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「石に泳ぐ魚」裁判経過報告

「新潮」編集部

 
1 発表

 1994年、「新潮」9月号の巻頭に、柳美里氏の小説「石に泳ぐ魚」(320枚)が一挙掲載された。目次に添えられたキャッチフレーズは「私の心に棲みつく魚は、進むことのできない石の海を泳いでいる――。祖国への違和感、崩壊した家庭、性を揺るがす男たち……26歳・話題の新鋭劇作家が叩きつける、愛憎に彩られた鮮烈な自伝的処女小説!」。
 この年、柳氏は26歳。「東京キッドブラザース」の役者を経て、1988年に「青春五月党」を結成し、新鋭の劇作家として注目を集めていた。前年には、崩壊した家族の再生を描いた戯曲「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を受賞している。「石に泳ぐ魚」は彼女が書いた初めての小説である。この後、1996年、小説「フルハウス」で泉鏡花賞と野間文芸新人賞を受賞、1997年には小説「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞、近年は「ゴールドラッシュ」や「命」等、ベストセラー作家として活躍しているのは周知の通り。
「石に泳ぐ魚」は、劇団の舞台稽古の場面から始まる。主人公の「梁秀香」は在日2世の韓国人女性。韓国から密航してきた両親の離婚、弟の発狂、放縦な妹、と家族は崩壊寸前で、高校を放校処分になった梁秀香は、無為の生活の中で戯曲を書き始める。世界を憎悪する彼女は、電車の中で見かけた見知らぬ「柿の木の男」を追い、彼と「憎しみ」が介在しない、不思議な関係を結ぶ。
 自作の上演がきっかけとなって、生まれて初めて韓国を訪れた梁秀香は、ソウルで陶芸を専攻する女学生「朴里花」と出会う。彼女の顔の左側には腫瘍があり、それを見た秀香は衝撃を受ける。里花の家には彼女が作った「魚が飛翔して鳥になり、鳥が堕ちて魚になるタイルの絵」が掛けてあった。これが、小説のタイトルの由来である。
 日本の大学を受験しに来日した里花と秀香は互いの存在に惹かれ、深い交流を結ぶことになる。
 友人が新興宗教に入信したことを知った里花は、友人を連れ戻すべく韓国に帰国するが、里花も入信してしまう。秀香は里花を連れ戻すために韓国に行き、教団を訪ねるが、里花は一緒に入信することをすすめ、お金を無心する。「一緒に行こうよ」と秀香の手を取る里花。が、秀香は動けない。
 去っていく里花の向こうには「柿の木の男」が立っていて、二人は「合わせ鏡の間に佇んだ時のように無限に続く障子戸の中」に吸い込まれていく。
 この柳氏の処女小説は、多くの文芸時評で取り上げられることになった。その中のいくつかを紹介しておこう。
「(登場人物たちが)舞台の上の群衆シーンのように次々と現れては秀香とすれ違ってゆき、それぞれ鮮やかな印象を残してゆく。
 時にはほとんど行きずりに近い人物もいるが、そうした人物さえもこの小説の世界では生き生きと(あるいは生々しく)活きているという感じがするのは、この作品の美点であると思う。(略)顔の左側に腫瘍があって、顔が歪んでいるという〈里花〉ほどの存在感を、出てくる人物全部が持っていたとしたら、ちょっとやり切れなく思えるはずだ。(略)家庭も、劇団も、男女の関わりもほとんど崩壊しているところから始まっている。崩壊しているのが当たり前だから、そこにセンチメンタリズムやノスタルジーはない。別に無理に〈在日〉の立場にこじつける必要はないだろうが、そこにはまさに民族や国家や家庭(家族)や社会的共同体に対する帰属意識などなく、個々人が『個』のままで日本や韓国をふらふらしている姿が見えるきりだ。」(川村湊氏 毎日新聞夕刊「文芸時評」1994年8月29日)
「小市民の平凡な生活からはじき出された、孤独な獣のような主人公は、物語を狂気に近い情熱と荒々しい行動力で彩っている。その激烈に燃え上がる部分が、荒涼と冷めきった部分と交差する振幅の激しさは、日本小説のヒロインの枠組みをハミ出している。
 直観的に先鋭な比喩などの細部が、地の散文と調和がとれていない点はぎこちないが、またそれは初々しくもある。」(清水良典氏 共同通信「文芸時評」1994年9月1日)
「在日朝鮮人の若手劇作家である女主人公の出口のない青春が描かれるが、朝鮮人であるにもかかわらず母国語が喋れない在日二世という設定は、今日の在日文学の一つの定型だろう。彼女は自己をも含めた人間や社会に対して根源的な憎悪を抱いており、この作品では、それが“在日問題”の枠内にとどまることなく、普遍的な人間性の問題として追究されているように思われた。たとえば、見知らぬ男の後をつけていく女主人公のイメージは、川端康成『みづうみ』の桃井銀平の女性版であって、女の内に潜む魔性の不可思議な形象化なのだ。海をへだてた祖国への出口なしの未来が暗示される結末だが、在日・性・家庭崩壊そして分身の問題など、多様なプロブレマティークを魔性という一点へ向けて収束させた小説である。」(青海健氏「週刊読書人」1994年9月9日)
 勿論、肯定的な評価だけがされたわけではない。作品に対する不満も幾つか、表明された。たとえば、次のような時評――
「『私』の心の荒廃の背後にあるものは、見通しよく描かれているし、日本生まれで、韓国の陶芸界に革命をと夢見る三世の女友だちへの共感にも、汲みとりにくいところはない。『私』の彷徨の道筋ということだけならば、渋滞や混濁は見当たらないと言ってよい。それなのに、『私』をたえず苛らだたせる不安の正体は、読者の前にはっきり現れてこない。」(菅野昭正氏 東京新聞夕刊「文芸時評」1994年8月24日)
「このジャンルに初めて挑戦する若い劇作家が、これほどの素朴さで小説への武装解除を受け入れてしまうことにはいささか驚かざるをえない。『自分の顔の中には一匹の魚が棲んでいる』という女陶芸家のさからいがたい誘惑からどう逃れるかが最後に問われているこの比喩的な長編は、小説のイメージに対してあまりに無防備すぎはしまいか。」(蓮實重彦氏 朝日新聞夕刊「文芸時評」1994年8月29日)
 評者によって、作品の評価が違うのは当然だが、「石に泳ぐ魚」に、多くの評者たちの視線を集めるだけの強い磁力があったことは疑いようがない。

