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タモリ論

樋口毅宏/著

748円(税込)

発売日:2013/07/13

  • 新書
  • 電子書籍あり

やっぱり凄い! 異才の小説家が、サングラスの奥に隠された狂気と神髄に迫る、革命的芸人論。

タモリの本当の“凄さ”って何だろう。なぜ三十年以上も毎日生放送の司会を超然と続けられるのか。サングラスの奥に隠された孤独や絶望とは――。デビュー作でその愛を告白した小説家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、この男の狂気と神髄に迫る。出生や私生活にまつわる伝説、私的「笑っていいとも!」名場面、ビートたけしや明石家さんまとの比較等、読めばあなたの“タモリ観”が一変する、革命的芸人論!

目次
はじめに
きっかけは「雑司ヶ谷」/タモリを語る困難/馬鹿か、賢者か/偉大なお笑い論クラシック/僕は喜んで馬鹿になります
第一章 僕のタモリブレイク
タモリをめぐる冒険/ブレイク前夜/エロ本編集者の青春の日々/伝説の「ナンパカメラマン」/それは突然やって来た――。
第二章 わが追憶の「笑っていいとも!」
セカンド・カミング/「いいとも!」の真骨頂、タモリの醍醐味/ワンクールのはずが……/苦し紛れの「安産祈願」/私的「いいとも!」事件史/伝説の「いいとも!」ジャック/それははたして“ガチ”だったのか/テレフォンショッキングの虚実/あの日、あのときの「いいとも!」
第三章 偉大なる“盗人”ビートたけし
神、あるいはそれ以上の存在/その微妙なる関係性/「あいつのマネは難しいだろ」/たけしvs.関西芸人/たけしと松本人志/みんな落ち着いて聞いてくれ!/町山智浩のたけし映画論/『ソナチネ』と『BROTHER』/パクリの条件/ロベール・ブレッソンの影響/偉大なるオマージュの連鎖/「優れた芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」/「たけし=ハルク・ホーガン」説/「いいとも!」があって、たけしがいる
第四章 明石家さんまこそ真の「絶望大王」である
さんまの衝撃/掟破りの登場/「BIG3」の緩衝材/最大の転機/笑いの裏側にある顔/本当の絶望大王/つきまとう死の影
第五章 聖地巡礼
緊張の正午/フラッシュバック・メモリーズ・オブ・「いいとも!」/聖なる一回性の中へ/「朝エッチした人!」/「いいとも!」を初めて番宣に使ったのは?/プロレスから総合格闘技へ/それでも「いいとも!」と拳を突き上げる/関係者に話を訊く/そして何も残らない
第六章 フジテレビの落日、「いいとも!」の終焉
終わりの始まり/“討ち死に”の裏番組史/大丈夫か、フジテレビ/――神が揃った。/テレビの遺影、荘厳な葬送曲/タモリの人間宣言
おわりに
思い出になる前に/「もう忘れました」/永遠の謎/笑うため、祈るため

書誌情報

読み仮名 タモリロン
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 192ページ
ISBN 978-4-10-610527-2
C-CODE 0276
整理番号 527
ジャンル 演劇・舞台、タレント本
定価 748円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2014/01/24

「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実/樋口毅宏(新潮45 2014年1月号)

