そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所 松浦寿輝
水はしたたりおわった 稲光は遠ざかった 夏の旋律は絶えた 鶏が数羽くびり殺され 蒼ざめた血が鋪石のうえに撒き散らされた 汚れた魂となってわたしは歩いた 汚れた魂……(6行目) ひっきりなしに唇に張りついてくるこの苦いものはあの災厄以来昼も夜もこの地の空気中に浮游しつづけている灰なのか、それとも風に乗って北から間歇的に吹きつけてきてはまたはたと止む粉雪のかけらなのか、ともすれば区別できないまま僕は痛む片足を庇いつつひとけのない暗い街路を歩きつづけた。立てた外套の襟を咽喉元のところで合わせてぎゅっと押さえていても寒気は容赦なく躯に沁み入ってくる。合わせた襟を掴んだままずいぶん長いこと外気にさらしている左手の甲は凍えきって感覚を失い、もはや痛みすら感じなくなっている。叔父の死の知らせ――それは幾つもの住所を中継し転送を繰り返した挙げ句ようやく僕の手元に届いたのだった――を受け取り、夜汽車からバス、バスから小さなフェリー、さらに週二便しか出ない小さな漁船の渡しと、幾種類もの乗り物を乗り継いで首都の町からこの島にやって来たが、ふと思い立ってそのまま取るものも取りあえず飛び出してきてしまったのが祟って、たとえば手袋を持ってくることなども思いつきもしなかった。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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