新潮社

吉本ばなな『キッチン』刊行30周年 『キッチン』と私 思い出・エピソード大募集

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あなたと『キッチン』をめぐる物語をお寄せください。
吉本ばななは、皮膚やかたちではなく、
はじめから人のこころを見ているような気がする。
糸井重里
あんなに澄んだ小説は、あとにも先にも出会ったことがない。
出てくる人みんな、一生懸命生きていて、こちらまで照らされる。
綿矢りさ
ただ生きている。
それだけの事を、こんなにも褒めてくれるのは、
この物語だけだと思う。
木村文乃

私が『キッチン』に初めて出会ったのは、たぶん高校生の頃だったと思います。あまり話の合う友人もなく、図書館に行っては本を読んでいたときに、『キッチン』に出会いました。初めて読んだときは、出てくる人たちのふしぎで哀しい感じばかりが胸に残りました。
それから10年以上経って、大学を卒業して初めて勤めたところでいじめに遭い、仕事を辞めたばかりのときに、もう一度『キッチン』に出会いました。そのとき初めて、『キッチン』の中に込められた、深い深いやさしさや哀しみを理解することができました。あの頃はお守りのように、『キッチン』の文庫版を枕元に置いて、眠りについていました。ばななさんの本が枕元にあるだけで、暗い夜の灯台みたいに私は守られていると実感できました。
この本を生み出してくださったばななさんや、携わってくださった全ての皆さんに、心から感謝いたします。

吉田 百里

私が初めて『キッチン』と出逢ったのは大学時代。友人から面白い本があるよ、と勧められて読みました。友人から借りたその本は、当時の私にとって正に衝撃的。今まで読んだどの本とも違う。自由で瑞々しく、生きることに不器用な主人公の繊細な内面がダイレクトに伝わってきて、夢中で読んだ覚えがあります。もちろん借りた本は直ぐに友人に返し、自分で新しく『キッチン』を買い直しました。私が読んだ時は丁度、時代が昭和から平成に変わったばかりの頃で、『キッチン』、そして「吉本ばなな」という作家の登場は新しい時代の幕開けを予感させるものでした。あれからもう30年。平成が終わり、新たな時代の到来とともに新たな作風の本が次々に生まれることでしょう。けれど『キッチン』は私にとって、「平成」という時代を象徴させる本として、そのまま永遠に語り継いでいってほしい作品です。

nico

『キッチン』には、ちょうど自分と他人の境界がわからなくなった時期に出会いました。他者から押し付けられる、当人の感情を全く無視したお節介が毎日焼かれていた頃でした。そんな中、私には『キッチン』に登場する人物が、皆きちんとひとりで立っているように見えました。少なくともひとりで立とうとしているように見えました。他者との関わりを絶ち切らずに、それぞれが独立した人間のまま、愛情深く接しているように見えました。それからというもの、私は全てをただ受け入れることをやめ、自分と他人の間にきちんと線を引いたまま、他者を大切にすることができるようになりました。受け入れることばかりを大切にしてきた私の人生にとっては、これは大きな一歩でした。

Hush

今年の夏の新潮社の文庫本の棚に「キッチン」を見て読んでみたいと手に取った。題名は知っていたがなぜか今迄読む機会がなかった。読み始めると想像していた内容とは違っていた。最初から死生観の様なものがありさらに心理描写、情景描写に優れていた。読み進めるうちに何故か自宅のキッチンの掃除がしたくなった。主人公は、タレントの佐藤栞里さんを想像しながら読んだ。他の登場人物は、顔がぼやけて誰かにたとえることが出来なかった。作者が20代でこんな小説が書けるなんてすごい。何よりも30年経った今の時代でも内容が色褪せていない。私がこの本が創刊された30年前の若かった頃に読んでいたら物事に対する考え方がもっと違っていたのではないかと思わせてしまうような本だった。

