ホーム > 書籍詳細:大帝没後―大正という時代を考える―

英雄より秀才、実学より教養、蓄積より消費……。明るいけど危うい日本の青年期。

大帝没後―大正という時代を考える―

長山靖生/著

748円(税込)

本の仕様

発売日:2007/07/17

読み仮名 タイテイボツゴタイショウトイウジダイヲカンガエル
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 206ページ
ISBN 978-4-10-610221-9
C-CODE 0221
整理番号 221
ジャンル 日本史
定価 748円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2011/12/28

圧倒的なカリスマ性で君臨した明治天皇を失った後に続く大正とは、どのような時代だったのだろうか。軽く、自由と解放感に満ちた明るいイメージの一方、頼りない危うさも感じられる。大正は親たちが闘争の末勝ち取り、築き上げたものを相続し消費する時代だった。本書では、今日に及ぶ日本の大衆的価値観を形づくった時代としての大正前期を、指導原理の喪失した空白期、すなわち「大帝没後」という視点から捉え直す。

著者プロフィール

長山靖生 ナガヤマ・ヤスオ

1962(昭和37)年、茨城県生まれ。評論家、歯学博士。SFファンとアニメファンが未分離だった頃から評論活動を始め、『偽史冒険世界』で大衆文学研究賞を受賞、2010年、『日本SF精神史』で日本SF大賞と星雲賞をW受賞。以後2016年まで日本SF大賞選考委員。

目次

序章 歴史の流れが変わる時
セレブと軽さの時代
改革という名の圧政
英雄から秀才の時代へ
第一章 天皇の逝く国の「その日」
「御不例」の官報号外
自粛に憤激した漱石
重態報道へのさまざまな反応
病床での暗闘
重大なる発表
同じ事態は、昭和終焉にも訪れた
天皇の逝く国の「新年」
第二章 大将自刃
喪のある光景
大喪準備
自刃と「殉死」報道
遺された多数の遺書
理由をめぐる憶測
遺書公開の衝撃
第三章 殉死小説と世代の断絶
はかない人工物としての国家
「先生」の遺書と大将の遺書
写真に関する芥川の誤解
第四章 顕在化する消費エリート
「白樺」青年の天皇観
「大正青年」とは何者か
志賀直哉の「偉さ」の根拠
「それから」の代助と武者小路実篤
「高等遊民」への誤解
第五章 大衆文化とデモクラシー
文化の大衆化、大衆の文化指向
「若旦那」の時代
少子化よりも恐い「多子化」問題
大正デモクラシーの裏側
護憲運動と世代交代
不在の「天皇」による束の間の自由
第六章 大正教養主義の自負と揺らぎ
大学で何を学ぶか
漱石山脈コネクション
誰が『三太郎の日記』を読んだのか
憧れの対象としての「無用の知識」
オカルトへ向かう自意識
「戦争」から「冒険」へ
冒険雑誌の時代
「冒険」から「探偵」へ
第七章 『彼岸過迄』的「青年」の謎
見られる探偵
遺伝、因縁、そして欲望
都市を満喫する地方青年
植民地としての古い父
隠蔽される「親殺し」
大正青年の父親観
矛盾する自己の立場
「どこからか救いの手が」
「若々しい」という戦略
「童心」に惹かれる青年たち
見え難い「弱者」の姿
第八章 「家殺し」国家の祝祭
「家殺し」と乃木家処分
乃木家再興への動き
イベント化する乃木家再興
乃木家再興と遺族の不満
違法な「再興」との批判
「再興」か「創立」か
「祝祭」を描かなかった漱石
空虚なイベントを無視した漱石と乃木大将
隠されていた「国家への遺言」
エピローグ――「大正」と「平成」、暗合の先にあるもの

主要参考文献

インタビュー/対談/エッセイ

波 2007年8月号より 歴史は繰り返す、のか  長山靖生『大帝没後―大正という時代を考える―』

長山靖生

 景気回復というけれど、庶民にはそんな実感はぜんぜんない。政治家の目は政権与党になることに向いているし、官僚はあいかわらず優遇されている。企業の税金が軽減されているのに、個人にかかる税金は高くなる一方だ。貧富の格差はますます広がり、階級の固定化も進んでいるらしい。
 それでも「日本はまずまず平和で豊かな国だ」と大人たちはいう。親の時代に比べたら、若者は贅沢に暮らしている。これで文句をいうのはわがままというものだ、と。
 これは現代の話ではない。大正と呼ばれる時代のはじまりに、しばしば論じられた話題だ。ある程度の近代化を達成したこの時期、日本には既にフリーターもいたし、ニートやひきこもりも存在した。たとえば夏目漱石が好んで描いた「高等遊民」は、大卒フリーターそのものだ。三十過ぎても就職せず、結婚もせず、親にパラサイトして暮らしている。小説の中だけの存在かと思ったら、当時、現実に社会問題化していた。
 オタクだっていた。当時の呼び名は「耽溺青年」。政治や社会問題には一切関心がなく、自分の好きなことだけに埋没する若者たちに、親世代は危惧の念を抱き、しきりと「今時の若者は……」という決まり文句を口にした。当時のヴァーチャル・リアリティーは、ネットではなく活字メディアのなかにあったから、若者はゲームではなく小説に没頭し、ネットの代わりに投稿に熱中して、自分の現実の生活を見失っていると批判された。実際、文学少年・少女の自殺が報じられると、そこに耽美な幻想を抱いて、模倣自殺するものさえあらわれた。
 大正という時代は、明治と昭和に挟まれて、何だか影が薄い。大きなものを生み出す力に欠けている繊細な時代。そして、だからこそかもしれないが、平成の世に似ている。
 とはいえ、彼らにだって言い分はある。今の世のなかは親世代によって社会システムが作り上げられてしまっていて、自分たちは「現在」に生きているという実感が持てない。何だか他所者のような居心地の悪さを常に感じながら、今ここにいる。ああ、本当の自分はどこにいるのだろう……。
 また大正時代には、大正デモクラシーとか、大正ロマンという言葉からイメージされるように、近代日本にあっては例外的に自由な雰囲気もあった。これは貴重だ。だがそれは、それまで社会を支えていた大きな存在が消えたために、たまたまもたらされたものだった。そうした不安定さと表裏一体の重要なチャンスを、どうすればわれわれは、しっかりと自分のものにできるのか。大正時代の世相を読み解くことで掴みたいのは、その答えだ。
 大正時代の次には、昭和戦前がやってくる。閉塞感に囚われた若者たちが「希望は戦争」などと言い出す前に、われわれには考えなければならないことがある。



(ながやま・やすお 評論家)

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