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日本ファンタジーノベル大賞 2017

主催:一般財団法人新潮文芸振興会 後援:読売新聞社 発表誌:「小説新潮」

「何を書いてもいい切符」あげます
スタート記念座談会

恩田 陸×萩尾望都×森見登美彦

恩田 陸×萩尾望都×森見登美彦

四年の月日を経て再スタートを切ることになった「日本ファンタジーノベル大賞2017」。
再開するならぜひ応募したいと意気込む方、また、まだ応募を迷われている方に
どんな賞なのかをより深く理解していただくために、三選考委員に大いに語っていただきました。

■「ファンタジー小説」って何?

――募集作品の規定は休止前と変えず、『日本語で書かれた、自作未発表の創作ファンタジー小説』ということになっています。しかし、その「ファンタジー小説」というのはどういうものなのかという規定は全くないわけで、そこから皆さんのご意見をお伺いしていきます。
 まず皆さんが小さい頃、本やマンガや映画作品の中でファンタジー的なものを意識されたのは、どの辺りからなのでしょうか。

萩尾 私だと、外国語のファンタジーという言葉を最初に聞いたのが『SFマガジン』です。それまでにも、そうした傾向の作品を読んではいたのですが、この雑誌で初めて、なるほど、自分が興味を持っていたものはSFとかファンタジーと言うのか、というふうにそのときは思いました。でもそのうち、だんだん区別がつかなくなっていきました。機械が出てくるとSFで、出てこないとファンタジー。しかしそれだけじゃないみたい、と。中学校の頃ですね。
恩田 私はあんまり深く考えたことないですね。でも、やっぱりこれがファンタジーなんだって思ったのは『ナルニア国物語』ですね。ただ、『ナルニア』に関してはすごく遅かったんです。高校生ぐらいになってから読んで。これは完全に読む時期逃したな、もっと早く読めば良かった、と思ったのは今でも覚えてますね。
森見 僕が子どもの頃『ムーミン』を読んでたときも、別にそれをファンタジーとは思わずに、ただ「ムーミンである」と思って読んでいました。だからファンタジーという言葉がいつ自分の中で出てきたのかがちょっと分からない。
恩田 昔から「ファンタジー小説」と言ってましたっけ? ハヤカワ文庫にはFTっていうレーベルがありますよね。私が中学生の頃にできたレーベルで、そのときぐらいですね、ファンタジーというジャンルを意識したのは。こんなにファンタジーとはっきり言われるようになったのは割と最近のような気がするんですけど。
萩尾 そうですね。
恩田 『ハリー・ポッター』が出てきた頃に、世間的にファンタジーという言葉が定着した気がするんです。
森見 子どものときはファンタジーという言葉になじみがなくて、そのかわりに「不思議」って言葉を使っていたのを思い出しました。僕の好む「不思議」みたいなカテゴリーが、小学生時代からずっとあったんです。たとえば万博記念公園の「太陽の塔」とか、民族学博物館で観たモアイ像とか。読むものでも、これは僕の求めている「不思議」だと思えるものに触れつつ、そのまま大学ぐらいまで来て……。そのときに日本ファンタジーノベル大賞の「ファンタジー」と、自分の「不思議」が結び付いた、というのが多分僕にとってのファンタジーです。自分の抱えていた「不思議」を「ファンタジー」と解釈するという行為が、僕にとっては日本ファンタジーノベル大賞に応募するということだったんだと思います。

