左翼も右翼もウソばかり
836円(税込)
発売日:2015/09/17
- 新書
- 電子書籍あり
「主義」という病。気鋭の若手論客が巷のウソをメッタ斬り!
もうウソにはうんざりだ。いかに事実と異なろうとも、人は見たいものを見てしまう。「日本は戦争前夜」「若者が政治に目覚め始めた」「福島はまだ危険だ」「中国はもう崩壊する」……左翼は常に危機を煽り、右翼は耳に心地いい情報だけを信じる。巷にあふれる言説の多くは、論者の身勝手な「願望」の反映に過ぎない。注目の若手論客が、通説・俗説のウソを一刀両断! 騙されずに生きるための思考法を提示する野心作。
書誌情報
読み仮名 | サヨクモウヨクモウソバカリ |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-610637-8 |
C-CODE | 0236 |
整理番号 | 637 |
ジャンル | 社会学、ノンフィクション |
定価 | 836円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/03/11 |
インタビュー/対談/エッセイ
思想的内戦の時代に
かなり前に読んだ或る記事で、外国人から見た日本のコーヒー事情というのがあった。「日本は不味い100円の缶コーヒーと、一杯500円の喫茶店の高いコーヒーの2種類しかない。気軽に飲めるその中間はないのか」。その後、2013年にセブン-イレブンが「セブンカフェ」と称し100~180円位のセルフの本格コーヒーを提供しだした所、空前の大ヒットとなった。いまや他のコンビニもこれに続々追随する。缶コーヒー以上・喫茶店未満の手軽でいて美味しい「中間」路線には膨大な需要があった。セブンカフェは日本のコンビニの常識を変えた。
ところが最近、政治の世界ではこの「中間」路線がなくなりつつある。国会前では「NO安倍」のプラカードが乱舞し安倍総理が呪詛される一方、ネット空間では彼らを揶揄する右派が見るに堪えない罵詈雑言を書き込んでいる。
思想的内戦、と呼ぶに現在の状況はふさわしい。左派は自民党やその支持者を「ネトウヨ」と蔑み、右派は反安倍と反自民の人々を「反日サヨク、売国奴」と罵る。いつから左右の両極がこんな泥仕合を始めたのか。声の大きな人が高い戦闘力を持つネット空間がこの「内戦」を激化させたことは間違いないが、問題はその「声の大きな変人」を誰も止めず、あまつさえ持ち上げてきたことに起因するだろう。「常識的に考えて」略してJKというのが、ゼロ年代の一時期までネット空間の古典的結句だったが、今やこんな決まり文句は絶滅している。変人が騒ぐのを嬉々として取り上げるメディアと、それを制止すること無く便乗する言論人、どちらも悪い。常識的な中間層は毎週デモに参加したり毎晩ネットに呪詛の書き込みを行ったりしない。
拡声器からの絶叫も、動画のコメントで流れるヘイトスピーチも、中間層には届いていない。そんなことよりも今日の晩飯、明日の納期、来月の支払いの方が余程重大問題だ。こんな当たり前の「普通」の日本人が感じたり、考えたりすることを上手く言語化するのが書き手の役割だと思うが、そういう種類の人間はどんどん減っている。どちらか極端にした方がモノが売れる、という間違った思い込みがあるのだろう。或いはそう思いこむうちに「ポーズ」が本気になってしまった「ミイラ取りが……」の事例も少なくない。
「安倍政権を支持しますか、しませんか」という踏み絵。選択肢はYESかNOかの二択。場合によってYES或いはNOという回答はない。シンガポールを占領した山下将軍の強要でもあるまいに、「その中間はないのか」と何時も困惑する。
中間を認めない左翼も右翼も、もはや信頼するに足りない。「秒速で1億円稼ぐ」という極端な主張には大抵ウソが混じっているのと同様に、左右の極端な主張は、自陣営に都合の良い、勝手な願望に基づいたウソで塗り固められている。「無党派以上左右未満」という中間派の良識ある日本人が、いま声を上げるべきではないか。
(ふるや・つねひら 著述家)
波 2015年10月号より
蘊蓄倉庫
もう多くの人が忘れていることでしょうが、昨年末、自民党が圧勝した総選挙で、事前の予想は必ずしも「自民有利」ではありませんでした。特に安倍政権に批判的なメディアは「自民全滅」とか「過半数すら危ない」といった危機予想をしていたのです。
実際は世論調査で、自民有利と出ていたのですが、これらのメディアはそこに自分たちなりの味付けをして報じていたのです。
この味付けの正体を、『左翼も右翼もウソばかり』では、論者の「願望」である、としています。「負けて欲しい」がいつの間にか「負けるはず」という予想にすり替わってしまったというのです(どれだけトンデモな予想があったかは本書で詳しく紹介しています)。
本書は「願望」によって現実から離れてしまった言説を次々に斬っています。騙されずに生きるための思考法を提示した野心作です。
担当編集者のひとこと
「主義」からの自由
この本の著者の古谷経衡さんはまだ30代前半で、いわゆる「若手論客」とされる人の一人です。
古谷さんの魅力の一つは「主義」から自由であることではないか、と思います。
ある種の「論客」「文化人」は、自覚的であるかどうかは定かではありませんが、「主義」から逃れられません。
あるニュース番組は、政府のやることについては「否定」「懸念」「溜息」と共に伝えると決めているように見えます。
「政府はこう言っているんですが、どうですか●●さん」
「そうですねえ。もちろんそういう面もあるんでしょうが、しかしどうも大事なことが抜け落ちているんじゃないか。そんな気がします」
「なるほど。果たして本当に国民の声は届いているんでしょうか……(思わせぶりな一瞬の沈黙)ではスポーツです!」
だいたい、こんな感じのやり取りでしょうか。
冷静に考えれば、政府はいいことも悪いこともやっていると思うのですが、どうもそういうスタンスだと「ジャーナリズムではない」という強い思い込みがあるようです。
たまたまニュース番組を例にしましたが、何となくこういう感じの偏りは、左右いずれのメディアにもあるようで、これが特に近年国民に嫌われているところではないかと思います。
古谷さんは、いわゆる「保守論壇」というところでの発言が多いのですが、決して「主義」を先に立てて議論をしません。できるだけ事実を冷静に見ようとしています。だから私のような普通の人には腑に落ちるところが多くあります。
この本では「若者が政治に目覚め始めた」「日本は戦争前夜だ」「安倍政権は危険だ」「福島は危ない」「若者が草食化した」「中国は滅亡する」といった俗説のウソを次々に斬っています。これらの言説は、論者の願望の反映に過ぎない、と古谷さんは喝破します。
左右いずれの論にも、微妙な違和感を持つ人にぜひ読んでいただきたい一冊です。
2015/09/25
著者プロフィール
古谷経衡
フルヤ・ツネヒラ
1982(昭和57)年札幌市生まれ。著述家。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。インターネット、ネット保守、若者論などを中心に言論活動を展開。著書に『若者は本当に右傾化しているのか』『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』『左翼も右翼もウソばかり』など。