
決定版 日中戦争
968円(税込)
発売日:2018/11/16
- 新書
- 電子書籍あり
「なんとなく」始まった戦争が、「ずるずると」続いたのはなぜなのか。最新の知見で描き出す「失敗の本質」。
日中戦争は近代日本の対外戦争の中で最も長く、全体の犠牲者の数は日米戦争を凌駕する。なぜ、開戦当初は誰も長期化するとは予想せず、「なんとなく」始まった戦争が、結果的に「ずるずると」日本を泥沼に引き込んでしまったのか。輪郭のはっきりしない「あの戦争」の全体像に、政治、外交、軍事、財政などさまざまな面から多角的に迫る。現代最高の歴史家たちが最新の知見に基づいて記す、日中戦争研究の決定版。
第一部 戦争の発起と展開
参考文献
書誌情報
読み仮名 | ケッテイバンニッチュウセンソウ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-610788-7 |
C-CODE | 0221 |
整理番号 | 788 |
ジャンル | 歴史・地理、歴史・地理 |
定価 | 968円 |
電子書籍 価格 | 924円 |
電子書籍 配信開始日 | 2018/11/23 |
蘊蓄倉庫
負けた気がしない敗戦
多くの日本人にとって敗戦とは、太平洋戦線における米軍に対する惨敗であり、中国戦線での敗北ではありませんでした。中国戦線で航空部隊を率いた遠藤三郎元少将は「私自身従軍して直接戦った戦闘では一度も敗けた経験はありません故、心底から敗けたとは思いませんでした」と自身の回想録に記しています。同じ「あの戦争」でも、アメリカに圧倒的にやられた太平洋戦線とは違って、日中戦争を戦った兵士達には「敗北感」が乏しかったのです。
掲載:2018年11月26日
担当編集者のひとこと
「あり得たかも知れない過去」を想像する
本書の執筆者五人のうち四人は、2006年から開始された「日中歴史共同研究」の日本側委員でした。共同研究では当初、国際関係や経済の動向、国内政治との関連といった広い視点での議論の重要性が指摘されていましたが、日中戦争期の記述に関しては「日本側が侵略者、中国側が抵抗者」という基本的立場を崩さない中国側との溝は埋まらず、それはかないませんでした。
共同研究は2010年に報告書を公表して終了しましたが、そこで得られた成果を踏まえつつ、最新の知見に基づいて多様な側面から日中戦争を論じる試みとして執筆されたのが、この『決定版 日中戦争』になります。
開戦当初は誰も長期化を予想せず、日中双方共に宣戦布告すらしなかった戦争が、なぜずるずると続いてしまったのか。対ソ戦を意識し満洲に地盤を築こうとする関東軍。第二次上海事変の際に頭に血が上った海軍。大陸で進行する事態を沈静化させようとしながら追認するしかない日本政府。抗日戦争を「世界化」することで日本を追い詰めようとした蒋介石。こうしたアクターたちの思惑と行為が、ドラマのように連鎖していきます。
本書は「偉い先生」たちが書いた「教科書っぽいタイトル」の本なので、「読みにくいのでは」と誤解される可能性もありますので読みどころをお伝えしておくと、本書でひとつ特徴的なのは、「あり得たかも知れない別の選択肢」の可能性がしばしば垣間見えてくることです。
例えば、「北支事変」が「支那事変」と名を変え、ずるずると日中戦争へとなだれ込んでいくきっかけとなった第二次上海事変。
元々陸軍は、対ソ戦に備えるために、中国との全面戦争は望んでいませんでした。また、海軍も当初は上海周辺の限定攻撃しか考えていなかったものの、「全面戦争」のシナリオは事前に用意。海軍の上海特別陸戦隊の隊員が殺される「大山事件」が起こると、海軍は「だんだん狼になりつつある」(外務省東亜局長の石射猪太郎)、「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引摺って行ったもの」(石原莞爾)とイケイケ状態になり、結局は「シナリオ通り」の戦いが進んでしまった。
南京爆撃まで開始される事態に「目的は判然たるものなりや」(高松宮)と疑問を呈する声もありましたが、結局は戦いが継続されてしまう。また、「大アヂア主義の人」(同)である松井石根大将が上海派遣軍の司令官となり、最初は上海付近に限定されていた戦域も、結局現地軍が独断専行する形で首都・南京への進撃が進み、「南京事件」も起きてしまいました。
海軍が自重していれば。陸軍が当初の作戦通りに戦域を上海付近に限定していれば。日本との戦いを「国際問題」にすることで最終的な勝利を目指した蒋介石の意図に、日本が真面目に向き合っていれば。事態の展開は異なっていたかも知れない──。そういう想いが、歴史家の淡々とした筆致を追っていく中で、自然とわき上がってくるのです。
もう一つ。対米戦争が始まる前の日米交渉では、日本陸軍は中国での「防共駐兵」を一貫して主張していました。これは、日本軍が中国に居座り続けるための理屈ではありますが、華北地区への共産勢力の浸透があったのは事実です。日本軍が去った後はソ連が満洲に駐屯することになり、中国そのものが共産党の手に落ちたことを考えれば、「防共駐兵」にも一理はあった、と言えるのです。
実際、50年代の日米開戦研究では、アメリカは中国の「日本の侵略からの解放」という目標を優先し、それには成功したが、それによって大きな利益を得たのは共産主義者であるとして、「防共駐兵」に理解を示しているアメリカの研究者もいます。
また、前出の石射猪太郎は1938年9月、「国民政府を対手とせず」声明を出した第一次近衛内閣の外務大臣だった宇垣一成に、以下のような意見書を出しています。
「蒋介石の下野を強制してはならない。たとえ蒋介石政権を打ち倒したとしても、その後の政権は『弱体政権』たるを免れず、経済は破綻し、国内に惹起せらるる混乱無秩序はその極に達し、その間、もっとも攪乱に成功するものは組織とイデオロギー持つところの共産党なるや必せり」
「共産党の背後にソ連あるを思うとき、これが平定には長年月と盛大な犠牲を払わせられ、日支提携による東亜の安定はおろか、経済開発等も実現困難に陥るべし」
政府の中にも、ここまで見通していた人がいたのです。しかし、日本は戦争に負け、蒋介石も共産党に負け、いま日本は共産中国との関係に苦慮している。
明治150年の歴史は、隣国中国と安定した関係を築けなかった歴史でもあります。このことを念頭に、「ありえたかも知れない可能性」に思いを馳せつつ、時々はページを繰る手を止めながらお読み頂ければ幸いです。
2018/11/26
著者プロフィール
波多野澄雄
ハタノ・スミオ
1947年生れ。筑波大学名誉教授。
戸部良一
トベ・リョウイチ
1948年生れ。防衛大学校名誉教授。
松元崇
マツモト・タカシ
国家公務員共済組合連合会理事長。
庄司潤一郎
ショウジ・ジュンイチロウ
防衛研究所研究幹事。
川島真
カワシマ・シン
東京大学教授。