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球形時間

多和田葉子

 
 サヤはプラットホームの端で、手鏡と口紅を出して、あわただしく、鏡の中を覗き込んだ。まるで、急がなければ、自分の顔が、鏡の中から逃げていってしまうとでもいうように。自分の顔が鏡の中にうまく収納されているのを見るとほっとして、口紅をゆっくりひねり出し、唇をすぼめてみた。午後二時のことで、小さな私鉄の駅にはあまり人がいなかった。背後から視線を感じ、鏡にそっと映し入れてみると、五十代の背広姿が映っている。男の顔には、怒りの予兆のエラが立っている。プラットホームで化粧するな、とその顔に書いてある。でも、そんな規則を作ってくれたのは、いったい誰? 女性が家の外で髪の毛を人前に晒すことを許さない宗教もあるって、ソノダ先生が言っていたっけ。そうすると、戸外で化粧するのもいけないんでしょうね。でも、日本って、イスラム教じゃないでしょう。仏教とかあるけど、仏教徒って、戸外で化粧していいのかなあ、いけないのかなあ。ホトケサマ、美男におわす彼、遠足の時に鎌倉で見た身体のおっきいあの人、パンチパーマかけてて、唇のエッジがはっきりしてて、頬はちょっと太り過ぎかもしれないけれど、きらいなタイプじゃない。そうそう、あの人、悟る前には首飾りとかイヤリングとか、いろいろ付けてオシャレしてたんだって、ガイドさんが言ってたっけ。自分でもあんなにオシャレしてんだから、彼、あたしが少しくらいオシャレしたって、きっとケチつけたりなんかしないよね。それに比べて、何よ、あのおやじ、どんな聖典を盾に取って、あたしに文句つけるつもり? きっと、自分でも分かってないんだ。根拠もないのに文句つけるなんて。根拠を出してください。いったいどういう思想の地盤に立って、そういうことを言ってくるのか、説明してください。自分の趣味だけで、駅にいる他人の化粧にケチを付けるなんて許せない。ちゃんと説明してください。どういう宗教に基づいて言ってるんですか。ああ、なんだかあたしも理屈っぽくなってきた。これも、みんな、担任のソノダヤスオ先生の影響。
 サヤはわざとゆっくりと見せびらかすようにほとんど茶色に近いほど色の濃い口紅を額の高さに掲げ、桃色の唇の上に塗った。まだ買いたてなので、先端が剣のように尖っている。まず、縁取りを。暗く縁取りされた口。それから、縁取りの中を塗りつぶした。口紅の濃い色に、自分で興奮する。南洋風の化粧には、これがよく合う。自分で自分の唇に接吻できないのが残念なくらい。それにしても、セップンって日本語、なんだかカフンみたい。粉っぽくて、意味に合ってない。もっと、じゅるじゅるした言葉、ないかな。「苦渋」とか、「部首」とか、「重病」とか、漢字で書くと色気ないけれど、声に出してみると、唾液がじゅるじゅる出そうで悪くない。そういう言葉じゃないと、接吻には相応しくない。「キス」っていう英語も嫌い。口の尖った魚みたいでさ。そんなことを考えながら、サヤは白粉を頬にばたばたとはたいた。白粉って言っても茶色いから、おしろいじゃなくて、おちゃいろいって呼んでる。ぱたぱたやっていると、背広男の頬が赤黒くなってきたよう。本気で怒ってるのかしら。化粧のどこがそんなに気に入らないの。顔を綺麗にしているんだからいいでしょう。同じ戸外パフォーマンスでも、あんたたちのやる汚いタチションとは大違い。アルコールかアンモニアか知らないけれど、変に濃い黄色の液体から、もうもう湯気がたって、臭気が町の夜をなまぬるく汚す、ああ嫌だ。