小田実
今はもうめっきり見かけないようになりましたが、昔は街なかの大きな果物屋には、お店の奥にお店の果物をジュースにして飲ませてくれるフルーツ・パーラーがあるものでした。わたしの子供の時代、いや、もう少し年をとって年ごろの娘になったころまであった。 薄暗いし狭苦しい、どのお店に行ってもその感じがつきまとう喫茶店とはちごうて、季節の色とりどりの果物を並べた果物屋の店先から奥へ入ると、そこがガラス扉ひとつで仕切られたフルーツ・パーラーで、そこには外の街路の光がそのままふんだんに入って来て、めっぽう明るい。光がフルーツ・パーラーのお店のすみずみまで行きわたっている感じで、その感じのせいか、実際にはたいして広くもないのに、フルーツ・パーラーはどこのお店でもひろびろとして見えていました。ひろびろとして、明るい、そう言うてよかったかと思う。 そこには喫茶店にあるようなふかふかしたソファまがいの椅子はなかったし、背の高いボックス席などまったくなかった。椅子はたいていのお店でアルミのパイプ脚の折り畳み椅子のお手軽なものなら、テーブルはテーブルでツルツル表面が光るデコラ板の長方形のテーブルでした。客も、コーヒー一杯で二時間も三時間も深刻ぶった顔でねばる名曲喫茶の学生さんのような客は来ていなかったし、煙草の煙を濛々とあげて海千山千の商談を声高にやってのける商人連中もいなかった。たいていが仕事のあいまに「当店特製」のフルーツ・ジュースを飲みに来る近所の会社のサラリーマンや女事務員でなかったなら、学校の帰りに連れ立ってにぎやかにやって来る女子高生の群れでした。もちろん、多いのは家族連れで、休日には、彼らでフルーツ・パーラーのひろびろとして明るいお店はいっぱいになる。 お母さんがアルミのパイプ脚の折り畳み椅子に行儀よく坐って、黄色のオレンジ・ジュースを上品に飲んでいました。長方形のテーブルのむこうにお母さんとむかいあわせに坐った上の男の子は、その子の真っ赤な頬っぺたにふさわしく赤いイチゴ・ジュースです。男の子の横では下の女の子が淡いピンクの入った白桃の白いジュース。それとも淡いバナナ・ベースのミックス・ジュースやったかも知れない。 女の子はお澄まし顔で、丈の高いグラスに入ったその白いジュースをストローの音をジュウジュウわざと大きくさせて飲んでみせた。お母さんはしかめ面をして(これ)というふうに女の子をにらんでみせるが、女の子はどうせお母さんは他の客がいることやから声をあげて叱ったりはしないとタカをくくって、さらに大きくストローの音をたてると、そのうち、それまで静かに飲んでいた横のお兄ちゃんまでが妹の真似をしてジュウジュウ飲みをやり始める。お母さんはいっそうしかめ面をして男の子もにらみつけ始めますが、眼は笑うている。そのうちこらえきれなくなったようにお母さんがほんとうに笑い出してしもうた。お母さんだけが笑い出したのやなかった。二人の子供も笑い出していたし、その心あたたまる光景を何んということもなくそれまで眺めていたまわりの客もつられて笑い出していた。それほど、その笑顔は、まだまだ若いお母さんをふくめて愛らしいものに見えていました。ひろびろとして、明るいフルーツ・パーラーのなかでのことやった、すべては。 それから足もとが大きく、激しく揺れ出した。足もとの直下深く大地がゆらぎ、割れ、裂け、ゴウッという深い音がその裂けた地の底からした。そう聞こえて来た。 |