本・雑誌・ウェブ

【冒頭部分掲載】

[特別対談]雑書宇宙を探検して

坪内祐三×谷沢永一


    国会図書館にない本ばかり

坪内 昨年暮れに谷沢さんの『遊星群 時代を語る好書録』(和泉書院刊)が出版されました。明治、大正に刊行された六○○冊以上もの雑書、つまり学会や文壇やジャーナリズムでは価値が認められることなく、視野の外に置かれてきた書物から貴重な証言や面白い記述をピックアップしたものです。明治編・大正編二冊あわせて二千三百ページを超える大著ですが、明治末から大正にかけて、こんな本が出版されていたのかと驚かされてばかりでした。僕の知らない著者の知らない本が次々と登場してきます。僕にとって比較的なじみがあって、その本をかなり集めたと自負していた作家、例えば巌谷小波『目と耳と口』や伊藤銀月の『東京対大阪』など、古書目録でさえ見たことがないものも次々と出てきて興奮しました。銀月といえば川上音二郎、下田歌子など明治の著名人を評した彼の著作『当世一百人』は何巻まで出ていたのですか。
谷沢 三巻か四巻まで予告は出ています。しかし、実際に刊行されたかどうかはわからないですね。
坪内 これまでにも雑書を紹介するものはなくはなかった。しかし、この『遊星群』は、たんなる紹介にとどまらず、通読すると明治・大正の文化史を俯瞰するような、ひとつの大きな全体像ができあがっています。仮にこの本を書評するとして、ある箇所をとりあげて紹介するのは簡単ですが、それだとこの本がもつ意義は伝わらない。
谷沢 僕の想いは、いま手をうたないと永遠に失われてしまうであろう雑書や雑本を、少しずつでも残しておきたいというだけでした。見たことがない本はすべて買うという方針をたてて、まず集めることからとりかかったわけなんです。
坪内 漱石や芥川の初版本を集めるのは、お金さえあれば三、四年でできます。でも、これはお金だけでは集まらないものばかり。
谷沢 国会図書館にすらないものがほとんどですから。全国の古書店から目録が届くとすぐに、隅から隅まで目を通しました。幸運なことに、最初はライバルがいませんでした。訳のわからない本だから古書店は見切り値段をつけていて、かなり格安で入手できたんです。ところが何年かたつうち、私が雑書を集めていることがなんとなく広まるにつれ、かなり膏血を絞られましたね。しかし、これは自分の道楽であると言い聞かせながら、蒐集を続けました。そのうち、昨年暮れに亡くなられた長谷川泉先生の紹介で、至文堂の「国文学 解釈と鑑賞」に明治の雑書に関する連載を始めさせていただきました。大正の雑書についても、今度は學燈社の「國文學」でOKがでましたから、明治編と大正編を並行して連載することになりました。こうして活字にしておけば、といささか安心していたのですが、幸いなことに、このたび和泉書院で単行本にしてくださる運びになりました。
坪内 普通の人が見ても驚くと思いますが、この桁はずれなすごさは、わかる人にはさらにわかる。昭和になると、どういう本が出ていたのかというのは、おおよその見当がつきます。図書館なり大学なりどこかに必ずありますから。だけど、明治・大正のものは本当にない。国会図書館ですら明治・大正に関しては不十分ですから。
谷沢 ただ初版本がなかなか手に入らず、ほとんどが再版か三版です。ということは、一応増刷しているとも考えられます。その頃は読者もヘンに格付けなどせず、雑書でも面白がったのかもしれませんね。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。