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日本難民(冒頭部分)

吉田知子

 
 車は昨日ほど多くない。おとついあたりが最高潮だった。いつもは静かな住宅街なのに、大通りを迂回する車がどんどん入りこんで道幅いっぱいになり、渋滞していつまでたっても動かない。乗っている人たちが、うちにトイレを借りに来たり水をもらいに来たりした。周囲の家はみな門があり、門から建物まで距離がある。玄関が直接道に面しているのはうちだけだから次々に人が来る。
 もう大変らしいですよ、東京は。焼け野原だそうです。私のところからも火が見えました。工場やなんかがいくつも爆発して。もう全部。飛行機が何台も頭の上を通って飛んでいきました。テレビ局とかね、電波関係が真っ先にやられました。ほら、軍需工場なんてないから、今は。連合国は日本を抹殺するのが目的だなんていうけど。まさかとは思いますが。
 もちろん自衛隊も応戦すべく集結したのですが、そこを一挙にやられて。そう、あちこちの基地が同時に。信じられないことが起こったのです。情報は入っていたらしいのに軽視していたんですな、政府は。動揺を恐れて国民には一切知らせなかった。というより、そんなことあり得ないと思っていたらしい。ああ、なんてばかなことだ。
 人々はきれぎれにそんな情報を伝えていった。テレビの最後の言葉は「皆さん軽挙妄動を慎みましょう」だった。通る車のナンバーを見ると、はじめのうちは遠くの人ばかりだった。そのうち、同じ地区の車も混じり始めた。
 早くしないと。命あっての物種だから。何もなくても危険らしいものからは遠ざかるほうがいいに決まってます。何だかわからないけど、とにかく大きな町の近くは危ないみたいですから。大げさかもしれないけど、うちは老人や子供もいますから。
 彼らは言いわけがましくそんなことを言った。
 ガス、水道、電気はくるが、五日前からテレビもラジオも止まって何も映さず何も言わなくなっていた。電話も通じない。新聞も来ない。半ぺらのビラだけ何枚か郵便受けや玄関に差し込まれていた。
 緊急通達――絶対にうちから動かないようにしてください。デマを信じてはいけません。政府は復旧に全力を挙げています。一週間以内ですべて元通りになりますからそれまで我慢してください。
 これは市からの通達らしい。これだけでは何が起こったのかさっぱりわからず、よけい不安になるばかりだ。他に、今回は宗教戦争なのだから、あなたもただちに悔い改めなければこの世の終わりを見ることになるだろう、救われたければ今すぐ**教団に入信しなさい、というのと、シュラフ十二万、薪用の釜五万五千円、野外用敷物二万円、などとキャンプ用品を並べ立てた広告のビラ。ヨーグルトの宣伝はもっと前に玄関に差し入れてあったのかもしれない。
 通る車が少なくなったらなったでまたそれも不安だった。私たちは動かないつもりだったが、一応車に積み込む荷物は用意した。下着や衣類、日常的に必要な品物、食糧、薬、水、思いつくたびに荷物は増えていった。缶詰や米、小麦粉、調味料、もちろん鍋もいるし、コンロや薪や炭、マッチ、タオル、寝具。いったい何日分用意すればいいのか。もうとても車に載る分量ではない。
 私は夫に「やっぱりどこかへ避難したほうがいいと思うわ」と言った。もう店も開いてないし。こんなことならティッシュをもっと買いだめしておくんだった。ぐずぐず迷っている間にテキが来たらどうするの。来てからではもう間に合わないわ。テキなのだろうか? 地震や台風や洪水ではないことは確かだが。
 こんなになっても私たちが動かないのはちゃんとした考えがあるためではなかった。意見が合わないからだった。こんな時は誰でも山の方角に向かうに決まっているのに、夫は断固として海へ行くと言い張る。山へ入ったって雪隠詰めになるだけだ。山なんか狭くて鼻がつかえて息もできん。そんなとこで飢え死にするのを待つなんてじり貧もいいとこだと夫は言う。
 彼は海辺育ちだった。彼の兄は今でも彼の育った家で漁師をしている。夫は船に乗って外国へ行くのだと言う。外国など一回も行ったことはないし、日本語しかできないのに。第一、五人も乗ればもう満員の小さな魚臭い漁船でどこまで行けるというのか。私は船も海も魚も嫌いだった。
 テキは海から来るのよ。それに海なんか隠れるところもないし、食べるものもないじゃない。
 ばか。今はテキは空から来るんだ。昔とは違う。山でも海でも同じだ。


続きは本誌にてお楽しみ下さい。