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【冒頭部分掲載】

第三十七回新潮新人賞受賞作
冷たい水の羊


田中慎弥


 丘の頂上近くの中学校から流れ出て枝分かれし、市の中心を通る国道や南側にある海峡へ届くいろいろな太さの道路の中の一本の小道の傍、秋の夕日を浴びて膨れ上がった花弁や葉が店先に重なり合っている花屋から五十メートルほどの、壁の表面を何度か塗り替えているらしい古いアパートの敷地に、大橋真夫は隠れている。学生鞄を抱え、帽子を被った中学二年の坊主頭を制服の襟に沈め、心臓の音があたりに響きそうだ、潜めようとすると逆に高まる息で大きく上下する肩が目立ってしまっているかもしれない、と恐れながら、アパートのどの部屋からも道路からも見えづらくなっている、自転車置場の横の丈の低い生垣の、根が腐ったのか血が吹き出たように葉を真っ赤に枯らしていた小さな一株を二日前に引き抜いたそのあとへ、しゃがみ込んでいる。傍へ置いたままだった枯木は昨日来た時にはもうなかった。誰かがちゃんと処分したのだろう。
 さっきから一本の枝が右の首筋に当たっている。まるでほんの何分かの間にまわりの枝葉が伸びてきて自分を囲もうとしているようだ。鼻の汗が触れそうな目の前の、作り物みたいな緑の葉を土台にして張られた網へ、長い羽根を持つ虫が今しがたかかった。招き寄せられ嬉しそうに飛び込んだ、そう見えた。望み通りに自由を奪われた体は脚をばたばたさせて空気をかき回し、命の終わりを目がけて、これまで一度もしたことがなかったに違いない激しく若々しい動きをしている。美しい蜘蛛が現れ、するすると近づく。
 自分は見ているだけだ。この網にかかっているわけではない。虫も虹色の王のような蜘蛛も、すぐ傍にいる人間やまわりの植物は視野の片隅にも置いていないかのようだ。二匹は網に命を捧げることをこの世に生きた証拠とするのであり、人間の自分が関係あるわけはない。自分の命はこんなところでは終わらない。
 反対側の生垣の根本を囲むブロックの端の門柱の外がごみ出し場になっていて、今日の収集に間に合わなかったのか明日にならないと出してはいけないのにもう持ってきてあるのか、堂々と置かれた二つの袋が真夫からも見え、濁った刺激臭が鼻を抜け頭へ回ってくる。袋からこぼれたらしい小さなものが転がっているが、蟻に覆われているために何であるかは分からない。群の元はどうやらこちら側の植込みらしい。背や脇腹を流れる汗の滴の感触が茶色の虫の動きのようで、体の表面がすっと震えた。間違って体を捩り足許の土をかき回してしまえば、夕日に照らされた蟻の大群へと落ちてゆきそうだ。足を動かさず、尻をつけもしないように姿勢を保つ。
 松の木の下の蟻を思い出した。何年も前の夏休みで、父と一緒だった。丘の頂上の、鳥居がある広場だった。体育館の半分くらいの芝生で、まわりの松林の中の一本の根の部分に蟻が群がっていた。父は何か言った。どんな言葉だったか思い出せない。蟻は何に集まっていたのだろう。
 ようやく水原里子が通りかかる。頭を植込みの陰に引っ込めて見送り、完全に通り過ぎてから立ち上がってごみ出し場まで行く。セーラー服がぐんぐんと遠ざかり、もう追いつくのは無理だとほっとしたと同時に今日も花の中に消えた。家の玄関は別にある。親は花の間を帰ってくる娘を見たくて、店から入るのを許しているのかもしれない。
 自転車に乗った十にはならない男の子がペダルを踏む足を緩めて不思議そうにこちらを見、すぐにアパートの門を通って奥へ入ってゆく。三日の間で初めて自分を見た人物だった。今までにも見られてはいたのだろう。しゃがんでいる中学生を咎めないのは、このアパートに住む人たちの特性というわけでもなさそうだ。心臓や呼吸の音どころか道の真ん中で大声を上げたとしても誰からも注意されず、通報されるだけだろう。やってきた警察官を目にすれば、自分は最初から警察に見張られていたのだと思ってしまいそうだ。
 うまく待ち伏せをしたのに今日もまた何も出来なかった。
 作り上げていた筋書では、いきなり肩を掴みハンカチで口を塞ぎ、それからどこか適当な場所へ引っ張り込んで目的を果し、なるべく苦しめずに水原の命を取り、すぐに自分も死ぬことにしていた。自分一人が死ぬというやり方もありそうだが、生かしておくのは酷い、と答を出した。本当は一人で死ぬことが寂しいのだ。でもとりあえず計画は立った。あとは実行すればいい。
 真夫が実際に選んだのは、授業が終わると急いで学校を出て、水原の自宅の近くで彼女が帰ってくるのをひたすら待つという方法で、ハンカチと庖丁は準備したものの引っ張り込む場所は決めていないし、犯すといっても体をどう使えばいいのかはっきりと知っているわけではない。これではただうしろ姿を見送るためにアパートの隅へ通っていることになる。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。