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大河歴史ロマンの大古典。大きな文字でついに登場!

《新潮日本古典集成 別巻》南総里見八犬伝 9

曲亭馬琴/著 、濱田啓介/校訂

2,916円(税込)

本の仕様

発売日:2004/01/30

読み仮名 ナンソウサトミハッケンデン09
シリーズ名 新潮日本古典集成
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 446ページ
ISBN 978-4-10-620391-6
C-CODE 0393
ジャンル 全集・選書
定価 2,916円

親兵衛は里見家の正使として入京し使命を果す。その智勇を愛した管領は、親兵衛の帰国を許さず館に幽閉する。武芸の名手との試合に全勝した親兵衛は、掛軸から抜け出た霊虎退治を頼まれる――。

著者プロフィール

曲亭馬琴 キョクテイ・バキン

姓は瀧澤、名は興邦、のちに解。明和4年(1767)6月9日生まれ。終生江戸に住んだ。父は旗本松平信成の用人。九歳で主家の孫君に仕えるがうまくいかず、十三歳で出奔。その後十数年は流浪の人生を送る。二十四歳で山東京伝の門人となり、戯作の道に入る。二十七歳で下駄屋の未亡人お百と結婚、武士の身分を離れ町人になる。そして、四十八歳から七十六歳まで、二十八年をかけて『南総里見八犬伝』を完成させた。完結から六年後の嘉永元年(1848)没。享年八十二。

濱田啓介 ハマダ・ケイスケ

昭和5年、東京生れ。京都大学名誉教授。花園大学客員教授。京都大学博士(文学)。平成6年、『近世小説――営為と様式に関する私見』により角川源義賞(第16回)を受賞。

書評

波 2003年6月号より 伏姫からナウシカへ  曲亭馬琴『南総里見八犬伝』(全十二巻)

小谷野敦

 日本の「文学史」というものは、他のどこの国にも見られないほどはっきりした時代区分の上に書かれ、考えられている。古代、中世、近世、近代、あるいは平安時代を「中古」と呼ぶ類である。西洋ではギリシャ、ローマの古代文学があって、ルネッサンス頃から各国文学が生まれる。アジア諸国では、近代と前近代程度の区分しかない。シナはもっと詳しく書けるけれど、「物語」というものが日本ほどに高度に発達しなかった。
 そこで私たちは「近代文学」というものが、明治維新の後に始まったものだというふうに漠然と考えていて、それは間違ってはいないのだが、私の考えでは、徳川時代、十八世紀頃から、既に近代文学の芽はあった。つまり、竹田出雲や近松半二の時代もの浄瑠璃、為永春水の人情本、そして曲亭馬琴の読本である。近松門左衛門や西鶴ではないのか、と言う人がいるかもしれない。けれど、私はここで、長編の構成力ということを考えているのだ。西洋のノヴェルというものは、『ドン・キホーテ』がその先駆的なものだが、これなどから影響を受けつつ、十八世紀英国に始まり、十九世紀前半に、大デュマやスコット、ディケンズ、バルザックを生んだ。彼らを特徴づけるのは、主に長編を書いたということである。門左衛門や西鶴には、残念ながら長編の構成力がない。多数の登場人物を用い、複雑に入り組んだ筋立てを運ぶということをしたのは、浄瑠璃では出雲や半二のグループであり、だから彼らの作は、今なお数多く歌舞伎でも上演されている。そしてこれを読み物に置き換えて目ざましい成功を収めたのが、馬琴なのである。浄瑠璃には「時代」「世話」という区分があるが、前者は、馬琴、講談を経て吉川英治のような歴史小説に繋がり、後者は「家庭小説」を経て恋愛小説になった。
 けれど、近代の文学者たちは、森鴎外や三島由紀夫、山田風太郎のような例外を除いて、馬琴を否定した。その代表作『南総里見八犬伝』でいえば、主人公たる八犬士が「仁義八行の化け物」であって、そこに「人情」が描かれていない、と言ったのは坪内逍遥である。逍遥が人情と言ったのは「恋愛」のことらしいのだが、かといって「恋愛」を描いた人情本は、逍遥にとっては「猥褻」だった。けれど、『八犬伝』にだって、網乾左母二郎が、密かに思いを寄せていた浜路が嫁入りすると聞かされて狼狽し、悪女舩虫が、夫の仇として犬田小文吾をつけ狙い、あるいは男色家の管領細川政元が、美少年の犬江親兵衛を手元に置くため軟禁するなど、人情も描かれている。と同時に、「恋愛」が描かれなければ文学ではないという見方自体、西洋近代のイデオロギーというものではないか。それから、明治後半以降は、十九世紀後半の西洋の文藝の「深遠な思想」を秘めたものが持て囃されたために、いよいよ馬琴は読まれなくなっていったのだ。古典というものは、それなりに、その時代の知識人が褒めなければ読まれない。そのいい例が、敗戦後の『太平記』の人気の低下である。
 馬琴の読本は、しかし十分にエロティックでもある。同じ馬琴でも、『近世説美少年録』となると、さらに人間性への凝視は鋭い。『八犬伝』の、八人の主人公というアイディアがなければ、黙阿彌の白浪五人男(『青砥稿花紅彩画』)も松林伯円の天保六花撰も、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』も生まれなかっただろうし、伏姫という処女にして神女のイメージがなければ、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』も生まれなかっただろう。実際、大人たちが『八犬伝』を見捨てても、子どもたちはこれを読み継いできた。その結果として、一九七三年からNHKで放送された人形劇『新八犬伝』のヒットがあったのだ。この時の人形は辻村ジュサブロー(現・寿三郎)だったが、当時人形操演を担当していた伊東万里子さんは、いま「劇団貝の火」で、川本喜八郎の人形を使い、その舞台となった千葉県安房郡や東京都内で、ときどき『八犬伝』を上演している。インターネット上には、「伏姫屋敷」というサイトがあって、とても詳細に、細かな考察がなされており、ファンは必見である。『八犬伝』は、確かに後半部がだれている。けれどそのだれた所も面白く読めることは私が『八犬伝綺想』(ちくま学芸文庫)に書いておいた。
 要するにサブカルチャーではないかと人は言うだろうか。それでいいではないか。荒唐無稽というなら、歌舞伎だってサブカルチャーである。しかも、文学に序列をつけるのはやめよう、と言っている学者も多い。江戸開府四百年で、改めての江戸ブームだと言うし、ファンタジー・ブームでもあると言うのだから、『八犬伝』を読まないのはもったいない。第一これは、「声に出して読む」とさらに面白いのだから。試みに「されば又、犬飼見八信道は、犯せる罪のあらずして、月来獄舎に繋れし、禍は今恩赦の福、……」と声に出して読んでごらんなさい。

(こやの・あつし 文芸評論家)

目次

 凡例
第九輯下帙之中(続き)
巻之二十二(第百三十二回・第百三十三回)
巻之二十三(第百三十四回・第百三十五回)
第九輯下帙之下甲
八犬伝第九輯下套下引
巻之二十四(第百三十六回・第百三十七回)
巻之二十五(第百三十八回・第百三十九回)
巻之二十六(第百四十回・第百四十一回)
巻之二十七(第百四十二回・第百四十三回)
巻之二十八(第百四十四回・第百四十五回)
 解説 『八犬伝』の用字・語彙

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