――なるほど。そのご自分が好む「不思議」というのは、具体的に作品としてありますか。

森見 僕は小学校から中学校にかけては、以前『ペンギン・ハイウェイ』という小説で書いたように郊外の住宅地に住んでいました。そして住んでいる町のすぐそばに、世界の果てみたいな、自分の日常とは違う世界の入り口がどこかにあるっていうことを感じさせてくれるものが、僕にとっての「不思議」でした。そういう妄想を自分に起こしてくれるものをすごく求めていたふしがあります。小学校三年生か四年生ぐらいのとき、割に趣味のない子どもだったんで、毎日、自転車でウロウロ走ったりしながら、なんだか不思議な感じのする場所を探してはここはいいな、と思ってるっていう。妹とか弟とかに言わせると、あのときお兄ちゃんは一体何をしてるのか全然分からなかったと。友達と遊ぶわけでもなく、休みの日になるとフラッと出て行って、どこで何してるのかよく分からない。
 作品としてなら、中学生ぐらいでいとうせいこうさんの『ノーライフキング』という小説を読んだときに、自分の求めている「不思議」に会ったっていう感覚は記憶していますね。小学生、中学生の自分たちが生きている世界のすぐそばに、ゲームを通して向こう側の世界があるというのをすごくリアルに感じる作品で、それ以前にも色々な作品には出会ってたんだろうけど、今パッと思い浮かべるとそれがとても印象深い。
萩尾 漫画ですが、私は『鉄腕アトム』や『オバケのQ太郎』などを夢中で読んでいました。あと、グリム童話に結構夢中になって。自分のお小遣いで買っていたのが『星の王子さま』とか『みどりのゆび』とか『メアリー・ポピンズ』。中学校の頃ですね。
『星の王子さま』は本当にグッドな作品で、『みどりのゆび』にしても『メアリー・ポピンズ』にしても、日常生活のちょっと向こう側で何かが起こる、日常を超えたことが起こるというもので、そういうのが非常に好きだったんだけど、読むと親に叱られるし、友達はばかにするし。ファンタジーを読んだり書いたりしている人って、学生の頃は友達にばかにされたりしませんでしたか。

森見 言わなかったので。こっそり。
恩田 私もあんまり言わなかった。
萩尾 「どんな本が好きなの?」と聞かれるので「SFとファンタジー」って言うと、「どうしてそんな架空のものを読んでるの?」という返事が返ってくる。普通に言っちゃいけないんだな、と。
恩田 ファンタジーを異世界ものという意味で見ると、小学校二年生のときに「少女コミック」で萩尾先生の『精霊狩り』シリーズを読んだのですが、ものすごいインパクトがありました。あれはミュータントの話で。『ドアの中のわたしのむすこ』っていう短編は今でも覚えてるんです。こんな分厚い「少女コミック」の一番最後にあって、それだけ全部覚えています。
萩尾 すごいですね。
恩田 だから異世界ものということを、その『精霊狩り』ですごく意識したというのは覚えてますね。
萩尾 オカルトなんかもファンタジーに入るのかしら。横山光輝先生が、少女誌にブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を少女マンガ風に組み立てて描いていて、これがものすごく怖かった。あと楳図かずおさんの『へび少女』とか『ママがこわい』とか。
恩田 楳図先生は私はトラウマになって駄目、読めないんですよ。最初に読んだときにあまりに怖かったんで。
萩尾 怖いですよね。
 あと、石ノ森章太郎先生の作品で『きりとばらとほしと』という、吸血鬼三部作があるんです。三部作といっても五十枚ぐらいで、吸血鬼の少女の過去・現在・未来の話。時間を超えてずっと生きているキャラクターがいて、それが『ポーの一族』のヒントに随分なったと思います。後で読み返してみたら『吸血鬼カーミラ』のオマージュだったりいろんな要素があったんですけど、子ども向きの作品で、非常にきれいに仕上げられていた。吸血鬼も怖いものなんですけれども、ロマンチックにも描けるんだと思いました。