2 提訴

「石に泳ぐ魚」が発表された翌月の10月14日、「小説に登場する『朴里花』は私がモデルで、プライバシーが侵害された」とAさん側が弁護士を通じ、この小説の単行本の出版中止を新潮社に申し入れ、仮処分の申請を東京地方裁判所に提出した。新潮社は著者とも議論を重ね、単行本刊行の道を可能な限り探ろうとした。この際の新潮社側の基本的な考えは、以下のようなものだった。
 Aさん側の「『朴里花』の存在を作品から完全に削除せよ」という要求は、作品を根底から崩壊させるものであり、「表現の自由」からしても、了解することはできない。なぜなら、「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実に存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されているからである。が、両者の和解の下での出版が望ましいのはいうまでもない。
 この考え方に基づき、新潮社は著者に改訂版を要請した。この改訂版では、「朴里花」の顔に障害があるという設定を廃止し、障害の直接的な描写を削除。また、「朴里花」の属性(出身大学、進学先、専門課程、サークル、友人知人、父の職業・経歴)を大幅に変更した。
 裁判所は、両者の意見を聞き、「原型のままでの公表はしない。この小説を公表する場合には、改訂版原稿のとおりの訂正を加えたものとする」という和解案を示し、Aさん側は、仮処分の申請を取り下げた。
 が、同年12月22日、Aさん側は「石に泳ぐ魚」が「名誉毀損、プライバシー及び名誉感情の侵害」にあたるとして「損害賠償、謝罪広告の掲載、公表の差し止め(改訂版についても)」などを求める裁判を東京地方裁判所に提訴した。被告は著者の柳美里氏と彼女の韓国における代理人、版元の新潮社と「新潮」編集長(当時)坂本忠雄である。
 Aさん側の主張は、①「朴里花」のモデルはAさんである、②顔の腫瘍、父親の逮捕歴などプライバシーが侵害されている、③父親の逮捕歴、里花の入試過程の描き方などが名誉毀損にあたる、④侮蔑的表現がある、などである。
 これに対して、新潮社側は以下のように主張した。
 この小説は文芸作品であり、一般読者が実在の人物と作品の登場人物を同一視しながら読むことはない。この小説は現実から想を得たにせよ、実在人物の行動や性格がデフォルメされ、現実の事実と意味や価値をことにするものとして表現されている。小説の主題は「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要なものであり、被告側が「朴里花」に贈った生の賛歌である。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。
 翌1995年「新潮」12月号に柳美里氏は「表現のエチカ――『石に泳ぐ魚』をめぐって」を寄稿した。(「窓のある書店から」角川春樹事務所刊所収)
 この中で、柳氏はこの小説執筆にあたった心構えをこう書いている。
「私はどうしても書かずにはいられないことを書こうと思った。よく知っている世界から書きはじめて、たとえ小説の森の中に迷い込んでも、何ごとかに到達できると信じて最後まで書き通す。書いているものが一体小説なのだろうかという疑問符が、私を何度となく立ち竦ませるかもしれないが、目を瞑ってでもそのハードルを飛び越えるしかない、大雑把にこんなことを考えて小説を書き出したのだった。」「私は〈里花〉という人物が、作中の〈私〉にとって如何に大切な人物で、聖なる存在であるか、その一点を書くことに力を注いだ。」
 そして、「私はこれからも書かずにはいられない小説を書き続ける。私がものを書く人間として関心を抱くのは、深い疵を負った人間と、その疵を聖なるものに変えていこうとする離業に対してである。」とも書いている。 3 反響

