六○○○度の愛 鹿島田真希
女は混沌を見つめている。なにか深刻で抽象的なことを思いついてしまいそうになり急いでそれを中止する。やがて我に返る。彼女は努力する。正気に返ろうとして。その努力は並大抵のものではない。表面に細かい泡ができては割れていく。 ステンレス製の鍋の中ではカレーのルーが沸騰寸前にまで温められている。鍋はあと五分温めればいい。ルーは甘口になっている。子供のためだ。女と、健康で善良な夫と、できのいい人材になるのか、まだ将来が約束されていないほどの小さな子供。そんな三人のカレーだ。それ以上でもそれ以下でもない。 子供が女のスカートをつかむ。ママ、お腹空いたよ、そう言って。もうすぐできあがるわ、女は答える。お腹空いたよ、再び子供が言う。女は子供にゼリー、一口で食べられるほどの小さなゼリーを与える。子供はそれを吸い込む。 ママのお手伝いがしたい? 女が子供に尋ねる。子供は頷く。女は子供に玉じゃくしを渡して、子供を抱き上げる。そっとかき回すのよ、女が言う。子供は渦を作るように力強く玉じゃくしを回す。ママ、じゃがいもがないよ、玉ねぎもない。どこに消えたの。じゃがいもと玉ねぎは、女は答える、この中に溶けてなくなってしまったのよ。どうして溶けたの? 子供は訊く。熱いからよ、女は答える、ものはね、熱いと溶けてなくなってしまうものなのよ。ママ、人間も? 女は抱き上げていた子供を床に立たせる。子供はまばたきする。子供は焼けた硝子のような色をした夕日に照らされている。豆腐屋のラッパが聞こえる。坊や、それはね、そう言った瞬間キッチンタイマーが鳴る。はっと息を呑んでガスの火を止める。ママ、もう五時だね。パパはいつ帰ってくるの? そうね。あと一時間、六時になったら帰ってくるわ。パパ、という言葉を聞いて女は罪悪感を覚える。正体不明の罪悪感。だけどもう覚えていない。たった今子供にうち明けようとしていたことについて。この女はいつも夫にすら話していない話を子供にしようと試みている。女はそんな自分の企みにまだ気づいていない。 ママ、テレビ見てもいい? いいわよ、女はエプロン姿のままテレビの前に座る。子供用の番組にチャンネルをあわせる。着ぐるみの動物たちと若い青年が体操をしている。子供がそれに合わせて飛び跳ねる。青年が腕を上げてストレッチをする。青年のシャツに袖はない。女は青年の脇の下を盗み見る。しつけ糸のような細い毛がわずかに生えている。腕はイカのように青白い。体毛の少ない男だ、と女は感じる。 その時、女の住まいの、つまり女が住んでいる団地の非常ベルが鳴る。女の体はその音に痺れて動けなくなる。非常ベルが女を焦らせる。早く行動するように女を駆り立てる。だけど女は動けない。 ママ、子供が女の肩を叩く。女の金縛りはとける。ママ、火事だよ、逃げようよ、溶けてなくなっちゃうよ。そうね、女は答える。でもあわてては駄目。外へ出てみましょう。なにかの間違いかもしれないわ。 エレベーター付近の非常ベルには人だかりができている。非常ベルの誤作動ですって、隣人の妊婦が女に話しかける。この女は妊娠してから根拠のない自信をつけた、女は感じる。それまではおどおどしていて、人に話しかけるなんてことはなかった。私、火事かと思って飛び出してきたんですよ。びっくりしますよねえ。大きな腹をさすりながら彼女が笑う。奥様もそう思ったでしょ? そうですね。女は青ざめて静かに呟く。大きな音がしたというただそれだけなのに。そしてこうつけ加える。ただそれだけで、ありふれた生活がそうでなくなってしまう。妊婦は聞いていない。子供の頬をつついて「お元気ですか?」と機嫌を窺っている。 女はその様子をしばらくぼんやりと見つめる。妊婦が子供と遊び始める。じゃん、けん、ぽん。非常ベルの音が止む。じゃん、けん、ぽん。女の頭の中では非常ベルの音が残響していて離れない。じゃん、けん、ぽん。 悪いんですけど、女の声に妊婦が視線を移す。子供を預かってもらえないかしら。妊婦がその言葉を聞いて興味津々に女を見る。女は目を逸らす。ちょっと買い物へ行きたいの。もちろんいいわよ、妊婦が応じる。子供は大好きだもの、そう付け加えて。 いい子にしているのよ、女は子供の頭に手を置く。うん、子供が頷く。おばちゃんち、電車のおもちゃがあるんだよ。 女は一人で自分の部屋に帰ると、鏡で自分の顔を見る。この顔を見ただけでは誰もわかるまい。私がなに不自由なく生活していることなど。女は結婚前に愛用していた香水を手にする。そしてそれを首筋に吹きかけた。 私は幼い頃からもの書きになりたかった。だけど現在の私は違う。私は主婦だ。今では自分が向いていないことがよくわかる。きっと一つの作品を書いて私のアイディアは尽きてしまうに違いない。私にそっくりな過去と現在を生きている一人の女の物語を私は書くだろう。それを私小説というのだろうか。そんなことはどうでもいい。その自分とよく似た女が登場する小説が本屋に並び、誰かがそれを買う。その人が私を指さして、ごらん、彼女は自分のことを小説にしたんだよ、と言ったとしても、私は沈黙することしかできない。否定も肯定もできない。 その私によく似た女は、それは私自身かもしれないが、都心からやや離れた団地に住んでいる。健康で善良な夫と、まだ優秀な人材になるかもわからない小さな男の子供と、女は三人でその小さな団地に住んでいる。夫は製本所の工場長をしている。月に一回はデートと称して三人でレストランへ行く。海外旅行は年に一回だ。贅沢を言えばきりがないが、女にとっては不自由のない生活だ。 人の体に巻きつく時の包帯には、必ず血痕がある。この女にも。それは決して特別なものではない。私は自分の血痕について、孤独について、家族について、過去につきあった男たちから受けた被害について、どれも突出したところを発見できない。だから私が小説を書くとしたら、主人公となる女もそういう人物だろう。 やがて女が行動を起こす時、つまり物語が始まる瞬間がやってくる。それはいつもと変わらない日だ。なぜその日なのか。理由はない。自殺をする人でさえその日を選ぶ明確な理由はないのだから。ただ些細なきっかけがたまたまその日に起きた。それだけのことだ。女は子供と一緒に夕飯の準備をしている。その日の献立はまあなんでもいい。なるべく庶民的なものが好ましい。夕方の団地には様々な音が飛び交っている。女たちの話し声。豆腐屋のラッパ。キッチンタイマー。テレビではちょうど子供番組が放映されている。それらの音は女の血痕を紛らわせ、なかったことにする。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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