むっちゃん

中学時代の甘酸っぱい恋の思い出の中にあるのはまばゆい光。
恋に悩む友人と詩集を一緒に読んでは、想いを吐露しあいわかちあっていた。
いつもの休み時間、ある日一冊の本を大切そうに友人は出した。
それが「キッチン」との出逢い。
もう30年が経つのに鮮やかな場面。
どんなときでも冷たい孤独感を感じるときがある。
そんなとき必ず寄り添ってわたしを元気づけ、前を向いてゆく力となる一冊。
あの日からずっと、ばななさんの作品を読みつづけ、今を生きているわたしがいます。
ありがとうございます。

夏海

私がキッチンと出会ったのは、小学校高学年の時におばあちゃんちの本棚から綺麗な柄の表紙のその本を手に取りました。すると母や姉がその本はいいよ~と勧めてくるので持ち帰り読んだ記憶があります。その後私は学校図書館司書になり、おすすめを聞かれると、吉本ばななさんのキッチンを教えます。何年経っても色あせず私の宝物のような作品です。

しゃけ

キッチンに出会ったのは19歳の時。
確か二子玉川の本屋さんで買った記憶があります。18歳で東京に上京してきて一人暮らしを始め自分の弱さや甘さに気がつきたくさんつまづいてたくさん傷ついていた頃にキッチンに出会いばななさんを知りました。みかげに自分を重ね、こんな私でも大丈夫なんだ、これでいいんだ、毎日を大切にしよう。自分が思ったことや感じたことを大切にしようと思えるようになったんだと思います。
溢れるものが沢山あって言いたいことや伝ばななさんの本を読むと、言葉の発見が凄くって、あーこれなんだよ~っていうことが何度も何度もありました。こんな私も来年で50歳。
キッチンに出会いばななさんを知り、ばななさんの本に救われ支えられた30年です。
ばななさんと同じ時代に生まれて本当に良かった!感謝しかありません。
キッチンを産んでくれてありがとうございます。

あべみ

私がよしもとばななに出会ったのは、まさに「キッチン」を通して、でした。当時中学生だった私は、小学生の頃から慣れ親しんでいたさくらももこのエッセイにやたらと出てくる「ばななさん」に興味を持ったのです。
いざ、キッチンを読んでみて思ったことは、私のその後の読書人生を大きく変えました。本というのは「本当は心の奥では思っているけど、自分では言語化できなかったこと」や、「そう思っていたことすら自分では気づいてあげられていなかったこと」を代弁してくれるものなのだ、と気づいたからです。特に、自分が「なんとなくいやだ」と思っていること。ありきたりな言い方でいやですが、私だけが感じていることじゃないんだ、とホッとしたのを覚えています。
あの出会いから20年。未だに本の中に「気づかなかった気づき」を求めて、本の虫を続けています。

SOUTH

高校一年生の16才のとき、弱虫で至らなさの塊だった自分は、あることをして謹慎処分になりました。家の中で、今後どうなるんだろうと不安で押し潰されそうなときに手に取ったのが、発行から2年経ち、世の中で周知されにされまくっていた「キッチン」でした。
本と対面したとき、装丁だけで感受性の高かった自分は、胸のあたりがギューッとなったことを憶えています。そして、読み進めていくと、今度は文章がまた胸に刺さって、そして、深くまで入っていくような感覚がありました。その感覚をまた味わいたくて、繰り返し何度も読みました。
「キッチン」は、謹慎中の少女に大人っぽい考え方を教えてくれ、成長させてくれました。

りえぼう

わたしとキッチンとの出会いは、のちに絶望を知る事となる恋人からのプレゼントでした。愛する人との別れがあっても世の中は自分中心に回っていない事、目を背けたい現実があって逃れられない事。淋しい気持ちや不運な状況から私を立ち直らせ、私の中から前向きに生きる力を奮いたたせてくれたのは奇しくもキッチンでした。来年、私がキッチンと出逢った年齢になる娘へ贈りたい一冊です。

欣子

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