その日タモリはある大物作家と対峙、スタジオアルタは緊迫感に包まれた――。
「伝説の回」の真実に『タモリ論』の著者が迫る。


『タモリ論』(新潮新書)を上梓してから五ヶ月が経過した。おかげさまで本書は書店に並ぶ前から増刷がかかり、小説家を本業としている私にとって初めてのベストセラーとなった。
 反響は予想以上のものだった。タレントやテレビプロデューサー、放送作家といったテレビの作り手側から、お笑いに詳しいと自任するマニアまで、賛否両論の声を頂いた。これまで小説を七冊書いてきたが、身に余るほどの称賛の一方で、貶す人はとことん罵倒するので、デビューから四年、その手の免疫はできていた、と思っていた。しかし今回ばかりは桁が違っていた。ツイッターで見過ごせない誹謗中傷をしてくる人に憤りを覚え、直接相手にはしなくても、それとなく反論したこともあった。小さいな俺と思った。
 その間、幾つもの取材に応え、ラジオにも出演した。テレビ局から出演依頼があったが、弱者を嘲笑する、もっとも嫌いなタイプのバラエティ番組だったため断った。
 十月二十二日、「笑っていいとも!」が番組の中で、来年三月をもって三十二年の歴史に終止符を打つと宣言した。よほど適任者がいなかったのだろう。直後はコメントを求める電話が鳴り止まなかった。できるかぎりの応対をしたが、すべてを受けることはできなかった。
 慌ただしい日々が一段落した十一月某日、新潮社から連絡があった。聞けば有吉佐和子(以下敬称略)の御遺族の有吉玉青さんから、「『タモリ論』にある、母が『いいとも!』に出演したときの状況が事実とは異なります」という旨の申し立てがあったという。
 正直、驚いた。まだタモリさん本人が何か言ってくるならわかるが(百パーセントないだろうけど)、思わぬところから異議を唱えられたというのが正直な感想だった。
「有吉いいとも!事件」はネット上ではもはや定説になっている。そのことに関する記述は『タモリ論』の本筋から外れる数ページのものなので、読んで頂いた人の中でも思い出せない方や、そもそも事情をご存知ない方も多いと思うので、本書からその箇所をここに引きます。


 しかし、数多いハプニングの中でも最大のエポック・メイキングといえば、作家の有吉佐和子が「テレフォンショッキング」に登場した回と断言できるでしょう。一部の人たちの間では、今でも伝説化されているのではないでしょうか。
 それは一九八四年六月二十二日に起こりました。
 今もむかしも「テレフォンショッキング」の持ち時間は十五分から二十分程度ですが、和服を着て女流作家の重鎮として登場した有吉佐和子は、最初のほうこそ大人しくしていたものの、途中から完全に暴走し、観客にメモを回して、「みなさん、私と一緒に読み上げましょう」と説き出したのです。
 凄まじい放送だったと記憶しています。その独演ぶりは、見るからにイッちゃっていました。タモリが「そろそろお友達を……」と言ってもまるっきり無視。十二時四十分あたりを過ぎた頃、次のコーナーを控えていた明石家さんまが堪らず飛び込んできましたが、一歩も引かずに応酬して観客を呆れさせました。確か……確かですが、エキサイトしたさんまが「死ねババア!」とまで口走ったはずです。
 それからわずか二ヶ月後、有吉佐和子は本当に亡くなります。遺体は東京都監察医務院に運ばれて解剖と精密な検査をした結果、死因は不詳と発表されました。まだ五十三歳でした。(中略)
 これだけ読むと誤解されそうなので、彼女の名誉のために書き留めておきますが、有吉佐和子は日本文学史上屈指の天才です。全著作を読んでいない、そして作家としてたいして才能がない僕が断言するのも何ですが、有吉佐和子の文体の美しさ、凄艶さ、小説でなければならない必然など、その掛け値なしの才能を否定できる人はいないでしょう。

