新潮社

吉本ばなな『キッチン』刊行30周年 『キッチン』と私 思い出・エピソード大募集

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あなたと『キッチン』をめぐる物語をお寄せください。
吉本ばななは、皮膚やかたちではなく、
はじめから人のこころを見ているような気がする。
糸井重里
あんなに澄んだ小説は、あとにも先にも出会ったことがない。
出てくる人みんな、一生懸命生きていて、こちらまで照らされる。
綿矢りさ
ただ生きている。
それだけの事を、こんなにも褒めてくれるのは、
この物語だけだと思う。
木村文乃

私が「キッチン」と出会ったのは高校生の時でした。今まで出会ったことのない何かと出会った感覚で、ここには自分がどんな世界が好きで、どんな風に生きて行きたいかが書かれている!と思いました。そこから30年、ばななさんの作品全てをリアルタイムで読むことができて幸せです。何度も読み返している小説の登場人物達は最早、小説の中の人というよりも友達や親戚のような感じさえします。そして自分がブレそうな時は、ばななさんの本を読むと自分の原点のようなものを思い出すことができます。今年は個人的に色々とハードな年でしたが、ばななチルドレンとしてばななさんに顔向けできないようなことはできないという気持ちが自分を支えてくれたような気がします。ばななさんと出会わせてくれた「キッチン」には感謝の気持ちでいっぱいです!

雅子

流行り本には手を出さないのが自分のスタイルだと思い込んでいた高校時代に出版された『キッチン』。今になって、その頃に読んでいたらと思う。生と死は、比較的高齢の両親のもとに生まれた自分にとって、ずっとつきまとうテーマだった。
30代から40代を過ぎ、両親を見送ったあと、ようやくこの本を手に取ってみた。思ってもみない展開でカツ丼を届けるみかげの姿に、自分も母親の訃報を受けて「とにかく何か食べなきゃ」と帰省の新幹線の車内でカツ弁当を食べたことを思い出した。どのように生きて死ぬか、と同じくらい、どのように食べるかは人生にとって重要だ。つらいことも飲み込めないまま、とにかく食べようと行動したあの時の自分を抱きしめてあげたい。

Lindo

静かに暮らしと向き合うことを教えてくれたそんな一冊。中学三年の時に父の転勤のために転校した私は、反抗期を爆発させた。学校は騒がしく、家では弟妹が騒ぎ、母は元気に子供達を叱り、父は新天地で舞い上がっている。そんな私の暮らしと彼らの暮らしは、生活音のボリュームがまるで違った。さらに、登場人物がそれぞれ孤独と折り合いをつけつつ、隅々まで透き通るように描かれている生活を楽しむ様子は、転校させられたことへの不満でいっぱいだった私の心に沁み入り、静かに高校受験に集中していった。また、みかげが台所磨きをとおして気持ちを立て直す様子に、「台所仕事とはこんなに一人静かに自分と向き合うものなのか」と、将来の自立を意識した。今も気が滅入り台所掃除をサボることなんてよくあること。その後ろめたさは、「みかげが教えてくれた台所磨きで気持ちを立て直す方法を知っているから大丈夫」と自分へ言い訳している。

とかげ

初めて『キッチン』を読んだのは1988年小学校5年生の夏休み。それまで児童書しか読んだことがない私に母は「大人の本だけど読めるの?」と買う前に何度も確認された。でもなぜか私はこの本が絶対好きなはずだと読んでもいないのに確信していた。
主人公と同じ苗字でしかも名前も「み」から始まること、家族にオカマがいることとか、家に他人が住んでいたりする環境とか......似ていることが多くて、なんで私のこと知ってるのかなと子どもごころに真剣に考えた。風変わりな家庭で育った私は『キッチン』を読んでとても安心した。「私は大丈夫なんだ」と思いながら、冷蔵庫のそばで寝そべった。
少々変わり者だけど楽しげな今の自分を作ってくれたのは『キッチン』のおかげかもしれない。装丁を見るたびに、逗子から東京へ戻るの横須賀線の車中を思い出す。

