ジャンピング・ベイビー
野中柊
十二時十五分を少し過ぎたところで携帯電話が鳴った。 鹿の子はグリーン車のリクライニングの座席を目一杯後ろに倒して、人の目も気にすることなく、昼日中からビーフジャーキーをツマミに缶ビールを飲むという、ちょっとオジサンじみた振舞を楽しんでいる最中だったのだけれど、初夏の薄青い空を車窓から眺めつつ盛り上げたせっかくのほろ酔い気分もたちまち吹っ飛び、他の乗客からどやされるのではないか、と気を揉みながら大慌てでバッグの中を探った。そうして、ネコフンジャッタ、ネコフンジャッタ、ネコフンヅケチャッタラヒッカイタ……と、もちろん歌詞までは歌いあげないものの、ちゃらちゃらした電子音で意気揚々とメロディを奏でるお道具を取り出した。 口元を右手で被って小声で、 「もしもし」と応じると、 「あ。もしもし」 案の定、相手はウィリーだった。彼はほとんど訛りのない日本語で、 「どこにいるの?」と言った。 おそらく、彼はもう鎌倉駅に着いて、待ち合わせ場所の江ノ電の改札口のあたりで、鹿の子の姿を探しているのだろう。 「今、まだ電車の中。戸塚を過ぎたところなの」 「戸塚?」 「うん。ごめんね、遅れちゃって」 「……ああ」 「でも、もうすぐ着くから。あと十分くらいかなあ?」 「OK。じゃあ、待ってるよ」 「ほんと申し訳ない」 何度か、ごめんね、を繰り返してから電話を切った。ウィリーと待ち合わせをすると、鹿の子は必ずといっていいほど遅刻をしてしまう。彼は恋人ではない。恋愛特有のときめきなど微塵も感じない。とはいえ、友達というには互いを知り過ぎている。友人との間にあってしかるべき距離感も緊張感もまるでない。今となっては、彼は離れて暮らしている家族のようなもの。父親か兄、もしくは、弟のようなもの。三年ほど前に別れた夫について、鹿の子は常々そう思っているせいで、こんなときについ甘えが出てしまうのかもしれない。そして、実際、ウィリーは彼女が毎度のように遅刻してきても、まったく怒る素振りも見せないのだ。いつもばたばたと泡を食って駆けてくる彼女を当たり前のようにして受け入れ、一言もなじることはない。 前々日に電話で打ち合わせをしたとき、十二時十五分に待ち合わせじゃ間に合わないかもしれないよ、と心配そうに呟いたウィリーに、ダイジョブ、ダイジョブ、ぎりぎりちょうどいいくらいよ、と請合った手前、決して遅刻は許されないはずだったのに、やはり鹿の子はまたやらかしてしまった。携帯電話を切った後で、待っている間に小さなものでいいから花束を買っておいてちょうだい、と言えばよかったと気がついて、もう一度こちらから電話をかけて頼もうかとも考えたが、横浜でずいぶんと乗客が降りてグリーン車の車内はさほど混雑していないとはいえ、携帯電話を使うのは憚られたし、いずれにしても時間がない。ウィリーが鎌倉駅近辺の花屋を探しているうちに、鹿の子が待ち合わせ場所に着いてしまうだろう。十二時半近くに鎌倉に到着するとして、江ノ電に乗って腰越までは何分かかるんだったっけ? 十五分くらいだったかな? それから霊園までは歩いて十分? 十五分? 鹿の子は頭の中で時間を計算して、どう考えても一時前に到着するってのは無理っぽいな、とバッグの中に携帯電話を戻して溜息をついた。 ふたりは、これから腰越にある動物霊園へ行くのだ。五月二十六日。この日は、ウィリーと鹿の子がまだ夫婦だった頃に可愛がっていた猫の命日で、今年で三度目になる。享年九歳。腎臓を患った末に、ユキオが死んだのは離婚の直前だった。というよりは、むしろ猫の死に鹿の子は何か象徴的なものを感じてしまって、離婚届けを役所に提出するきっかけにしたといった方が正確かもしれない。当時ウィリーはモントリオールの大学に教職を得て単身でカナダに渡り、日本で暮らす鹿の子とは遠距離結婚の状態にあった。別居期間はいったいどのくらいだったろう。鹿の子にはもう思い出せない。一年だったかもしれない。二年だったかもしれない。それを長いと感じていたか、短いと感じていたのか、それすら記憶にない。ただ猫の死をひとりで看取るのは、さほどつらいことでもなかった。そのことだけはよく憶えている。もちろん、九年もの間、一緒に暮らしてきた猫が病気で苦しみ、日に日に痩せ衰えていくさまを目にするのは、恐ろしいくらいにしんどいことだった。ひとりで看病をし、猫をケージに入れて、毎日のように動物クリニックと家との間を往復するのも、気力、体力を消耗することだった。でも――術後の経過が思わしくなく、もはや死を待つのみとなった猫を、獣医の許可をもらって家に連れ帰ってから過ごした時間は、楽しかった、といってもいいくらいだった。 クリニックのガラスケースの中で、酸素吸入器を取り付けられていた猫は、脇腹を下にして足を投げ出し、毛が剃られて露出したピンク色の腹部の皮膚に手術の傷跡があるのも痛々しく、ぐったりと力なく横たわっていて、鹿の子が、ユキオ、ユキちゃん、と呼びかけても、目を細く開くのが精一杯。ほとんど何の反応も示さなかったが、家に戻ると、ずいぶんと元気になった。酸素吸入器を外したら、すぐにも息絶えてしまうのではないか、と鹿の子は覚悟を決めていたのだけれど、猫はリビングルームの日向にごろりと横になって、いつもより速い呼吸をしながらも、何やら気持ちよさそうだった。微かに喉をごろごろと鳴らしさえした。家に帰りたかったんだね、やっぱりお家が一番だよね、と言って頭を撫でると、ユキオはぼんやりとした目であらぬ方向を見やっていた。晴れていてよかった、と鹿の子は思った。リビングルームの大きな窓の向こうには青空が広がり、いっぱいに射しこむ陽の光が明るかった。そうして、猫は思いのほか長く生きた。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
|