――今まで10代の頃読まれた作品について伺いましたが、ファンタジーというジャンルを意識されたときに、一番優れた作品だと思われているものはありますか。

萩尾 上橋菜穂子さんの『守り人』シリーズとか、それから最近人に教えてもらって、ジョージ・R・R・マーティンの七王国のシリーズを読み始めて、最初、字は小さいし読めるかなと思ったんですけど、読みだしたら、まあ、はまりました。まだ終わっていないので、いつ続きを書いてくれるんだろう。
森見 僕はもともと異世界ファンタジーがそんなに得意じゃなかったので、『ナルニア国物語』も最初のほうでやめてしまって。『ムーミン』と『はてしない物語』は読めたんだけど、それ以外はなかなかそこに入っていかないっていう感じがあったから、自分の中で外国風のファンタジーの蓄積みたいなものがほとんどないんです。
 だけど、さっき言ったように、自分なりに「不思議」という感触はずっとありました。大学生のときに内田百閒とか日本の近代文学をいろいろ読み始めたときに、ようやくその自分の「不思議」という感じをどう外に出すかっていうやり方が、ちょこっと見えたみたいなところがあります。『指輪物語』のように異世界に西洋風のファンタジーの世界があって、というところから僕の「不思議」な感じっていうのは出て来ないんだろうなとは思いますね。内田百閒の幻想的な作品なども、自分の中ではファンタジーというふうに解釈しているので、そこら辺から来てるのかなと思いますね。

恩田 私も実は異世界ものはそんなに得意ではないですが、さっき『ナルニア』を読むべきタイミングを外したと思ったと言ったんですけど、むしろ大人になってからのほうが面白かったんですね。『ゲド戦記』と『ナルニア』と『指輪物語』。特に『指輪物語』は大人になってからのほうが面白いってすごく思いました。でも、聞いていて気づいたのは、私の考えるファンタジーはどちらかというとサイエンス・ファンタジーのほうで、それこそ早川書房から出てた異色作家短篇集に出てくるような作家です。ジャック・フィニイとか、ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』とか。あの辺が私の感じているファンタジーに一番近いなと思いました。
 いっとき、みんなSFになっちゃったという時代があったけれど、そのうちにSFがジャンルとして冬の時代に。だからファンタジーノベル大賞って、割とSF志向の人の受け皿になっていたという記憶があります。ただ最近またちょっとSFもジャンルとして復活してきて、今度は全部ファンタジーになったという感じもします。

■応募作に期待すること

――初期の受賞者の方には、その後SFの世界で活躍された方が何人もいらっしゃいますが、休止前の賞の終わりの頃は、いろいろな受賞作がありました。ですから、この再スタートした賞にどういう作品が来るのかが、想像がつきません。萩尾さんには最後三回選考に当たっていただきましたが、そのときに「これはファンタジーではない」と、作品を定義づけして否定する、といった議論にはなりませんでしたよね。

萩尾 そうですね。
恩田 この三人の選考委員に何を送ってくるのかというのがすごく楽しみです。
森見 でも実際、自分が応募するときは、他に応募する所がなくて、とにかく何を書いてもいいよっていう切符が欲しいという感じだったんですよ。「日本ファンタジーノベル大賞」は、それまでの受賞作を見ていて、その切符をくれそうだという期待はありました。
 だから僕は、大学生の妄想の話で、これをファンタジーと言っていいのかどうか分からないんだけど、きっと応募すれば分かるだろうと思って応募したわけなんで。とにかく他のジャンルが合わないんだったらもう、僕みたいにこの賞で活路を見いだしてほしいです。
恩田 第一回に酒見賢一さんの『後宮小説』を選んだことで、「ファンタジーノベル大賞」の運命は決まったという感じがします。選考委員もどういうものが来るのかすごく不安で、酒見さんの『後宮小説』が来てほっとしたという選評をよく覚えてるんですよ。『後宮小説』はとても面白かったし、酒見さんが私と一歳しか違わなかったので、とてもびっくりしました。たぶん、当時はそんなに若い人がデビューしやすい環境ではなかったので、こんなに若くても書いていいんだなって思いました。それが私が応募したきっかけのひとつです。
 その後も受賞作がある意味エキセントリックというか、あまりにも幅が広いので、なんだかいい賞だなと、一読者ながら思っていました。あと、完成度がすごく高い作品が多いと思ったということも覚えています。
 当時の新人文学賞って、まだあまり技巧的な作品が評価されなかった記憶があるんですね。もうちょっと初々しいものをみんな好むというか、技巧的に上手だったり、完成度が高いと、あまり好かれないという感触があったんです。でも「ファンタジーノベル大賞」は最初からすごく完成してる人、自分の世界を持ってる人が多かったという印象があります。そういうところも、間口の広い賞だと思うので、だから自分でもどのジャンルだか分からない「一人ジャンル」という作品があったらぜひ応募していただきたいです。  