 この裁判はその性格上、文学表現に携わる多くの人々の注目を集めた。幾人もの作家や批評家が、意見書や陳述書の形で、個人としての考え方を述べた。
 例えば作家の高井有一氏(現・日本文芸家協会会長)は、「石に泳ぐ魚」を「作家が生涯のうちで一度は書かねばならぬモテイーフに従つて書かれた小説である、と私は思ふ。」として、「不定形な体験を一気に結晶させる触媒があつて、初めて作者の意識のなかで小説は形を成す。『石に泳ぐ魚』の里花は、まさにその触媒の役割を果たしたのだつたらう。」と指摘する。そして、最後に、「『石に泳ぐ魚』は、モデル問題の存在を超えて、独立した文学作品として鑑賞に耐へ得る。このやうな秀れた作品の出版が許されない事は、文学にとつての不幸と言はなくてはなるまい。」と結んでいる。
 作家の島田雅彦氏は、「意見書」を提出し、「実作する側として私の個人的体験を踏まえ」小説の登場人物とモデルとの関係についてこう書いている。
「小説作品には、全く架空の人物像というものはあり得ません。あるいは、仮にモデルがいる場合でも、その人のことをつぶさに書き記していったからといって、その人本人の人格が、容姿が、そして経歴が、すべてそのまま100%言葉にできるものとは思っていません。そういうことは不可能です。それは、言葉と物の『ずれ』に伴う一般的な問題でもあり、小説表現上でモデルと登場人物が完全に一致するということは成立しません。」また、モデルを描く場合、その本人さえ気づいていない側面があり、「ここには、小説の人物として描く場合の、作者の創作という部分が入ってくる」と指摘する。作者は、特定の人物の経歴を参考にしつつ、「自分の意識を、あるいは自分のドラマツルギーをうまく反映し得るような登場人物を創造していく」。
 さらに、小説表現には、「小説を語っていくナレーター(語り手)と、そういう構想を立てた作家との質的な違いというものが入り込」み、一般的に「私小説」と呼ばれるものでも、「必ず、作者、語り手、主人公の間には微妙な『ずれ』が生じている」という。その意味において、「最初から、あらゆる表現にも、どんな一行一行にも、創作が入り込むのは避けられないことです。また、その芸を競っているのが小説だといえます。」
 また、小説は読者を得て、次の段階を迎え、「自分の意図とは違った形で複数の読者に読まれる機会を持つことによって、作品はある種の変質を遂げていく」とも指摘している。
 島田氏は、経験から、「ある場所を舞台にして、私自身が体験した活動のことを小説にする場合は、要素関係あるいは人間関係というものが、実在の関係だったりするように見られるのは当然のことで、しかし、借りたのはその行動であり、関係だけであって、あと、すべてのディテールは全部創作なのだということです。」と言う。
 柳美里氏と「在日」という立場を共有する評論家の竹田青嗣氏は、柳氏の文学の特質を「不遇からの回復」というモティーフに見いだす。「まず不遇と苦悩があり、その危機を克服し、自己回復(恢復)を果たす」、その自己回復は、「マイナスのものとしての自己をそのまま認定し、そのような自己のあり方の深い了解が生のバランスを回復させるという、極めて特徴的なかたちを取る」。そして、この範型は、「客観的条件が現実的に克服しがたい要素を含んでいるとしても、それにもかかわらず不遇からの自己回復の可能性がありうる、ということを示唆する」という。
 竹田氏は「石に泳ぐ魚」を「自分の不遇を抱えた主人公が、あるとき自分以上の不遇を質の違うかたちで生きている人間にはじめてであい、そのことで、自分の生の意味を照らされ、そこに自己了解と、自己回復の可能性が示唆される。そのような作品として、非常に緊密な作品世界を構成している」と評価し、「朴里花」についての描き方には、「蔑視と悪意」や「誹謗、中傷」の気配はまったく感じられず、「朴里花という人物から、主人公は自分の生のあり方についての深い示唆を得、彼女に引きつけられ、自己了解についての強いインパクトを受けた。それは作家が、当該の人物から受けた衝撃の質とそのまま考えるほかない。」と指摘する。

