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Special―― 庄野潤三氏宅訪問余話

 11月29日、午後一時半、小田急線向ケ丘遊園駅改札口で、江國香織さんと待ち合わせ、タクシーで庄野潤三氏宅へ向かった。江國さんとは初対面に等しいが、ご両親が社の大先輩ということもあって、すぐに会話はほぐれた。父の故江國滋氏は文筆家として立つ以前、「週刊新潮」の名記者として鳴らし、当時「芸術新潮」編集部に在籍していた夫人と結婚した。
 二時ちょうど、庄野家着。早速、ぶっつけ本番の対談が始まる。一見異色の取り合わせだが、江國さんは大の庄野ファンだから、両者の呼吸はピタリと合った。
 対談後は隣りの和室で、夫人お心づくしの手料理をご馳走になった。「庭のつるばら」を本誌に連載中、毎月御原稿を頂戴にあがったものだが、私事ながら、当時結婚した娘に、雅子妃より十日ほど早く、女の初孫が誕生したことを報せると、皆で祝ってくださった。江國さんは、対談中話題になったマルメロ酒を実際にふるまわれて感激の面持ち。
 帰りぎわ玄関正面の壁に、バラの油彩画と散歩用のハンチングが三つ架かっていたのが目にとまり、思わずシャッターを切ったが、写真を載せるスペースがないのが残念。なお、庄野氏の新作は「庭の小さなばら」という題で、「群像」新年号からスタートした。ご愛読を。

Visit―― 小田実氏陣中見舞いほか

 おいて12月4日、今度は関西方面への出張である。最初に訪ねたのは、小田実氏宅。JR芦屋駅で下車し、タクシーで十分ほどの道中は、阪神大震災でも被害の大きかった地域。窓から見える住宅の大半は真新しいから、瓦礫を除いた土地に新規に建て直したものなのであろう。小田氏宅はマンションの最上階で、ベランダから右手は六甲のやまなみの紅葉が、すぐ真下の砂浜からは瀬戸内海が広がる風光明媚なところ。ふだんなら、心ゆくまで景色を嘆賞するところだが、この日はとてもそれどころではなかった。今号の巻頭一挙掲載「深い音」五六○枚の陣中見舞いと称しつつ、実は年末進行のため例月より十日も早い締切に、はたして間に合うかどうか、偵察に来たのである。
 進み具合によっては掲載延期もやむなしと内心覚悟していた編集子とは対照的に、小田氏はきわめて意気軒昂。もう最後まで完全に頭のなかに出来あがっており、それを文章化する時間は十分あるから全く心配はいらないと、逆に励まされてしまった。
 夕刻から始まった京都での会合が終ったのは、九時過ぎ。そのあと、来京の折りは大抵そうしているように、平野啓一郎氏を呼び出して、食事と酒。読者からその後の進行具合について問い合わせが殺到する全二千枚の大作「葬送」は、既に第二部を書き終え、二月脱稿が見えてきたとのこと。一日七枚のペースは今までと変わらないが、心なしやつれた様子も見えたので、栄養をつけてもらおうと冗談半分に牛の焼き肉を勧めると、平然と平らげたのは、さすが大物であった。

History―― 山口昌男氏と「勝野金政」シンポジウム

 山口昌男氏の短期集中連載「二十世紀における『政治と文学』の神話学」が、今月で完結。その中で中心的にとりあげてきたのが勝野金政という人物である。文豪島崎藤村に関係が深く、戦前にフランス共産党を経てロシアに亡命した勝野は、あらぬ罪を着せられてラーゲリに送られる。奇跡的に生還した後、世界に先駆けて体験告発小説を発表する一方、参謀本部で対ロ情報政策に関与した。
 おりしも12月15日、早稲田大学で「スターリン体制告発の先駆者 勝野金政 生誕百年記念シンポジウム――政治における幻想と現実」が開かれた。’96年にロシア政府によって正式に無罪を証明され、復権を果たしているが、さらに歩を進めて、この人物の歴史的業績を再検討しようというもの。加藤哲郎一橋大教授らの呼び掛けによるもので、150席ほどの会場は立ち見も出るほどの熱気に包まれた。小誌の連載もたびたび紹介され、あちこちから感謝の声をかけられるなど、出席した山口氏も感慨深げだった。
 その後もたれた懇親会の席で山口氏は、「私などにくらべ、勝野という人はえらい大変な人生を生きのびたものだ」と挨拶したが、これには少なからず実感がこもっていた。「二十世紀における――」を準備している最中に軽い脳梗塞を起こして倒れ、その後も出張先で肺炎をわずらい入院するなど、万全にはほど遠い体調だった山口氏だが、筆の方は軒昂そのもの。勝野という人物の個人史を軸にして、政治と文学の関係を解き明かし、また新たな日本の近代像を浮かびあがらせてくれた。

〈読者からの投稿〉

 昨年11月、東大阪市にオープンした司馬遼太郎氏の記念館を訪れた。日本は、氏が生前憂えたように「次の時代は来ない」ような漠たる不安、理念の混迷を深めている。没後、5年余。氏の人気はむしろ高まり、定着している。何故なのか。親交の深かったドナルド・キーン氏は「司馬さんを通して日本人としての誇りを求めている」といわれる。
 折しも、新潮社から「司馬遼太郎が考えたこと」(全15巻)が刊行され、氏のすぐれたジャーナリストとしての考察の深さを感得している。晩年はこうしたエッセイを恣意的に執筆したとも聞く。
 高さ10メートルの壁面いっぱいの大書棚を見ていると、司馬氏の英知に分け入る思いだ。  越谷市 濱島宮矢夫

【お詫びと追加訂正】

 前号掲載の集中討議「『平成文学』とは何か――1990年代の文学と社会から」に付した編集部作成の「一九九○年代作品年表」は、スペースの都合上、文芸誌発表作品については、日本文藝家協会編「文藝年鑑」所収の「文芸時評」で取り上げられた作品を、単行本については、野間賞、谷崎賞、川端賞、毎日芸術賞、芥川賞、三島賞受賞作品などを、選択の基準にしました。しかし、遺憾ながら、一部遺漏があり、またそれ以外の多くの重要な作品が脱落する結果となりました。不手際を深くお詫び致します。なお、右に関連して、作家の米谷ふみ子氏より、「私の作家としての存在が九○年代全体から抹殺された」として、自作が抜けていることに強い抗議がありましたので、「作品年表」に左の作品を追加訂正します。
 1998年5月 ファミリー・ビジネス 米谷ふみ子(新潮社)
(他の作家の他の作品も同様に追加訂正すべきでしょうが、全作家の全作品を網羅できない以上、もともと不完全なのは致し方ありません。これにて、どうかお許しを願います)

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