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【冒頭部分掲載】

特別対談
これからはじまる音楽のために


細野晴臣×中沢新一


オリエンタリズムを自分のものに
中沢 細野さんとは古くからの付き合いで、YMOの解散コンサート(1983年)の時に最初にお会いしたんですね。
細野 そう、突然楽屋に訪ねていらっしゃって。
中沢 以来、細野さんの活動がどっちの方向へ展開していくのかというのを、わりあい近くでずっと見てきました。でもそれ以前にも、「はっぴいえんど」が登場した頃、僕はちょうど高校生でしたが、リアルタイムですごい衝撃を受けたんです。
細野 本当ですか。長いつきあいなのに知らなかった。
中沢 友だちがコピーバンドをやったりしていました。だから、細野さんの存在というのは刷り込みが古いんです。その後細野さんがソロで活動し始め、『HOSONO HOUSE』(73年)『泰安洋行』(76年)を発表された。今でも大好きな音楽のひとつです。『トロピカル・ダンディー』(75年)も何度聴いたかわからない。
細野 それは初めて聞きましたよ。中沢君はあの頃の作品は嫌いだと思ってた。
中沢 ご冗談を、当然のことだと思ってしゃべらなかっただけです。その後、僕はインドに行ったりネパールに行ったりして、日本の音楽シーンから遠く離れていったんですけれども、80年の始めくらいかな、インドのダージリンという町に行ったら、すごく面白い音楽が聴こえてきたんです。懐かしいし、どこかで聴いたことがあるようでもあるし、でも、ものすごく新しい感覚の音楽が聴こえてきて、インド人に何の音楽だって聞いたら、お前の国の音楽だっていうんですね。それで海賊版のテープを見たら「YMO」って書いてある。僕は最初ワイ・エム・オーって読めなくて、「イモっていうバンドはなかなかいいな」って(笑)。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。