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【冒頭部分掲載】


図書準備室


田中慎弥


 母方の祖父の法要がすんで僧侶が立ち上がった。絶妙だった。読経を終え、まず母や親族たちと茶を飲みながら話をした。僧侶は祖父を直接に知らないのだが、母たちから生前のことをうまく引き出して会話を広げ、冗談も口にし、そういうことはどこででも話しているのだろうと分っているのに、私も母たちと同じように声を立てて笑った。着物に座蒲団といい、落語家のようだった。面白い話が出来るようになるにはやはり修行あるのみだろう。
「さ、それでは。」と立ち上がる頃合が絶妙だったのだ。聞くこちらがそろそろ話が終りそうだと思う前に、言葉を断った。不自然どころかとても丁寧で清らかな感じがした。玄関で立ち話にもならず、さっと出ていった。上がる時も法要の雰囲気を一遍に運んでき、帰ったら帰ったで、膝が当っていた部分にへこみの残っている座蒲団を見ても、光る頭の表面のかすかなでこぼこだけが記憶にあり、顔はもう忘れかけている。でも母たちは途端に、僧侶の目つきや声や身長のことをどうこうと言い出した。祖父にしろ僧侶にしろいない人間のことばかりが話題になると思っていると、茶が淹れ直され、誰も手をつけなかったために器の上で巧妙な山形に保たれている菓子を取り、銀紙を剥がしたりして、皆がようやく姿勢を緩め、そのうち一人が立ち上がったので十人以上いる親族がばらばらと立ち、もう酒が並んでいる筈の隣の部屋へ行きながら、仕出しはどこからとったのかなどと人間以外の話をし始めたのに、茶を私の前に置きながら伯母が、
「あんた、あれ、あい変らずなの? お母さんから聞いてるけど。」
 台所から戻ってきて部屋の隅に正座するなり、畳をじっと見、
「そうなのよ。ね。」と私にとも伯母にとも定まらない言い方を母がすると、まだこの部屋に残っていた、確か三歳になる従兄の娘が私を見た。顔の半分近くが目だ。私と会うとどういうわけかいつも、逃げ出したり泣いたり、犬を怖がってでもいるようにじっと父親か母親に張りついていたりし、いまも、「ばあちゃん。」と呟いて伯母の袖を掴み、頬がくぼむほど強く口を閉じて見つめてくる。泣き出す前に従兄夫婦のところへ逃げていってくれないのなら、こっちが先に自分の部屋へ逃げようかと考えたが、伯母があとから入ってきて二人きりで話をしなければならなくなるのもいやだった。母と伯母とこの娘と私というめったにない組合せだからこそよけいに、四人とも動けなくなっている。
 父が死んでからは、今日三回忌をした祖父と母と私でずっと一緒に暮していた。ここから車で山の方へ三十分くらい走ったところの、祖父と早くに死んだ祖母が住んでいた家は三人が同居するとなった時点で壊され土地も手離していたから、伯母とその家族が関西から、他の親族が九州から帰ってきて、母が勤めている会社のこの社宅で法要となったのだが、母の家の長女である伯母の家でしていればここまで気まずくはならなかったかもしれない。いや、他所なら、通夜や葬式というわけではないから自分は行かなかっただろう。
続きは本誌にてお楽しみ下さい。