女系図でみる日本争乱史
792円(税込)
発売日:2019/09/14
- 新書
- 電子書籍あり
壬申の乱も、応仁の乱も、関ヶ原合戦も、戊辰戦争も、み~んな身内の争いだった! 日本史の謎を鮮やかに解き明かす。
みんな身内の争いだった——母親が誰かに注目した「女系図」を丹念に読み解けば、日本史のややこしい部分がすべてクリアに見えてくる。なぜ中大兄皇子は長い間天皇に即位しなかったのか、応仁の乱の本当の原因は何だったのか、徳川慶喜はなぜ戦わずして降伏したのか。乙巳の変(大化の改新)、新羅親征、壬申の乱、平将門の乱、関ヶ原合戦、戊辰戦争等、日本の転機となった争乱の見方が一変する一冊。
参考原典・主な参考文献
書誌情報
読み仮名 | オンナケイズデミルニホンソウランシ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 波から生まれた本 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-610831-0 |
C-CODE | 0221 |
整理番号 | 831 |
ジャンル | 歴史・地理 |
定価 | 792円 |
電子書籍 価格 | 792円 |
電子書籍 配信開始日 | 2019/09/27 |
蘊蓄倉庫
徳川慶喜と明治天皇
戊辰戦争において、徳川慶喜はなぜ鳥羽・伏見の戦い後、兵を置き去りにして江戸へ逃げ帰ったのか、という謎があります。
慶喜の母は有栖川宮の娘で吉子女王。徳川において、天皇家の血筋を継いだ初めての将軍、しかも正妻腹は家康、家光以外は慶喜だけと、大変に特殊な将軍でした。そして明治天皇の正妃は、慶喜の妻の義妹でした。
後年、孫同士が結婚した慶喜と明治天皇は、酒を酌み交わしたそうです。明治天皇は「やっと今までの罪滅ぼしができた、慶喜の天下を取ってしまったが、今日は酒盛りをしたら、互いに浮世のことで仕方が無いと行って帰った」と伊藤博文に語ったといいます。
明治天皇の「罪」の意識は慶喜が身内だったからこそ。慶喜は武家というよりも公家に近い立場だったのだと思うと、戊辰戦争の謎の一つがするりととけた気がします。
掲載:2019年9月25日
担当編集者のひとこと
結婚! 結婚! 結婚!
初代神武から50代の桓武までの天皇の妻の数を、グラフ化した表を見て驚きました。8人以上の妻を持つのは、著者が指摘するように、その治世において大きな事変が起きている天皇ばかりなのです。桓武にいたっては妻の数が26人(27人、30人説もあり)ですから、どれだけ不安定な治世であったのかが窺い知れます。新政権を打ち立てると権力基盤が脆弱なため、いつ旧勢力下の人々に足をすくわれるやも判りませんから、それを抑えるには旧勢力の娘と婚姻を重ねるのが不可欠であると著者は指摘しています。
天智と天武、兄弟である彼らの系図も異様です。娘と息子を娶せること5組、天武自身、兄の天智の娘四人までを娶り、そこに生まれた皇子をさらに天智の娘と結婚させる。そうまでして結びつきを強めたのは、容易に敵に変わりうることを実感していたからで、やがてくる壬申の乱を何とかして防ぎたかったからなのでしょう。
驚きの系図、図表による究極の見える化で、日本史の分岐点となった幾多の争乱の謎が次々に明らかになります。
2019/09/25
著者プロフィール
大塚ひかり
オオツカ・ヒカリ
1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻(以上、ちくま文庫)、『本当はエロかった昔の日本』(新潮文庫)、『女系図でみる驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』『毒親の日本史』(以上、新潮新書)、『くそじじいとくそばばあの日本史』(ポプラ新書)、『ジェンダーレスの日本史』(中公新書ラクレ)など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。