「確か……確かですが」と前置きをし、前のページでも、「僕の脳の中で編集されたものなので、自分に都合良く捏造されているところも多々あると思いますが、どうかみなさん寛大な心で読んでやって下さい」と断りを入れているものの、間違いがあった場合、それは訂正したい。この文章を書いたのは当然私であり、その責任があるから。
 さらに『タモリ論』では、「いいとも!という番組の特性上もあり、この本を書くにあたって特に調べていません。しかし、事実確認のために編集者が用意してくれた資料にいくつか目を通した」という趣旨の文章を記しました。しかも有吉佐和子が出演した回の放送は、三十年近く前のため映像の確認ができなかった。もちろんこれは言い訳です。
 有吉さん側から申し立てがあってから数日後、あれほど入手困難で、フジテレビの資料室以外にはないと思われていた幻のビデオ映像を入手することに成功した。一九八四年といえば家庭用ビデオが普及し始め、VHSとベータが鎬を削っていた頃。私の家にもすでにビデオがあったが、その後引っ越しを繰り返したため、むかしのビデオカセットは散逸してしまった。状況はどこの家庭も似たり寄ったりだろうが、それでもたまにユーチューブで懐かしの映像がアップされても、テレビ局の要請で即座に消されてしまうことが多い。「いいとも!」も同様で、むかしの映像がアップされても、閲覧者が増えていくと削除された。件の有吉佐和子が出演した回のテープを持っている人は、日本中を探せばどこかにいるだろう。しかしもはや永遠に見ることは叶わないとあきらめていただけに、これは僥倖と思った。
 そしていま私は鑑賞後、帰宅してこの原稿を書いている。ノートパソコンを前に、頭の中は真っ白になっていた。果たして有吉佐和子は本当に「イッちゃって」いたのか? さんまが「死ねババア!」と口走るなど、凄まじい放送だったのか? ビデオを見ながら書き留めたメモを基に、できるかぎり正確に書き進めてみたい。

