「赤」の擁護――フィクション論序説―― 蓮實重彦
フィクションと真実 一八四五年に書かれたエドガー・アラン・ポーの短編『盗まれた手紙』が二十世紀の精神科医ジャック・ラカンをことのほか惹きつけたことは、一九五六年に執筆された「『盗まれた手紙』についてのゼミナール」が彼にとって初めての書物となる『エクリ』(宮本忠雄ほか訳、弘文堂)の冒頭に「執筆順序とは無縁」に置かれていることからも明らかである。一九六六年に刊行されたこの著作集には、一九三六年いらいさまざまな会議で読みあげられたスピーチ原稿や専門誌に寄稿された論文などがほぼ編年史的に収録されているのだから、著者がこのテクストに託そうとした例外的な役割は誰にも容易に想像できる。「『盗まれた手紙』についてのゼミナール」は、『エクリ』の一部であると同時に、それをかたちづくる一群のテクストとある意味では対等な――ことによるとそれを超えるかもしれない――テクストとして読まれることを想定しているのだ。 その意味で、「『盗まれた手紙』についてのゼミナール」がしめる特権的な位置は、ミシェル・フーコーの『言葉と物』の冒頭に置かれた『侍女たち』をめぐる分析をふと思わせぬでもない。フーコーがベラスケスの絵画の解読を古典主義的な「表象体系」の分析に先だてているように、ラカンもまた、ポーによるフィクションの解読を「フロイトの思想を契機として現れてくるような真実」の分析に先だてているからである。もちろん、『エクリ』の著者が、それより刊行時期のやや早い『言葉と物』の構成を意識していたかどうかはわからない。確かなことは、「ゼミナール」の行われたのが一九五五年、それがテクストとして公表されたのが一九五七年だから、フーコーの著作以前に書かれていたことの明らかなこの言説が、一九六六年の著作集の冒頭に据えられたという事実につきている。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
|