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【冒頭部分掲載】

胸いっぱいの、

浅尾大輔


 本宮山スカイラインの途上から男の片腕が発見されたらしく、朝からテレビがやたらと五月蠅い。父親は「肩から切り落とされているからな、もう助からん。そうなりゃ、百年ぶりの殺人事件らしいわ」と言い、母親は「おそがいおそがい」と念仏を繰り返すように応じている。そんな事件が起きるまでもなく、どうしたってこの町は助からないと思い続けてきたが、その感覚は、例えば東名高速道路の豊川IC(インターチェンジ)から、わがふるさとながしの市までの道のり、国道一五一号線を北へ向かっておおよそ三十分、その一本きりの道路を数千台の真っ白な救急車だけが数珠繋ぎになって埋め尽くし、それぞれの回転灯は血で染めた甘露飴のようであって、その光は、霊峰本宮山の裏側へ突入していく夕陽によく映えてあまりに痛々しく眩しい、頭がおかしくなってしまったからかサイレンの音は聞こえない、それでも充血した眼球のような太陽と回転灯をずっと見比べていたら泣けてくる、そのときの感じ、どうしたってふるさとは助からない、もう手遅れだという気持ちに似ている。先ほど情ない父親を一瞥(いちべつ)して、自宅の酒屋を飛び出してきたのだが、雑誌棚にあった週刊「ガールハンター」を引っ掴んで、国道沿いを歩きながら読んでいると、主演映画でいきなり初ヌードを披露した十九歳の人気アイドルがインタビューに応えており、そこで「裸になるのに勇気なんていらなかった。だって、彼女の気持ちは手にとるようにわかったし、その意味で脱ぐことは自然だった」と語っていたので、畜生、雑誌を膝にあて真ん中からびりびり裂いて、鉄網の被った側溝に突き刺してきた。映画は東京で絶賛上映中とのことで行きたかったが、行けるはずもない。二つの肺胞からタールのような熱い滴がぼたぼたと滲みながら落ちて、横隔膜が皮袋のように膨らんでぐつぐつ煮えているのがわかった。目の前には、おびただしい数の救急車の、真っ赤に明滅する警光灯ばかりが連なって見えるものだから、昔の女のことなどもうどうでもいいじゃないかと言いきかせるのだが、もう駄目だ、もうこの町は助からないと観念する。がっくりとうな垂れた首をなんとかもち直すと、国道一五一号線を走っているのは、実は、この先のもっと奥の、設楽ダムの建設工事に加わる大型トラックの群れだった、それらは黄な粉のような排ガスを撒き散らしている。ところで事件は、今朝の東三河日日新聞によるスクープだった。ふるさとで、実に百年ぶりといわれる殺人事件が起きつつある。昨夕、ながしの市消防団第二分団ホームページに、犯人と思われる人物が、「消防自動車じぷた」というハンドル名で、「本宮山スカイラインに腕を埋めたでな」という書き込みをし、それを読んだ暇な市民が、わざわざ車でのぼってくまなく検証、無人おにぎり販売所の茂みから、肩の付け根から切り落とされた成人男性の片腕を発見したのだった、それをそいつがわざわざ消防団ホームページに「あったぞー。指輪している左腕。いまから通報」と書き込んだために、所轄の新城警察署が緊急配備を敷き、午前二時、異例の記者会見を行うという事態となった。すべてが遅れた理由は、被害者の安全を考慮に入れたためというが、結局、会見で被害者と断定されたのは、建設会社萩原組の取締役社長で、ながしの青年会議所会長も兼務する萩原幸忠氏(三十九歳)だった。萩原氏は、一週間前から行方不明になっており、その間、再三、犯人から身代金の要求があったという。昨日夕方、身代金の受け渡しを指示された萩原氏の妻が、豊川ICの防壁から国道一五一号線に五千万円を落とす手はずだったが、犯人からかかってきた携帯電話に応じているうちに半狂乱となり、失敗した。書き込みは、その直後のようだった。地方紙で報道協定に入っておらず地元でやろうと思えば明け方まで印刷できる東三新聞だけが、その状況を子細に報じることができたのだった。三面には、さっそく「同時ドキュメント 百年の殺人」という連載が開始されている。「朴秀成」という署名入りの記事は、「警察の初動捜査にミスはなかったのか。そして、全幅の信頼を得ていたながしの市の若き実業家トップは、なぜ誘拐されなければならなかったのか。(つづく)」と結ばれている。さっきから人の頭の上をバタバタバタバタ五月蠅いなーと思い、眉をしかめて見上げれば、戦前を連想させる旭日旗を貼り付けたヘリコプターが殿様飛蝗(ばった)の腹のような白い部分を見せて低空で飛んでいるのだった。本宮山スカイラインの曲がりくねったガードレール、もこもこした緑の茂みと茶色い土が少しだけ広がったところ、青い鑑識服を着た警官と山狩りに駆り出された地元の消防団員ら、彼らがジオラマの人形模型のように見え、そのなかに何故か上半身裸にからし色のニッカズボン、贅肉のない亀の甲羅のような腹筋が浮き出た花やんが鎌を片手に草を刈っている真似をしながら、実は、警官の帽子かピストルを物欲しそうに窺っている姿が、どうでもいいはずなのに目の前に彷彿として浮かんでくる。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。