(オープニング)
 いいとも青年隊といつもの歌。タモリが歌っている。懐かしい光景。初代いいとも青年隊の羽賀研二、野々村真、久保田篤が踊っている。三人のその後を知っているだけに、少しせつなくなる。
 歌い終わると同時に、さんまが登場。若い! 黄色い声援が上がる。当時のさんまはアイドル的存在と言っても差し支えなかった。
 CMが明けるとテレフォンショッキングのコーナーがスタート。最近は流動的で、十二時半を過ぎてから始まることも多い当コーナーだが、むかしはいちばん初めだった。
 タモリが観客に向けて話す。
「雨が降っていますが、正装しています。なぜ正装するかというと……昨日は電話でさんざんでした。今日はオフコース以来の難所で、何を言われるかわかりません。いろいろ敵は飛び道具を用意しているみたいですけどね」
 しきりに汗を拭いている。ちなみにタモリの当時の天敵はオフコース(小田和正のバンド)で、小田和正がテレフォンショッキングに出た回は、ギクシャクしたトークに終始した。
「それではご紹介しましょう。有島一郎さんからのご紹介、有吉佐和子さんです!」
 艶やかな着物を召した、有吉佐和子が現れる。夥しい数の名著を通して何度となく「会っている」ものの、およそ三十年ぶりに観る、動く有吉佐和子だった。髪は短い。丸顔だが、太っているという感じではない。このときの年齢は五十三歳。現在の、世間一般の五十三歳からすると、いささか老けて見える。着物のせいかもしれない。しかし一見して、「可愛らしい人だな」と思ったのが正直なところ。ラジカセを手に、有吉佐和子は静々とタモリの待つ机まで歩く。
タモリ「お持ちしましょうか」
有吉「いえ」
 悠然と椅子に座る。
有吉「うふふ。ごめんあそばせ。思いがけないことで」
タモリ「昨日と打って変わって……。(昨日は)前戯みたいなもので……」
有吉「今、なんとおっしゃったの?」
タモリ「(小声で)前戯……」
 有吉、嘆息。おかしくて笑ってしまう。有吉佐和子の世代からしたら、真っ昼間、しかも生放送のテレビで、しかも女性を前に言うのは信じられない思いだっただろう。
タモリ「蝶ネクタイをダメと言われたので、正装してきました」
有吉「おみやげを持ってきました」
タモリ「おみやげ! それ? おみやげですか? いきなり刺すんじゃ(と身を躱す)」
有吉「わたし、犯罪はいたしません」(キッパリ)
 有吉が筒状のものからネクタイを取り出す。
タモリ「あ、これネクタイですか? びっくり箱じゃないですよね?」
有吉「蝶ネクタイが似合わないって昨日(私が)言ったから……」
 どうやら前日、電話で出演承諾の際に、この日に至る伏線があったことが見てとれる。この頃の「いいとも!」は、当日のゲストから電話で紹介された「友達」が、タモリに「それではあした、来てくれるかな?」と訊かれて、「いいとも!」と返すお約束があった。有吉はそのお約束を知っていたのか、知らなかったのか。このやりとりにも、前日ひと悶着あったのだと推察できる。
 その後は有吉がプレゼントしたネクタイピンの話と、池田満寿夫がデザインしたという着物の話に。しかし会話はスイングしない。有吉がテレビに不慣れなこともある。タモリが有吉をやたらと怖がり、何をしでかすかわからないと観客に向けてアピールする。この頃恒例だった、観客と一緒に「友達の輪!」と唱和するはずが、タイミングが合わず、結局タモリが代わりに行い、ひとまず落着した。有吉が観客とともに拍手を送る。これまでわりと仏頂面で怖い印象だったが、このときの満面の笑みは聖母を思わせた(これはヨイショではない。あの映像を見たら誰もがそう思うはず)。
タモリ「メッセージを紹介します。有島(一郎)先生から、『薬の調合を間違えないで下さいね。体をお大事に』」
有吉「誘眠剤を飲んでいるんです」
タモリ「“ユーミン”って、歌うやつですか?」
有吉「誘眠剤を飲んでいるんです。眠りを誘うと書きます。睡眠薬ではなくて。どこも危険だから売ってませんから。わたくし、小さいときから寝付けなくて。ベッドに入るといろんなことが思い浮かんできて。特に大人になってから、作家になってからは、あの人物をどうやって動かそうとか、将来どういった小説を書こうとか考えていると、興奮してしまって……十五年先の小説とか」
 有吉佐和子は大学を卒業してから一度就職した後、二十五歳で世に出ている。『紀ノ川』『三婆』『香華』『華岡青洲の妻』『恍惚の人』『複合汚染』『悪女について』『開幕ベルは華やかに』など、ベストセラーや映像化された作品は、戯曲も含めて膨大な数に上るが、この時点でもまだ尽きることのない創作力があったことが窺える。
タモリ「他にも何かお飲みになるんですか?」
有吉「それは有島先生の創作ですよ。役者ですもの何を言うかわかりませんよ」
タモリ「作家の方も」
 再び、タモリにあげたネクタイピンの話。本物の翡翠だという。「酔っ払って失くさないでね」と言う有吉に、タモリが「有吉佐和子先生と書いて額に入れます」と返す。
