十一月の少女
森内俊雄
プロローグ ヤは五歳、男の子です。ウは三歳、女の子です。ヤとウはいとこです。ふたりのおかあさんが、きょうだいというわけなのです。 ヤとウの家族はおなじマンションに住んでいます。ヤとウはいとこなのですが、たいへんなかよしで、きょうだいのようでした。 ヤとウはひとり子でしたが、どちらにもかしこくて心づよい守り手の愛犬がいました。ほら、あたたかにうるんだ大きな目、ハンカチをたらしたような耳、そこらあたりをそうじして歩くようなアンバイの、毛あしのながいコッカースパニエルです。 ヤが生まれたときに、二匹はもらわれてきました。なまえは、チャとチャチャです。おなじおかあさんから、いちどきに生まれたので、どちらがお兄さんか弟かわかりません。 でも、見分けるのはかんたんです。ヤのチャは、ほんのすこし肥りかげんで、ウのチャチャはちょうどいいくらいだからです。犬は飼い主に似るものだ、といいますね。どうも、ほんとうのようです。 チャもチャチャもイタズラが大好きです。きのう、どちらもいい合わせたようにはしゃぎまわるので手にあまり、ヤとウのおかあさんがそうだんをして、チャとチャチャをウのおとうさんの車に、いっとき閉じこめることにしました。しかし、これは大失敗でした。 ウのおとうさんがようすを見に行くと、おとうさんがだいじにしていた車のシートは、チャとチャチャの丈夫な歯で、メチャメチャになっていました。 おとうさんはだれをしかっていいのか分かりませんでした。それで頭をかかえて、どこかへいってしまいました。どこか、というのはどこでしょうか。たぶん、きれいな空気がたくさん吸えるところへいったのでしょう。 それは日曜日の午後のことで、今日は月曜日です。 コハク色の日のひかりが輝き、かすかなそよ風の午後です。円形広場と砂場がとなりあった広い公園に、エノキがたっています。大木の枝は、ワカミドリのうつくしい色をたっぷりふくんで、何か塗ってみたくてしかたがありません。おそらに絵筆で色をかさねようとしています。 春です。うれしい季節です。この公園へくる途中の商店街に、古くからのお豆腐屋さんがあります。水槽の底に四角の白い冬が沈んでいて、とおりかかったヤとウに呼びかけました。やわらかなくせに、ガンコなトウフです。 「わたしなんだよ、春を準備したのは。冬というのはネ、一年のために大忙しであれこれ用意をしてきた季節なんだ」 「トウフさん」 ヤがいいました。 「おトウフやさんも」 ウがヤに手をつながれたままいいました。 「それは、それは、ありがとう」 ヤとウは、砂場へいきました。木で組んだジャングルジムは日光浴をして、眠そうでした。遊ぶ子がいなくて、かたむいたままのシーソーは、上になったほうも下になったほうもおたがいに遠慮をして、おたがいが公平になれるように、ヤとウに遊んでもらいたがっています。 水飲み場では、幼稚園の手遊びのつづきをやってください、というように、銀色のあやとりひものような水を噴きあげていました。 公園のフジ棚のしたで、管理人のお年寄りが、ようやくお昼のお弁当を開きました。それはとても幸福で、豪華なお食事です。なぜなら、平和であればなんだってすばらしくなるのですから。 「ねえ、ウ。ヤはね、アナ掘っているんだけれど、アナって、どこにあるのかナ?」 ウは砂場にかがみこみ、ヤのひたいの汗を見ていました。 「ヤ。いま掘っているのが、それアナでしょ? 違う?」 「いいかい、ウ。これはネ、アナを掘るためのアナで、ほんとのアナじゃないんだ」 「ふうん。ほんとうのアナがあるの」 「そうだよ。あるにきまっているサ」 「おい、おい、キミたち。そんなにムキになっちゃいけないね。ゆっくりやろうよ」 ヤとウは、声のほうをふりむきました。それはだれかが忘れていったサッカーボールでした。ボールは砂に半分うずもれて、いい気持でうたた寝をたのしんでいたところを邪魔されたので、ヤとウをたしなめたのです。 「ボールのおじさん。ほんとうのアナ知ってる?」 「知っているよ。わたしがいま安心してうずもれているのが、ほんとうのアナというものだ、世界一のアナだ」 ウはヤをつつきました。 「だってサ。わかった?」 「ちがうよ。あれはネ、ヘコんでいるだけで、アナなんかじゃない」 「でもネ、いちおうだけれど、アナよ」 ヤはおどろいて手をやすめ、ウを見つめました。いちおうなんて、おとながよく使う言葉をいつ覚えたのだろう、と思いました。あまり使わないほうが、いいのです。 とにかくヤとウは同じ幼稚園にかよっているのですが、ヤはこの春、年中のヒツジ組から年長のブドウ組になり、ウは年少のハト組にはいってきたばかりです。 入園して一週間、送ってきたおかあさんが帰ってしまうと、窓べで泣いてばかりいて、ヤはウを膝にかかえあげて、ずっと慰めていたのに、いまではウのほうがヤの世話をやきだしています。意見もいろいろいいます。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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