女による女のためのR-18文学賞

新潮社

第21回 受賞作品

王冠ロゴ 大賞受賞

「救われてんじゃねえよ」

上村裕香(応募時ペンネーム:上村ユタカ)

――この度は大賞受賞おめでとうございます。選考結果を聞いた時のお気持ちを教えてください。

 大学のカフェで最終選考結果の電話を待っていました。実は、当日はもともとアルバイトのシフトが入っていたのですが、友人から「待ってない人にいい知らせは届かないよ」と言われて、アルバイトを休んで待つことにしました。電話がかかってきた時は居ても立ってもいられず、一人でカフェの中をぐるぐる歩き回りながらお知らせを聞きました。今後の予定などの説明を聞いているあいだも理解が追いついていなくて、最後に「私が大賞を受賞したってことですよね?」と確認したことを覚えています。

――受賞を受けて、周囲の反応はいかがでしたか?

 大学で文章表現を専攻していて、周囲には作家や脚本家志望の友人が多いので、みんな喜んでくれました。でも、一番喜んでくれたのはゼミの担当教授の山田隆道先生です。実は、この小説はゼミの課題の一つとして、先生から何度もダメ出しを食らいながら書き上げたものなので、先生には本当に感謝しています。
  家族も、私が昔から小説家になりたいと言っていたことを知っているので、すごく喜んでくれました。

――小説の執筆に興味を持たれたのはいつ頃でしたか?

 小学生の頃、授業で小説を書く機会がありました。「大人が消えて、子どもだけになった世界」を舞台にした短いSF小説を書いたんです。それを、同級生のお母さんが読んで褒めてくれていたということを聞いて、読者に面白いと言ってもらえる喜びを知りました。それから、漠然と「将来は作家になりたい」と思うようになりました。
  高校卒業後の進路を決めるとき、国立の大学に進学して国語教員になるか、私立の大学に進学して文章表現を学んで作家になるか、二つの道で悩んでいたのですが、国立の大学には落ちてしまいました。これは神様が「作家になりなさい」と言ってくれているのかなと思い、本格的な執筆や新人賞への応募を始めました。

――普段はどのような小説を読まれているんでしょうか。

 朝井リョウさんの小説が好きです。朝井さんに憧れて、高校生の頃に「小説すばる新人賞」に応募したこともあります。小説ではありませんが、詩人の最果タヒさんの作品も好きで、特にエッセイをよく読みます。詩のインスタレーションのイベントに行ったこともあります。
  それから窪美澄さんも大好きで、特に『ふがいない僕は空を見た』に収録されている「セイタカアワダチソウの空」は、私にとってとても大事な小説です。今回、窪さんに選考委員として読んでいただき、大賞に選んでいただけたということは、言葉にならないくらい嬉しかったです。

――受賞作「救われてんじゃねえよ」はヤングケアラーの女子高生、沙智が主人公です。選考では、身体表現の生々しさや鋭さ、そしてリアリティの高さが評価されました。何をきっかけにこの小説をご執筆されたのですか?

 小説はもちろんフィクションなのですが、介護をしている母を起き上がらせようとした沙智が一緒に倒れてしまい、床に倒れ込んだ二人が思わず大笑いをしてしまうというエピソードは実体験に基づいています。一見、絶望的でなんの救いもないように見える状況でも、笑える瞬間は訪れるし、その笑いによって救われることもあるということを書きたいと思いました。介護をしている、されている当事者にとって、介護というのは本当に辛いししんどいことなのですが、365日ずっと辛いことが続くわけではないというのも事実だと思います。
  また、自分の体験だけではなく、友人から聞いたエピソードなども取り混ぜて書きました。

――「救われてんじゃねえよ」というタイトルも印象的です。どんな意味を込められたのでしょうか。

 最後のシーンで主人公が笑うことで、ある種の「救い」が訪れたというのも事実なのですが、だからといって根本的に彼女の置かれている環境が変わっているわけではない、というリアルも書きたかったんです。それでも、環境を改善してくれる可能性のある公的支援よりも、一瞬の笑いに沙智は救われたということ。それは笑いの本質的な部分だと思っています。その意味で、「救われてんじゃねえよ」というタイトルはツッコミを意識してつけました。
  この小説を読んだ方が最後の場面で一緒に笑って、ちょっとでも救われたような気持ちになってくれて、でもなんにも変わっていない沙智を見て「いやいや、さっちゃん、なんも変わってへんやん。なんで小島よしおに救われてんねん」とツッコんでいるような姿をイメージして、このタイトルにしました。小説全体を俯瞰した視点を意識したつもりです。

――今後の執筆の目標を教えてください。

「救う」というキーワードは自分の中にずっとある気がしています。人がどういう瞬間に救われるのかということは、自分を含め、色々な人の話を聞いたり心の動きを観察したりして、小説に書いていきたいなと思っています。
  この小説は、ヤングケアラーの女子高生の物語なのですが、小説の中で「ヤングケアラー」という言葉は一度も登場しません。執筆時に意識していたわけではありませんが、「ヤングケアラー」と名付けられたキャラクターとしてではなく、その属性を背負っている一人の女の子という人間を書きたいと思っているからだと思います。名付けられて初めて社会的に認知される存在というものが、この世界にはきっとまだたくさんあります。そういうものを掬い上げて、小説にしていきたいと思っています。人間を書いていきたいですし、現実を書いていきたいです。人間も現実も、おもろいですから。