「この次(私が)出るときには付けてね」
 有吉佐和子が頬笑む。しかしその日が訪れないことを誰も知らなかった。
タモリ「先生、きょうはもっと私のことワンワン言って下さい」
 タモリが煽る。挑発しようとしていることがわかる。
有吉「いえ、私昨日のことは反省しているの。蝶ネクタイが似合わないと言ったら、替えて下さったでしょう。だからもう言うこと何もないわよ。あ、でもねこの番組は私好きでね、昼間うちにいるとき、殊に日本にいるときは必ず拝見してます。でもひとつだけ重大な欠点、欠陥があるわね。これだけ視聴率があって、これだけ若い人が、みなさん選挙権のある人の集まりで、日本の政治について、国際問題について、例えばイランとイラクはいまどういう有様か、ホメイニはどうなるのか。インドのガンジーが、なぜ一度選挙に落ちたか。息子がケンブリッジに留学していて、恋に落ちた相手がインドの美人なんだけど、その人はガンジーの敵対する政党だったの。坊ちゃんがそっちに付いちゃって落選しちゃった」
タモリ「そのこととこの番組はどういう関係が……」
有吉「国際問題がどうであって、その中で日本はどう対応するかをね」
タモリ「先生、それをもっと論じろと?」
有吉「六十分のうち十五分でもいいから。NHKがしょっちゅうやっているけど、つまらないのよ。おもしろくてためになることを、あなたがおやんなさいよ」
 ぐだぐだしたトークが続く。タモリが有吉の持参したラジカセに話を向ける。
有吉「後に回した方がいいんじゃないですか。時間かかるし、CMを先にやった方が……」
 この当時、テレフォンショッキングの間にCMは入らなかった。もちろん、百人アンケートもない。ここで時計を見たところ、番組が始まってから二十二分が経過しようとしていた。
タモリ「一分半ぐらいですから。先生、コマーシャルに行ってもいいかな?」
有吉「いいとも」
(CM明け。ふたりとも立っているが、その後座る)
タモリ「ゲストの勝手な判断でCMに行ったり……」
有吉「何度もコマーシャルって申し上げたじゃない」
タモリ「あれ? 何ですか、これ? 落ちましたよ。五十円……本が一冊売れるとこのぐらい入るんじゃ」
有吉「(無視して)お電話の方が先じゃないの。順序として」
タモリ「あ、お電話先に行きますか? じゃあお電話を」
 ここで有吉は手帳を取り出す。最初は秦野章(元警視総監、前法務大臣)の名前を挙げたが、作家の橋本治氏に自ら電話をする。途中まで誰にかけたのか、有吉は言わず、「大学紛争のとき、『とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている』を作った」と言うと、タモリが橋本治とわかった。ここらへんも、事前の打ち合わせがあったと見るほうが妥当か。タモリの「どんな感じですか?」という呼びかけに、橋本氏は「異様におかしい」と返すが、それほどではないと思う。滞りなく、「いいとも!」とコールをし、観客から拍手があがる(『タモリ論』でも記しているが、その後橋本治は著書『恋愛論』で、「あの日あの番組は、有吉佐和子で全部通すことになっていた」〔下線部分、原文は傍点〕と明かす)。
 本来ならこの後、翌日のゲストにメッセージを残して、コーナーは終わるはずだったが、ここから有吉佐和子が“暴走”する。
タモリ「先生、ついでにメッセージも……」
有吉「何? メッセージって。(ブスッとして)私、しょっちゅう会ってるもん」
タモリ「一応番組の形式なんで、何でも結構です」
 しかしタモリは有吉の伝言をメモしない。代わりに書いたのは、当時これも恒例だった女性器のマーク。タモリはこの頃、ゲストの隣でこれを書いて、リアクションを愉しむことをお約束としていた。
有吉「書いていないじゃない。あなた何? やーね」
 やおらそのメモを取り上げ、フロアに棄てる。観客からどよめきの声があがる。
有吉「これを見せたら大変ですよ。あなたのためを思ってしたことです。ああいうことをあなたしちゃダメよ。本当にお止めするわ」
 恐縮するタモリ。
有吉「あなたの家は素晴らしいお家で、あなたのこと洗い上げたのよ。素晴らしい家ね」
タモリ「洗い上げたんですか」
有吉「下野、陸奥、越前、筑後……」
タモリ「はい、わたし筑後の出身で」
有吉「森田一義。あなたの先祖は……三河に国学者で有名なね、江戸の前ですね、モリタミツヨシという人がいるの」
タモリ「私と一字違い」
有吉「この“義”という字は代々つけているんじゃない?」
タモリ「はいそうです、多いですね」
有吉「あなたのひいおじいちゃんか、その上の代がこの人で、あなたはその末裔じゃないかしら。だから文学的な素養がおありになってね。作詞をしているでしょ」
タモリ「はい。応援歌を」
 有吉佐和子は持ってきたラジカセをかけて、タモリが作詞をした早稲田大学の応援歌「ザ・チャンス」を、観客とともに歌いましょうと呼びかける。会場からは即座に「いやだー」とブーイングが上がる。しかし有吉は一向に気にせず、タモリとともに顔を寄せ合い歌う。

