徹底討論 ウェブ進化と人間の変容 梅田望夫×平野啓一郎
ネットの「とんでもない広がり」
平野 インターネットが人間を変えるのであればどのように変えるのだろう、ということにずっと興味があって、「最後の変身」(『滴り落ちる時計たちの波紋』所収)や『顔のない裸体たち』という小説を書いてきたんですが、梅田さんの『ウェブ進化論』という本を読んで大いに刺激を受けました。今日はいろいろとお聞きしたいと思っています。 梅田 僕もずっと平野さんの小説は読んできたので、楽しみにしてきました。以前、ブログに『葬送』の感想を書きましたが、あの本が刊行された二○○二年は、同時多発テロ(9・11)の後で、自分の生き方を変えようとしていた時期だったんですよ。前半生と後半生の区切りだと思い、「自分より年上の人と過ごす時間をできるだけ減らし、自分より年下の人、それも一九七○年以降に生まれた若い人たちと過ごす時間を積極的に作ることで次代の萌芽を考えていきたい」という決断をしたのですが、背中を押してくれたのは『葬送』にあった言葉でした。ドラクロワが、自分の絵が未来に残るためには自分より若い人たちが評価してくれなければならない、と確信する場面があったと思いますが、あれにすごく啓示を受けた。ああ、自分がこれからやろうとしていることは間違ったことではないんだなと感じました。 平野 そんなふうに読んでいただけたとはうれしいです。僕は時代の変わり目というのにすごく関心があるんです。そして現在も極めて大きな時代の変わり目の一つだと思っているんですね。『葬送』の時代も革命があり、みんなが自分の生き方を考えた時期だったはずで、だからこそ、ああいう時代を見ることはかならず現代において意味があるんだと信じて書いていたのですが、単なる懐古趣味だと受け取る人も多かった。梅田さんのようにまさしくいま一番変わりつつある業界にいる人が、現代と重ね合わせて読んでくださったというのは、作家としてとても励まされます。 『ウェブ進化論』にはいろいろな意味で衝撃を受けたんですが、一つはまず単純に僕が知らないことがかなりあって勉強になったということ、もう一つはこの本全体に漂っているある種のさわやかさなんです。カリフォルニアの燦々と輝く太陽が、日本のジメジメしたネットに関する言論空間に差し込んできたような印象でした(笑)。僕なんかよりずっとネットの世界の暗い部分をご存じのはずの梅田さんが、あえてこういう力強いオプティミズムの態度をパフォーマティブな意味で打ち出されたということに意味を感じました。 梅田 そう言ってくださるとうれしいです。 平野 最初に導入としてお聞きしたいのですが、梅田さんは今回の新書のように旧来型の紙という媒体で書いたり、ウェブ上では「はてな」で「My Life Between Silicon Valley and Japan」というブログを書かれたりしています。実際に、両方を経験してみて、どういった印象を持たれてますか? 梅田 まずブログというのは、ネット全般にいえる傾向でもありますが、まとまったものを読むには不向きです。書くほうも読むほうも、一日せいぜい多くても原稿用紙で五枚から十枚くらい。だから、読み方もじっくり読むというのではなくて、情報をパッパッパッパッと見て、リンク先に飛んで戻ってという、情報ハンティングですよね。断片を消費するのに近い。 平野 朝、新聞をざっと読むような感じで、ということですか。 梅田 ええ、そうですね。ネットで長いものは読めないです。米国には、単行本のコンテンツを本のままの章だてでネットに公開している人がいますけど、あれはあまり読まれません。ネット上に存在することに価値があり、まとまって読まれることが第一義ではないと思います。 ブログは書き始めて三年になるんですが、自分でやってみて痛感したのは、文章の推敲が足りなくても、少々誤字があってもいいから、リアルタイム性と勢いが必要だということです。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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