萩尾 実際の選考会でも、五人の選考委員の意見があっち行ったりこっち行ったりして、非常にバラエティーのある議論だなと思いました。例えば、 椎名誠さんが「このチャラチャラした男二人は何をしてるんだ」と言って、それを小谷真理さんが「これは男二人が、もしかしたらムフフの関係かもしれないというのを読者に想像させるための設定なのよ」「何、この二人はホモなのか」「違うのよ、それを想像させるのが面白いのよ」とか。
 それから作品も最終選考で毎年四作ずつ読んだんですけど、似ているところが何ひとつなく、三年間のうちでもどれも似たものがなくて、多様なジャンルがあったのでとても面白かったです。まだまだファンタジーがひねり出せるな、こんなに世の中にいろいろ転がっているのか、という感じで。
 ところで、執筆のときについてお伺いしたいんですけど、完成するまで人に見せないタイプですか。それとも、途中で見せるタイプですか。
森見 どうだろう。連載しているときは編集者の方に見せつつ書いていきますが、応募するときは全く誰にも見せませんでした。誰一人僕が「日本ファンタジーノベル大賞」に応募していることなど知らないという状態でした。角川のホラー小説大賞に一度応募したことがあるぐらいで、『太陽の塔』で受賞する前の年に一度、「日本ファンタジーノベル大賞」に応募して一次選考で止まったので、あまり他の賞には応募してないですけどね。
萩尾 親にもきょうだいにも見せない?
森見 全く。
恩田 私もです。
森見 小説を書いていることも特には言ってなかったですね。クラブとかで友達を笑わせるために、パンフレットに文章を書いたりはしていたので、書くのが好きだというのは割と知られていましたが、真面目に小説を書いてるんだというのはあんまり知られたくないというか。
恩田 言わないよね。
森見 若干引かれるだろうし、逆に読んでみたいと言われてもどうせ読ませる気もないから、やっぱり言う必要はないっていう感じで。
 でも、高校生より前の頃は家族にも読ませてたんです。クリスマスプレゼントに母親に小説書いてあげたりとかしていて。しかしいくらなんでも大学に入って『太陽の塔』みたいなあんな、腐れ大学生の小説を書いて母親に渡すというのはさすがにできなくて。母親は賞をもらったときにようやく「こんなん書いてたんだ」と知りました。
恩田 私は応募時はバリバリのOLでしたが、仕事が終わって、自宅に帰って書いていました。ところで言っておきますが、私は第三回と第五回の最終候補にはなってますが、賞そのものは取ってませんから(笑)。初めて長編を書いて最初に応募したのがファンタジーノベル大賞でした。選考委員が好きな人ばっかりだったというのも大きかったです。
森見 選考委員の方とそれまでの応募作品が混然一体の空間みたいになっていて、そこに行きさえすれば自由になれる、自分が一番自由に書いていける、その空間に何とか入り込みたいという感じだったんです。個々の選考委員の方を意識するというよりは、何となくその集まりに信頼感がありました。自分が何を書いたとしても、もしそれにいいところがあれば掬ってもらえそうな安心感があったのかなと思いますね。
恩田 分かります、その感じ。
萩尾 私はもともとマンガで文章畑ではないですが、でもそういう人も選考委員に入って文章は分からないけど、ファンタジーが好きだし、ファンタジーの持つ異世界感に、先入観なく興味を持って入れると思うので、それでいいかなと思っています。
森見 よく分からないけど面白いものが来て、それを何とか「ファンタジーである」と言い張るような、通常の賞とは逆のパターンがうまく働くと楽しい賞なのかなと思いますね。
恩田 むしろ迷うようなものに来ていただきたい、これは何だろうと思うような作品に来ていただきたいです。

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