片乳 小野正嗣
妻が二人目の子供の出産のために実家に帰ったので、しばらく息子と二人きりで生活することになった。息子はよくしゃべるし、ラジオもテレビもある。家の中がとくに静かになったとは感じられなかった。いや、むしろ逆だった。おかしなことに、余計な音が僕たちのあいだに混じりはじめた。 音の出所はどうも森のようだった。わが家の裏には小さな森が広がっている。小さな、と言ってはみたけれど、実際にはどのくらいの大きさなのかは知らない。地図だけではなにもわからない。なんとなくそんな気がするだけだ。 森の中に入る。すると、どれもこれもよく似た木々の群れに僕たちはすでに追い抜かれている。親しげに背中や肩を叩きあい、ときには腰をくねらせ、木々は先を急ぐ。緑の葉を寄せあい、けれど足は止めることなく、ひそひそ話に夢中になっている木々は、僕たちなど気にもとめない。そのささやきが遠い波音のように森の中に繁茂する。あまり奥へと進むことなく僕たちは立ち止まる。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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