4 判決と上告理由

 1999年6月23日、4年半に及んだ裁判の判決が東京地方裁判所で下された。判決の骨子は、以下のようなものである。
 被告柳美里、新潮社、坂本忠雄は原告にたいし、金100万円(請求1000万円)を支払え。「新潮」に掲載された作品は、出版、出版物への掲載、放送、上演、戯曲、映画化等の一切の方法による公表をしてはならない。謝罪広告の掲載、改訂版の出版差し止め請求ほかの請求は棄却。
 判決文の中で、東京地裁は、「小説中の登場人物が虚構の人物であるとしても、その人物にモデルとなった実在の人物の属性が与えられることにより、不特定多数の読者が小説中の登場人物とモデルを同定することができ、小説中の登場人物についての記述において、モデルが現実に体験したと同じ事実が摘示されており、かつ、読者にとって、右の記述が、モデルに関わる現実の事実であるか、作者が創作した虚構の事実であるかを截然と区別することができない場合においては、小説中の登場人物についての記述がモデルの名誉を毀損し、モデルのプライバシー及び名誉感情を侵害する場合があるといわなければならない」との判断を示している。
 被告側は直ちに控訴したが、東京高等裁判所は、本年2月15日、控訴棄却の判決を下した。この判決の中で東京高裁は、小説表現について、「現実に題材を求めた場合も、これを小説的表現に昇華させる過程において、現実との切断を図り、他者に対する視点から名誉やプライバシーを損なわない表現の方法をとることができないはずはない。このような創作上の配慮をすることなく、小説の公表によって他人の尊厳を傷つけることになれば、その小説の公表は、芸術の名によっても容認されないのである」と、一歩踏み込んだ判断を示している。
 この判決に対し、新潮社は「判決文は、憲法21条に違反する違憲の判決であり、すみやかに破棄されるべきである」として、最高裁判所に上告の手続きをとった。
 上告理由は多岐にわたるが、ここでは小説表現の問題に絞ることにする。
 高裁判決は、「創作上の配慮」の必要性を説くが、これは、「司法裁判所という一つの公権力が文芸作品の表現それ自体や表現方法そのものの領域にあえて入り込んだ上」「新たに文芸作品の表現それ自体や表現方法そのものに規制を加えるものであり、小説表現の自由に対し明らかに萎縮効果を与える表現内容自体に対する規制である」
 また、この判決は、小説における個別表現の権利・利益侵害の判断にあたり、テーマとの関連においてではなく、個別表現の「部分的考察」によるべきであるとしたが、これは「小説という文芸作品における表現の性質を忘れ去ったものであり、かかる判断方法は作者に対し表現の途をおよそ奪い去るもの」である。そして、「表現物は思想の自由市場において心理の最良の判断をあおぐべきであって、受け手である読者の手に届く前にこれを抑制して公の批判の機会を失わせることはさけなければならない」
 いうまでもないことだが、文学表現は、「現実との切断を図る」のでは決してなく、現実に密着し、没入し、抉りだし、凝縮する。文学表現は、永遠の価値を求め続ける一方で、既成の価値を紊乱する。人間の善を描きながら、昏い悪徳を追い求める。人間の最も醜悪な暗部さえその対象とする。侮蔑、悪意、嫉妬、あらゆる感情を流出させる。
 作家は、個々に孤独な途を辿って、倫理や内的規範を獲得し、表現するのであって、司法の論理に基づく「創作上の配慮」に束縛されるのではない。文学表現において、「自由」は不可欠の要素であり、この「自由」は、裁判官の恣意に委ねられるものではないし、委ねられてはならない。
「新潮」の主張は、終始、簡明なものである。それは、以下のようなものである。
 表現の自由は、最大限に保障されなければならない。
(本誌 野木正英)