今来たぞ 沸き上がるこの時が
空気をふるわせ やって来た
大空狭しと 声高らかに
時のすきまに くさびうて

 この歌は三番まであるが、一番を歌い終えたところで、タモリが「ありがとうございましたー!」と、有吉を帰すために拍手。観客も手を叩く。それと同時にさんまが登場。場内大歓声。即座に「明石家さんま」とスーパーが出る。
有吉「こんにちは。はじめまして」
さんま「こんにちは(深々とお辞儀)」
 タモリが汗をかいていたため、脱いでいたジャケットをさんまにかける。
さんま「(声色を変えて)帰ってよ!」
 場内大爆笑。これはこの頃さんまが「オレたちひょうきん族」でやっていた定番ギャグ(タモリがやたらとハンカチで拭いていたのは、脱いだジャケットをさんまにかけるための伏線だったのだろうか?)。
 さんまはすぐにこのギャグを終えると退場。有吉はまた歌いましょうと呼びかける。
タモリ「時間が……他のコーナーもやらないと。先生、もう(テレフォンショッキングのコーナーが始まってから)三十五分経ってますよ!(註・実際は三十四分弱)」
有吉「他のコーナーでも歌えばいいじゃない。さんまさん! さんまさん!」
(さんま再登場)
有吉「あなた譜が読める?」
さんま「いや……」
(タモリが再びジャケットをさんまにかける)
さんま「帰ってよ!」。場内大爆笑(同時に、さんまが手を合わせて頭を下げる)。
有吉「私も関西の人間やけど、(有吉が生まれ育った和歌山弁で)あなたほんまにお客さんに向かって、帰れいうの?」
 有吉はこのギャグを知らないらしい。タモリがまたジャケットをかける。
さんま「帰ってよ!」。大爆笑。
有吉「お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに習った?」
タモリ「ダメだろ」
さんま「失礼なのはわかっているんですけど、我々、クセっていうか、(タモリがジャケットかける)帰ってよ!」
 タモリとさんまの息がぴったり。仕掛けられたハプニングなのだが、ふたりとも面白いし、何より巧い。番組がやっと盛り上がる。
 有吉、さんまに向かって、
「一緒に歌いましょう。これ四拍子だから、ギャーギャー歌えばいいのよ」
タモリ「CMに」
有吉「どうぞどうぞ」
(再びCM入る。明けるとタモリ、有吉、さんまのスリーショット。三十七分過ぎ)
有吉「会場のみなさまもお歌い下さい」
タモリ「えー、番組のハイジャックが続いております」
有吉「会場のみなさん、歌詞はこれです。簡単でしょう?」
(有吉が会場に向かって、一番の歌詞を朗読)
さんま「僕は先生についていきますから」
タモリ「出すぞ、これを(ジャケットを手にして)」
有吉「脅迫ね、それ」
タモリ「どっちが」
 有吉が音楽を流す。タモリが曲に合わせてメチャクチャに踊り、会場を煽る。歌が終わる。
タモリ「有吉佐和子さんでした!」(拍手のなか、タモリがまたさんまにジャケットを)
さんま「帰ってよ!」
 次のコーナーに出演予定の芥川隆行(元アナウンサー、ナレーター)が登場。ここでもすぐにスーパーが出る。
有吉「じゃあ、あのお邪魔しました」
タモリ「ありがとうございました!」
 有吉、すんなり帰らず、途中、テーブルの花を見て、
有吉「何でしょうこれ?」
タモリ「ファンの方からの花束です。私お見送りしますので、二人でやっててください」
 タモリが有吉を取りなしてようやく退場。画面にはさんまと芥川のツーショット。
芥川「えらいもんでんな。なんといっても“恍惚の人”だから。たいしたもんで……」
 タモリ、すぐに戻ってくる。三人でトーク、CMに入る。十二時四十二分前。
 タモリ、さんま、芥川、青年隊の他に、俳優の伊藤克信、タレントの木ノ葉のこ、当時の金曜レギュラーが勢揃いする。残り少ない時間でどのコーナーをやるか協議。「青年隊の連続ドラマ劇場」に決まるが、それを主張していたはずの木ノ葉のこがタモリに「タモリさん、きょうリハーサルしていないから台本が……」
タモリ「適当にやればいいんだよ!」
 このやりとりが、この日の放送は「有吉佐和子で全部通すことになっていた」、決定的な証拠と言えるだろう。
 CMを挟んでエンディングに。
 さきほどのレギュラー陣に加えて、有吉佐和子も再登場。
有吉「私があちら行っちゃった後ね、(どうして)あんなドタバタしてらしたの?」
 ここでも有吉自身がネタバレを明かす。
有吉「後でやればいいと私、申しましたでしょ」
芥川「“有吉台風”のおかげです」
さんま「私きょう出てきてね、喋ったの『帰ってよ!』だけですよ。先生についていきます」
 コスプレをした芥川「これはねむかし、(持っているペットボトルをペコペコと押して)華岡青洲が使った注射器」
タモリ「素晴らしいギャグでございました。それでは来週も見てくれるかな?」
会場「いいとも!」
 番組終了。