ぐわこ

大学生のときに友達が読んでいるのを見て、そんなに面白いの??と聞いたのが出逢いでした。その子は読めば分かるよ!!とだけ言ってその場でその本を貸してくれました。なんとなく手にしたその本は、授業中の先生の声も友達の声も届かなくなるほど深い世界へと私を引き込んでいったのを覚えています。とにかくただひたすらに読み進め、何度も様々な感情で涙が頬をつたっていったのにも構うことなく、ただただ読み耽っていました。あれから20年、あのとき、友達からキッチンを貸してもらわなかったら今、吉本ばななさんの本を手にとることももしかしたらなかったのかもしれません。あのとき出逢えて本当に良かった。数々の本に没頭し、人生を共に歩んできました。本当に様々な素晴らしい作品をありがとうございます。

あいみんくる

大学に行けなくなった20歳の頃、図書館で借りて読んだ本です。
登場人物がみんなとても魅力的で、セリフも感情もとてもリアルで…。
『神様、どうか生きてゆけますように。』
みかげのこの言葉は、祈りであり、私の祈りでもあったと思います。
初めて読んだ頃から5年が経ち、いろんなことがありましたが、今もなんとか生きています。
こんなに薄い本なのに、本当に大事なものをたくさんたくさん教えてくれた。そのことに対して、今、感謝の気持ちでいっぱいです。

みらい

祖母が『キッチン』を買ってきたのは、高校生の頃でした。
洋服なども若いひと向けのものを自分で着るつもりで買ってきては、「ちょっと若すぎた」と言ってわたしにくれることのある祖母だったので、読み終わった本をわたしにくれたときも、あいかわらず気の若いひとだなあ、くらいに思っていました。
ところが最近、祖母は孫を残して死んでしまったみかげのおばあさんのきもちで『キッチン』を読んだのかもしれないと、とつぜん(夕ごはんをたべているときに)思いつき、そのこと自体と、そのことを長い間(30年近くも!)思いつかなかった自分にびっくりしたことがありました。
30周年で投稿を募集していることを知り、このことを書いておきたいきもちになりました。

shio

キッチン。この本を思うと、同時にレズビアンの友達が脳裏に浮かびます。「吉本ばななさんの小説を読むと、いつも貴女を思い出す」と言ってくれた彼女。私の価値観を広げて、ゆがめてくれた彼女。元気かな。

panda

「キッチン」という小説を思い出すとき、いつも作品のまとう光のようなものを思い出します。何の見返りも求めず、恩をきせることもなく、ごく自然体に、それでも何か大きなものに守られていると受け止められるような、澄んだ満月のような心を、人は持っているのかもしれないと、信じることができる。ダイレクトにそれを伝えるのではなく、あくまで光に包まれるように、この小説が感じさせてくれると、そう感じています。
キッチンと私、というテーマですが、私の中で、折に触れ思い浮かぶのは、キッチンの続編である「満月」の、終盤のエピソード。みかげが、思い立って、雄一にカツ丼を届ける、その場面。ある意味、サイコな一場面。これは「キッチン」の集大成では、と個人的には思っています。人が、本当に人を想うとき、必要なことをできる力はちゃんと備わっているんだよ、と、後押ししてもらう、そんな気持ちになれます。

maiky

何十年かぶりに読み返して、ここからはじまったのだなあと感慨深く思いました。
なんかおもしろかった!もっと読みたい!と思っていた学生のわたしから時を経て、
登場人物たちの正直で繊細な心の有り様と優しい行動力が沁みるわたしになりました。
どの作品も気の向くままに何度も読み返しているので、その度に違った感想を持つのが楽しみです。
心に寄り添う小説をありがとうございます。これからも長く読み続けます。

ちさと

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