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【冒頭部分掲載】

泥人魚

唐十郎

(本戯曲は唐組・第31回公演として、4月18~20日に大阪城公園・太陽の広場、5月3、4、10、11日、6月14、15、21、22日に新宿・花園神社、5月24、25、31日、6月1日に雑司ヶ谷・鬼子母神のほか、豊田、水戸、長野でも上演される)

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<登場人物>
・浦上蛍一 海の町を去って、今は都会の隅にあるブリキ加工店で暮らす
・伊藤静雄 まだら呆けの詩人で、ブリキ店の店主
・腰田 静雄の町の女性ヘルパー
・立ち喰いそば屋の主人 ウドンの絆をうらみ、目を光らす
・待子 そのそば屋の女店員で、静雄のつくる詩を待つ
・踏屋(夜) 調査専門ブローカー。人の隠す影を踏む
・ガニ ガニ股の踏屋の部下
・しらない二郎 詩人静雄の元弟子。長崎の「しゃっぱ漁港」では蛍一とも共に働いた。その前は、踏屋と仕事を取合う前歴あり
やすみ しゃっぱ漁港から蛍一をさがして上京してきた娘。少女時代、ガンさんという漁師に、海で助けられ、そこの養女となる。海に漂う前は、椿という名でもあった
・月影小夜子 月の裏側を熟知していると、のたまう女性。しらない二郎を長崎に使いに行かした……。とある会社の秘書室長
・夕(ゆう)ちゃん 蛍一の友。ガンさんの下で働き、鯉のぼり店を転々としながら上京。「海の狼」とも呼ばれていた
・天(アマ)ちゃん 陸(おか)の労働で、今はガンさんを支える
・草(そう)ちゃん 体調をくずしたガンさんに従い、世話をする
・魚主(うおにし) 暗さに乗じる闇夜船(やみよぶね)の船長。酒乱で、やすみの少女時代、椿とも関わりあり
・ガニの部下一 ブリキの板を運ぶ
・ガニの部下二 運びながらヘイ、コーラをうたう
・ガニの部下三 板を頭でポンピングする
・ガンさん 義眼の海の漁師

一 幕
 
積み上げられた湯タンポがある。
その辛うじてバランスとったしじまの中を、一人の青年が帰ってきて「ただいま」と声をかけると、潜りこんできた風が、湯タンポたちにからみ、
グワンラガラガラと湯タンポが崩れる。

なにを温めそこなったのか
おいらの
愛しい
湯タンポ砦
へこんで
さびた
波の腹
どこか
おいらの
脇腹みたい
ただ
それだけのものだけど
待ってろ
いつか見つけてやるから
おまえが
からむ
人肌を

転がった湯タンポの山の下から、三人の男が這い上る。まるで青年の目眩の中で浮き上ったように、三人は、一つの湯タンポの上に立った一本の蝋燭に火を点ける。
一人の男 めらつく
二人めの男 またたく
三人めの男 しばたたく
 忘れもしまい
 この炎の


│ 天主堂


 どうした、ケイイチ
 おれたちさ
 おれたちを忘れちもうた?
 共に働いた
 わいらが
 リーダー
 鳥が小魚ついばむ時に、嘴が折れてたとお前は言った
 見たこともない一人の少女が、墓場の餅を喰っていたとも
 天主堂の鐘が、鳴るわけもない時に鳴っていたって
 それからお前はトンズラこいた
 後ろ姿もみせないで


│ ケイちゃん


 なんで俺たちを
 あの土地を
 風も雨も空さえも


│ 捨てたんだ


 ケイちゃんは覚えてる、おぼぉえてんぞ
 だったら
 ケイちゃん
 帰ろう
蛍一 ――


│ 帰ってきてくれ


蛍一は走って行って、彼らの足元にある蝋燭の火を消す。三人は、そのほのぐらい中を、低い世界へ降りていく。

 消したな、ケイちゃん、海蛍
 消しても、お前の
 蛍は泳ぐ

ここは小さなブリキ店。
もう店とは言えない破れたガラスを張った入口の、開き戸があり、叩き場も食事をとる所も一緒の、そんなせまい仕事場に、煎餅布団も積んだままとなった……。材を入れる棚もあるのだが、そこにはなにもなく、そこに、この屋の人の洗った股引きなど、おむつが針金えもんかけで掛かっている。そして、妙なのは、大きな盥桶(木の)が天井にぶら下がっていることだ。蛍一は、蝋燭の火をもみつぶしてからへたりこんで、眠っているのか起きているのか分らない状態となり、転がる他の湯タンポの中に前のめる。足はもごもごとうごめき、一個の湯タンポを股にはさむ。
一枚の新しいブリキ板を頭にのせ、両手で支えた静雄老人が、足でガラス戸を開けて、よろけ入る。

静雄 湯タンポ下さい

蛍一は、ほんとうに眠ってしまったようだ。股の間から、はさんだものがコロリンと落ちた。

静雄 おじさん、ぼくに湯タンポ一つ頂けませんでしょうか。おじさん、おじさん、もしおいさん

介護の腰田さんが追ってきた。

腰田 なに言っちゃってんの、伊藤さん
静雄 あ、腰田さん、遅かったね、ここのおじさん、呼んでもなかなか出てこないのよ(捧げたブリキ板を、頭でつっついてたわませる)グワングワン
腰田 危ないわよ、そのブリキの角っこ
静雄 ペコポコ、ポコペコ
腰田 やめて、その頭でポンピングするのは
静雄 ぼくの頭上に、これ、いつまであるの?
腰田 待って、今、受けとるからね。手え切るから
静雄 ぼくと手を切る? そんな仲?
腰田 ちがうの、端っこスルドイから、今、軍手はめてやるってこと。見なさいな、(と軍手をはめながら)自分で買って持ち上げたはいいものの、下ろしきれないじゃないの。しゃがめ、この仁王立ち(と腰を落とさせ)そのままよ、(横からつかみにかかる)おじさん、おじさんて店内に声かけて、伊藤さん、ここ、あんたのおうち、お店よ。「おじさん」てのは、つまり、あんたのこってしょ。自分に自分が声かけて、それが出てこないからって文句言ったってダアメ。よいしょ、……あ、下ろさないで、あたしも自分の頭にのっけちゃった! こわいわ、軍手でつかんでても、斜めにして下ろす時、板の端、まるで刃物よ! それで軍手なんか、役立たんでえ。おじさん、おじさん、助けてよお
静雄 おじさんは、ぼくなんですね
腰田 そうだよ、こんにゃろがあ、このお、こわあい、ク、ク、ク(のっけたものを見上げ)
静雄 クソったれ?
腰田 え?

続きは本誌にてお楽しみ下さい。