 以上です。いまこうして書き記していても、唖然としてしまう。
 さんまは有吉佐和子に向かって「死ねババア!」などとは言ってなかった。
 有吉は観客にメモを回していない。手帳を取り出しただけなのに、観客にメモを回したと、私の記憶がすり替わっていた。
 有吉佐和子はイッちゃってなかった。終始冷静で、声を荒らげることもなかった。単に、テレビ番組の立ち振る舞いというか、空気を知らなかっただけだ。
 放送禁止用語もない。現在オンエアしても、放送できないシーンは一秒もない。
 事実誤認をした本人がどの口で言うかと顰蹙を買うだろうが、手遅れなので言わせて下さい。
 つまんないの。
 全部、長い歳月を経ての妄想、そして幻想だった。
 何と味気ない。夢は夢のままにしておきたかった。見ていなければ妄想を逞しくできたのに。伝説とは案外こんなものかと、拍子抜けした。
 しかし、ああ、この映像を、『タモリ論』を上梓する前に観ることができていれば……と思った。
 なぜ、「有吉いいとも!事件」は、現在まで間違った形で、自分も含めて語り継がれてきたのか? 私個人の考えとして、三つの理由があると思う。
(1) 「いいとも!」出演からわずか二ヶ月後に、有吉佐和子が急逝した。これが何と言っても最大の理由ではないか。有吉自身が、「タネ明かし」をする機会を失ってしまった。
(2) 山田風太郎『人間臨終図巻』の影響。
 著者の山田風太郎は伝奇小説ほか、多ジャンルにわたる作品を書いてきた大作家だが、『人間臨終図巻』は最高傑作のひとつで、古今東西の千人近い著名人の死に際を記した大著だ。私はこれまで発表したすべての小説の奥付に元ネタや影響を一覧してきたが、『人間臨終図巻』は全作品にクレジットしてきた。それほど私の小説の文体と人物評価の絶対基準と言えるほどの影響を受けた作品である。引いてみよう。

 また六月二十二日のテレビ番組「笑っていいとも!」に出演したが、十五分前後の自分の分担時間が終っても委細かまわず一人でしゃべりまくり、司会のタモリが伝言メモをわたして注意してもそれを破りすてて、いいたい放題やりたい放題の独演ぶりを発揮してみなを唖然とさせた。
(中略)屍体は、東京都監察医務院に運ばれて解剖に付され、精密な検査を受けたが、その結果「死因は不詳」と発表された。ふしぎなことである。

