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Special―― 「有形文化財」杉本邸を訪う

 この2月7日、今月号の読書特集の劈頭を飾る対談「文人街巷に紛れ」を収録するため、京都の杉本秀太郎氏宅にお邪魔した。場所は、地下鉄の四条駅から歩いて数分ぐらいで、住所は下京区綾小路通新町西入ル矢田町。いわば、京のどまん中である。
 通りに面した間口は30メートルほどもあり、どこからお伺いしたらいいものか戸惑ってしまったが、表戸口を通され、土蔵を横目に少し歩き、普段は書庫として使われている別棟へ案内される。二階の小部屋に通されて下の方を見おろすと、氏のエッセイに、蝶の訪れや花を観察する場所としてよく登場する中庭が見える。端の方にはマロニエの樹。パリで拾った種から育てたもので、フランス文学の先輩故河盛好蔵氏宅にも同じように育てた樹があると聞いた。こんな暮らしがあるんだなぁ、と思わず呟いてしまう。
 しかし、このお宅は、正確に言うと杉本氏個人の所有物ではない。悪名高いバブル期に、マンション建築等の話があり、京文化の一つを後代に残すべく努力した甲斐あって、’90年に市の有形文化財指定を受け、財団法人奈良屋記念杉本家保存会の所有となり、現在に至っている。
 明治3年の普請で、築132年。京都の町家の代表的な建築で、店の間、格子の間、中の間、座敷、もちろん茶室も備えていて、家屋の延べ床面積は435平米になる。現存している中で最大規模の町家だ。また杉本邸は、祇園祭の時には御飾り場として使われる。財団法人の会員になれば、この家での雰囲気を誰でも味わえるという。文化財に住む気分がどんな心地かは、聞くのを忘れてしまったが。土蔵や書庫をはじめ邸内には、伝来の書画骨董もあるようだ。「何も買うてません」と杉本氏は笑っていたが、池大雅や与謝蕪村の画が出てきた時は、福田氏も喰い入るように目に焼き付けていた。
 3月9日からは、世界的に有名なベルギーのフラワーアーティスト、ダニエル・オスト氏による展覧会「京都・杉本家の春」が開かれる。5年前、秋に開かれたときには「陰翳礼讃の花」として好評を博したそうだが、椿や水仙が咲きほころぶ春には、また違った美を醸し出してくれるにちがいない。

Memory―― 藝と風格のある、質の高い書評よ、いでよ

 新年早々、歌人の富小路禎子氏と、書評家向井敏氏が亡くなった。富小路氏は、去年高橋順子さんが小誌に評伝を連載、単行本が出来たときのお祝いの会に氏を招いて、御礼を申し上げたのが最後だった。1月9日の告別式には、高橋さん、書くきっかけを与えた夫君の車谷長吉氏と三人で参列したが、「短歌研究」誌3月号「富小路禎子追悼集」で、高橋さんは次の歌を引いて、まるで辞世の歌のように読めると悼んでいる。
 しばしの間地上をはしる電車より見し曼珠沙華 一生のごとし
 ところで、向井氏のほうだが、氏とは平成元年2月臨時増刊「この一冊でわかる昭和の文学」で各界46氏に「昭和文学 私の一篇」というアンケートを求めた際、昭和と共に逝った大岡昇平の「野火」を挙げ、「極限状態におかれた人間の精神と行動を隈なく写しとるという難儀な課題に挑みながら、しかもほとんどエレガントとも呼びたい端正な作品に仕上げた器量に敬服。(それにしても、一篇だけというのはあまりに理不尽)」という回答が、短いなかに意を尽くしていて、強く印象に残っている。
 その向井敏さん「お別れの会」(2月27日)の案内状に、「一冊の本の書評がそのまますぐれた文藝批評になっているという難しい離れ技を、向井さんはもののみごとに、そして静かに実現してみせてくれました。ここぞというときの、そのほめっぷりのあざやかさとともに、私たちの心に強く残っています」とあって、まさにわが意を得たりと思っていた折も折、毎日新聞2月24日朝刊が「本好き共同体のために」と題して、「毎日書評賞」創設に寄せる丸谷才一氏の文章を掲載した。藝と風格のある欧米のレビューと較べて見劣りのするわが国の書評が、これを機により注目され、レベルアップすることを望む。巷間伝えられる読者の本離れは、知ったかぶりの評者によるさもしい貶めか、さもなければ内輪ボメの氾濫に起因するところ大と思うからである。

TalkShow―― 四方田犬彦トークショウ

「李香蘭と東アジア」(東京大学出版会)「ゴダール・映像・歴史」(産業図書)の編著、「メロドラマ的想像力」P・ブルックス著の翻訳編著(産業図書)と、ここ2ヶ月で、たてつづけに編著を出版した四方田犬彦氏の精力的な仕事ぶりは、瞠目に値する。
 その四方田氏のトークショウが、去る2月16日、六本木で開催された。名付けて「ゴダール「映画史」を読む」。音楽評論家の小沼純一氏を相手に、ゴダールの長編ドキュメント「映画史」を語るというイベントだが、姿を見せるはずだったゴダールが、急遽、来日中止となるハプニングの中で開かれた。
 つめかけた、200人余りのゴダールファンを前に、氏は、1965年の「気狂いピエロ」から、70年代の匿名のグループ制作時代をへて、80年代以降の「審美家としてのゴダール」へいたる歴史を振り返り、最後には、「ヨーロッパ文化に殉じようとする後ろ向きの」ゴダールを批判するという、極めて刺激的なゴダール論を展開した。途中、詳細な註が施されたDVD版の「映画史」の上映も挟まれ、ゴダールの現状を批判しつつも、「映画が終ったあとという意識」で映画を撮り、「作品を観た者をおしゃべりにしてしまう」監督の抗しがたい魅力を語った。
 今月号の特集にも「あまりにも巨大な書物」というエッセイを寄せていただいたが、氏の活躍の舞台は、国境を越えて、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、北アフリカと広がっている。今年は、ワールドカップが開かれる韓国を舞台に、幾つもの仕事が控えている。小誌にも近々、別のテーマで登場していただく予定があり、乞うご期待。

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