vanity 清水博子
画子(かくこ)は鶴巻町の自室で空き巣に遭った。その後、隣室がペットの小鳥を燻製にする小火(ぼや)をだし、窓際で寝ていた画子も燻製になりかけた。身をよせる場所がない、と米国に留学中の恋人に相談すると、かっこちゃんほんならうちつこたらええやん、とすすめられた。いきがかりじょう百七十箇月間つづけた独居を離れ、恋人の生まれ育った家で婚約者候補として遇されることになった。 故(ふる)く商家では他所(よそ)からやってきた娘に行儀作法を指導鞭撻するならわしがあり、跡取り息子の妻となる十五歳ほどの娘が上女中として婚家にむかえいれられ、姑となる夫人にしごかれるしきたりを〈女中奉公〉とよんだらしい。のちに婚家ではなく親元でおこなわれ〈花嫁修業〉とよびかえられるようになったそうだが、〈女中奉公〉にしろ〈花嫁修業〉にしろ、どこにあってもなくてもおなじような味気のない東京郊外しか知らない生まれて三百九十二箇月の画子には理解不可能な風習だった。造り酒屋を営んでいた恋人の父親はすでに亡く、酒蔵そのものも震災で壊滅し、恋人は会社員をまっとうするつもりだったから、画子は商家に嫁ぐわけではない。 おたくを使わせてもらってなにをすればいいの、と問うと、行儀みならいでもしといたら、と恋人はのんびり云う。 行儀みならいってなに。 行儀みならいゆうたら行儀みならいや。 だれにでもできる業務とはいえそれなりの矜持をもってやってきた仕事を辞めてまでしてこの身をまもらねばならないのか。まもるほどの器でもなく、まもってどうなる身でもない。入社から百二十箇月経つと支給されるリフレッシュ休暇を利用しお世話になることにした。ただし恋人と口裏をあわせ、恋人のうちのほうには退職したと虚偽を告げた。そうでなければ表玄関からいれてもらえなかったから。 恋人のうちは六甲の山ン中にある。山ン中の家では恋人の母親であるマダムがひとりで暮らしていて、お仕事を辞めたのでしたらうちでもかまいませんけど、と画子をあずかる意向を述べた。露骨に迷惑がられ、親切に高値をつけられたようだった。親切の押し売りではない。めぐんでいただくのだ、親切を。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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