『タモリ論』の中で有吉さんの「死因は不詳」と記したが、それは間違いで、都監察医務院が「心機能不全」と断定しています。これも『人間臨終図巻』からだった。魔界にいらっしゃる風太郎先生、罪をなすりつけて申し訳ありません!
(3) 有吉佐和子が出演した番組が、他ならぬ「笑っていいとも!」だったから。
 これが現在、とっくに終了している他のバラエティ番組やワイドショーだったら、伝説がここまでひとり歩きをし、肥大化していなかっただろう。フジテレビがいちばん元気で、「楽しくなければテレビじゃない」、イコール楽しくなるなら何でもやろうと、積極的なアティチュードを持っていた時代だった。いくら相手が大作家とはいえ、生放送の番組を一時間まるごとやらせようとするなんて、無謀と紙一重の、今では考えられないチャレンジ精神と言える(註 この数ヶ月前に、番組からの要請で黒柳徹子がテレフォンに長時間出演)。タモリと明石家さんまという稀代の天才がそばにいれば大丈夫と踏んでいたのか。有吉も番組から依頼され、期待に応えようと律儀に構成を考え、ラジカセを携えて出演した。局側も有吉佐和子をタレントとして売り出したいという意図があったのではないか。いろいろと勘繰ってしまう。だがしかし、プロデューサーの横澤彪さんは鬼籍に入ってしまったため、真相は永遠に藪の中だ。

 話を戻そう。ひとり娘の玉青さんにとって、この放送が事実とは違う伝わり方をしたことは長年の悩みだっただろう。その御心痛は察するに余る。「死ねババア!」発言などなかったと、明石家さんまさんに対してもお詫びして訂正します。そして何より、有吉佐和子さんご本人にお詫び致します。私のこの記事で、「有吉いいとも!事件」はなかったのだと、伝説を打ち止めにしたい(残念なのは今回の件で『タモリ論』のすべてのエピソードが嘘だと思われることです)。
 そして、ここがいちばん肝心なところですが、誤解して頂きたくないのは、私に有吉佐和子を貶めようとする意思などなかったということです。長嶋茂雄や勝新太郎に惚れ込んだ人たちが敬愛するあまり、彼らのエピソードを面白おかしく膨らませて語るのと同じように、私も有吉佐和子の「いいとも!」出演の回を著書にしたためました。それだけは、どうかわかって下さい。
 二〇一四年、有吉佐和子は没後三十年を迎える。各出版社から大々的なキャンペーンが行われるに違いない。
 思えば長年敬愛しているタモさんに捧げたくて、『タモリ論』を上梓したその年に、「笑っていいとも!」が終了することが発表された。拙著の奥付に何度かその名前と作品を記した有吉佐和子について、こうして書くことになるとは、先生に導かれていたような気がする。
 玉青さんにとって、「有吉いいとも!事件」は思い出したくない、母佐和子を誹謗するものと思われているだろうが、私が有吉佐和子の本を手に取るようになったのは、子供の頃に「笑っていいとも!」に出た彼女を見たからだった。テレビにはやらせや演出があると知っている現在の視点から見ればたいしたことはなかったかもしれない。しかしプロレスと同じで、虚実を超えたものがそこにはあった。十三歳の少年に、後々までに鮮烈な印象を残すほど、あの日の「いいとも!」は、尋常ならざる光景に映った。
 だから私は作家になれた。『タモリ論』を書けた。
 タモリさんと、明石家さんまさんと、有吉佐和子さんと、そして「笑っていいとも!」に感謝したい。


くだらないことばっかみんな喋りあい/本当は分かってる、
2度と戻らない美しい日にいると/いつの日か oh baby 長い時間の記憶は消えて
(小沢健二“さよならなんて云えないよ”より)

著者プロフィール

樋口毅宏

ヒグチ・タケヒロ

1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。小説作品に『民宿雪国』『日本のセックス』『雑司ヶ谷R.I.P.』『二十五の瞳』『テロルのすべて』『ルック・バック・イン・アンガー』『愛される資格』『甘い復讐』『ドルフィン・ソングを救え!』『太陽がいっばい』が、また新書『タモリ論』、コラム集『さよなら小沢健二』、『おっぽいがほしい! 男の子育て日記』の著作がある。

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