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【冒頭部分掲載】

「建築とアソシエーション」

柄谷行人


 私がバウハウス大学で開かれる「メディアとしての建築」に関するコロキアムで講演することを引き受けたのは、特にそのような主題に興味があったからというよりも、むしろバウハウスに関心があったからなのです。バウハウスには、建築やデザインに限定されない多様な可能性がひそんでいます。それは、メディアとしての建築をふくめて、われわれが現在直面している問題に対する鍵を与えるだろうと思います。それについて述べる前に、建築家ではなく建築の学者・批評家でもなかった私が、具体的な建築の問題に関心をもつにいたった経緯を話しておきたいのです。
 私は一九八○年代の初めに『隠喩としての建築――言語・数・貨幣』という本を書きました。その結果、私は磯崎新、ピーター・アイゼンマンのような建築家と知り合うようになり、一九九一年には彼らが組織したANYという国際的建築家会議のレギュラー・メンバーとなりました。しかし、この本を書いたとき、私は具体的に建築のことを考えていなかった。私がターゲットとした建築とは、隠喩としての建築であり、また建築家とは隠喩としての建築家でした。プラトン以来、西洋における哲学者は自らを、建築家に、つまり、建築 architecture――テクネー(技術・知)のアルケー(起源あるいは頭領)――にたずさわる者になぞらえてきました。もちろん、この建築とは隠喩にすぎないので、彼らは現実の建築に関しては、手仕事であるがゆえに軽蔑していたのです。そのような考え方の延長として、中世では、神が建築家であるとみなされた。近代でも建築が隠喩として使われています。デカルトは厳密な「知の建築」を建てることを考えたし、カントはその超越論的な哲学体系を建築術architectonicになぞらえました。また、マルクスが歴史を上部構造と下部構造(土台)というタームで説明したとき、それも建築的なメタファーにもとづいていたのです。たぶん近年の例としては、フランスの構造主義structuralismに建築的メタファーが残存しているといってよいでしょう。
 ところが、七○年代に大きな変化があった。ある意味で、隠喩としての建築の役割が終わったのです。それは、別のもの、つまり、テクストあるいはテクスチャー(織物)にとってかわられた。たとえば、文学において、創造、著者、作品といった諸概念が疑問に付されました。著者のようなものは存在しない。テクストの意味は著者によって決定されるのではない。テクストの意味は決定不能である。もし「作品」が作られるのであれば、テクストはいわば織られる、あるいは生成するものである。それが、ポスト構造主義あるいはディコンストラクションに典型的な見方です。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。