらがホンモノの自分?/若い娘に抱きつかれたら……/一休和尚のコメント
第六章 優游と生きる――良寛さんに寄りそう/良寛さんの道元との出会い
騰々として天真に任す/心がなごむ簡素な生活/弱さの中の勁さ/七十歳の恋/長きこの夜
第七章 武士道における死――『葉隠』『BUSHIDO』など
常住死に身の哲学/阿部一族の殉死/赤穂四十七士の義と切腹/切腹の崇高性/外国人が見た切腹/生と死の潔さ/現代日本人が失ったもの
終 章 この地球に生きる日本人として
昭和の剣聖の試合/世界を変える「和の剣」/この地球に何を残すか/老いと死/生も死も一時の位
主な参考・引用文献

インタビュー/対談/エッセイ

波 2006年11月号より 活人剣のやわらかなこころ  佐江衆一『剣と禅のこころ』

佐江衆一

 当り前のことながら、剣は人殺しの武器。ところが、大坂夏の陣で豊臣家が滅び「元和偃武」の太平の世がきて、剣のありようが問われました。徳川幕府の惣目付となって政治の表舞台に出た柳生但馬守宗矩が、寛永九年(一六三二)に著した『兵法家伝書』で述べています。
――乱れたる世を治めむ為に、殺人刀を用ゐて、已に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや。
 この書が沢庵禅師の『不動智神妙録』を得て書かれたことはよく知られ、「殺人刀、活人剣」はもともと『無門関』などにある禅語です。沢庵は、心を止めず無心になれば、敵の斬ろうとする刀を素手で取ることができ、宗矩の父石舟斎が完成した「無刀取り」の技は、まさに「活人剣」だと言うのです。
一切の執着を捨て、大宇宙の森羅万象に身をゆだねるのが禅の世界ですが、剣がその禅理を得て「活人剣」という剣禅一如の哲理に到達するのです。晩年に禅を学んだ宮本武蔵も『五輪書』で「空の剣」についてわずかに述べていて、若い頃の殺伐とした剣が変わったことが窺えます。しかし、剣に生きる者が剣禅一如の「和の剣」に至るのは、容易な修行ではありません。
それまでの剣理を否定し、勝敗を超えた「相抜け」を至福とした無住心剣流の針ヶ谷夕雲。相手の刀の自由を奪う「そくい付け」の技で「勝つよりも負けぬが勝ち」とした農民の自衛の剣の馬庭念流。禅の公案を三年間沈思して、勝負を争わず心胆をねって自然の勝ちを得る剣に達し、無刀流と称した山岡鉄舟。いずれも禅にもとづく「和の剣」です。
この剣の哲学は日本独自で、世界に誇っていいのです。しかし、現今の「武装平和」と同義なら、剣など捨てたらよろしい。現に武士が刀を捨てた明治以降、武術は武道になり、心が求められました。日本人は「道」が好きなのです。
ところで、五十五歳から剣道をはじめた私は、六十八歳でようやく五段になりましたが、七十二歳の今日、すでに六段審査に四度も不合格、体力の衰えを感じながら「昇段」という壁と試合に勝てない厚い壁の前に立っています。また、人生晩年の生き方に少し迷ってもいました。
しかし『剣と禅のこころ』を書いて、いささか開眼するところがありました。剣はむろんのこと、人生、権威や勝負にこだわることはないのです。権威など糞喰えで、何事にも勝つ必要はない。良寛さんの言葉を借りれば、わが身を「騰々と天真に任せて、優游また優游」と生きればよく、道元禅師のいう「生も死も一時の位」なら、「今、ここ」を「力をもいれず」に一歩を進めればいいのです。たかが趣味の剣道では、他人の頭を叩いてよろこぶより、わが身を捨てて打たれたなら、「ありがとう」とニッコリ笑うのです。

(さえ・しゅういち 作家)

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