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【冒頭部分掲載】

─対談─フランスかぶれ今昔

奥本大三郎×鹿島 茂


奥本 我々は大学でフランス文学を教えているわけですけれども、どこから教え始めていいのかわからない状況ですね。
鹿島 それはフランス文学に限りませんよ。文学、というか、そもそも本を読んだことのない人間という、我々が想像だにしたことのない人たちを相手にしなければならないんですから。
奥本 そう、本を読んだことがない人間に対して、文学を教えるというのは難問だ。それに卒論を書かせてやっと少しいろいろな事に興味が出た頃、卒業だし。小説の粗筋話してもしようがないから、時代背景の話なんかから入るんですけど、それでも途中で飽きてしまう。フランスの文学作品を映画化したビデオをとっかかりにしようとしても駄目なのは駄目。ミステリーならどうかと、「死刑台のエレベーター」を見せると、終った後で「チョー退屈」と言いおった。あれは、社長夫人と密通している男が社長を殺し、その直後に乗ったエレベーターがストップして宙吊りという、まさにスリルとサスペンスがいっぱいの映画でしょう。それなのに「チョー退屈」といわれると、こっちもチョー不愉快(笑)。
鹿島 白黒映画というだけで受けつけないですもの。そのくせ、フランス語を教えると、発音が上達するのはものすごく早い。
奥本 発音だけだけどね。
鹿島 しかも、フランス語の実用以外のことにはまったく興味を示さない。
奥本 僕の印象では、センター試験が始まったころから、学生がダメージを受け始めた。そして、それが年々加速する一方。
鹿島 あんなもの何のためにやっているんですか。
奥本 役人の「仕事」をつくっているだけでしょう。べつに教師は楽してません。
鹿島 むしろ、監督とかやらされて大変ですよね。
奥本 センター試験というのは、プログラムされていることに反応していくだけの試験で、官僚機構そのものに似ています。言葉を使って自分の頭で物を考え、相手に自分の考えを表明するというのがまったくない。むしろいけない。昆虫の反応と同じなんです。よく理科離れというけれども、国語力の低下のほうがはるかにすごい。しかも、その国語力の低下は、いまや学生にとどまらない。若手の研究者が書いている本なんて、ほとんど全部学者の隠語。内容も空疎で、思想は借り物です。というのも、大学の研究者は紀要論文というものを書かないといけないわけですが、これがレフェリーもなければ、締め切りも枚数制限も何もないみたいなもので、まさに読者不在の世界です。だけど、それが一番の業績として評価されるんだからね。
鹿島 最近の文部科学省は、論文を幾つ書いたか、書いた論文のタイトルを報告しろと毎年いってくる。それはそれでいいのかもしれないけれど、単に書いたという実績が重視されるだけで。だれも読まない論文だろうと、内容は関係なし。何篇書いたか、そればかりだ。
奥本 これが理科系になると、その論文が引用された回数の多い少ないが基準のひとつになっている。そうすると、低温核融合みたいな流行りのテーマを選ぶと、引用される頻度が高くなって、評価が上がる。しかし、その論文に意味があるかどうかは、まったく別の問題です。
鹿島 義理で友達の論文を引用することもありますからね。
奥本 文部科学省の締めつけに関しては、私立よりも国立の方が厳しくて、実際問題として我々なんかリストラがもう目の前に迫っている。
鹿島 フランス語教師なんて、リストラの最たるものかもしれない。
奥本 若い助教授クラスの人たちはもはや完全に文学離れしているから、みんなして文学の部門はどんどん削ろうとする。私のいる埼玉大学でも、イギリス研究コースに英文学やっている人が一人もいない状態がずっと続いていましたよ。今年からはフランス文化コースも、文学は私一人だけというありさま。学生数が少ないから仕方ないじゃないかといわれたりもするんだけれども。
鹿島 でも、優秀な学生が少数来ればそれでいいんですよ。
奥本 たくさん来たらかえって困ったりして。皆が本気でやったら大変。
鹿島 文学が外道として迫害される方がまっとうなんです。そもそも全国に仏文学科があるということ自体がおかしい。
奥本 そういえば、ひところ、どっかの女子大で、一学年に一○○人とか二○○人学生がいて、世界最大の仏文学科とよばれていた時代があった(笑)。日本航空のスチュワーデスが世界最大のソムリエ集団だというのと同じようなレベルだな。でもね、我々より十ぐらい上の、戦時中に小、中学生だった世代、あるいはその上の世代は、理科であろうと法科であろうと、文学作品、哲学書を非常によく読んでるでしょう。だから別に文学部に来なくたってよかったんだ。スタンダール、サルトル、カミュを誰でも読んでた。今はそうじゃないからね。文学全集はいま古本屋の店頭でひと山いくらだから。大学生がインテリじゃないっていう、世界にも稀な国に、日本がなった。
鹿島 その一方で、いまの若い人たちはみんなメールでは物すごい量の文章を書いている。
奥本 文章の断片の垂れ流し。各誌の新人賞に応募してくる数もすごいからね。でも一作だけ書いて、あとは知らないというのが多い。紀行文学賞なんかだと、ヒマラヤに行って一年間ぐらいヒッピーみたいなことをした体験記みたいなのばかりくる。テレビに出たい、有名になりたいというのと変わらない。
鹿島 斎藤美奈子さんが、文学も今はカラオケになっているといってます。聞きたい人は一人もいないのに、歌いたいやつはいっぱいいる。


続きは本誌にてお楽しみ下さい。