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【冒頭部分掲載】

解決と「○ん○ん」ディスコ探偵水曜日 第三部

舞城王太郎


   梗概
日本にやってきた迷子探し専門のアメリカ人探偵ディスコ・ウェンズデイは6歳の山岸梢を預かるが、ある日梢の体に《17歳の梢》がやってきて事態は混乱。《パンダラヴァー》に魂を奪われた《島田桔梗》まで《梢》の体に飛び込んできて拡大する一方の事件の全容を知るため《梢》の魂の待つ福井県西暁町、推理作家・暗病院終了宅《パインハウス》へと乱暴な和菓子職人・水星Cを連れて向かうが、暗病院の死にまつわる推理に破れた名探偵たちが次々に死んでいる。
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「どうしてって訊くの?それって訊かなきゃ判んない?」と電話の向こうで勺子は言う。もちろん俺には判る。でも全てがひっくり返った世界観を俺はうっかり信じてしまったのだ。嘘は大きいほど信じやすいってのは本当だ。そのひっくり返しはほんの十分で否定されたが、でも自分の認識をグチャグチャにされてからの旧世界を、さっきの新世界は嘘って言うか間違いでしたと言われてどう信じればいい?
 ってよせよせ!俺は携帯を顔から離し、頭を振る。
 どう信じればいい?……ってどういう自意識悲劇の主人公だよ。あのクソ名探偵に(死者の悪口を言うなかれ)まんまと揺さぶられて珍説アホ解釈突飛なでっち上げをすっかり鵜呑みにしてしまった俺のとんまだったのだ。
 どう信じればいい?って信じるにやり方はない。信じるということはそのまま飲み込むことなのだ。世界は相変わらずなのだ。俺はそれを飲み込むしかない……のに辛いのは結局自分自身を信じれないからで、俺は自分をちゃんと信じなければならない。カプグラ症候群なんかないのだ。自分を信じ直さねば。自分を信じているからこそ人が疑える。探偵ができる。事実を追える。真実を判断できる。それが探偵業の根底の前提なのだ。さあ意識をまとめ上げろ。アホ八極迷推理以前の自分を取り戻せ。名探偵たちの二十分間のスタントはもう終わったのだ。あいつらは好き勝手にベラベラ喋って一斉に舞台の袖に引っ込み棺桶に飛び込んだ。生きている俺には人生が続く。まだ事件も続く。梢はまだピンチのままで全ての問題は全く片づいていないんだ!
「ちょっと、ディスコ、大丈夫?」と言う勺子の声が俺の手の携帯からかすれて届く。俺は電話に戻る。「大丈夫」。勺子が言う。「しっかりしてよね。名探偵なんかに負けないでよ。梢ちゃんとか桔梗ちゃんとか、いろんな可哀想な女の子の魂がかかってるんでしょ?子供相手の探偵なんだから、子供のためにもっと頑張りなさい!迷子の魂がまだまだたくさん取り残されてるんだから!」
 っしゃ!
 勺子の喝が意図通りに俺を奮い立たせる。俺は実はそういうキビしめの台詞を待っていたのだ。本当だったら自分の中から探し出してくるべきだったんだろうけど、まあ自分の言いたい言葉を他人の口から導きだすことだってときどきあらあな。
 そうだ俺は迷子探偵ディスコ・ウェンズデイ。子供の敵はどんな奴でも悪い奴なのだ。
 俺は勺子に言う。「お前が作ったニュースページや偽造公文書について警察から取り調べを受けるだろうし、訴追もきっとされるだろう。弁護士を用意しておけよ」
 勺子はふん、と鼻で笑う。「そんなのちゃんと説明してあげれば大した罪にはなるはずないよ。女の子の恋心を誰が責められるの?」
 自分の死亡ニュースを十七件も、それぞれ別のニュースサイトを模した記事に仕立ててネットに上げた上、ノーマ・ブラウンを名乗った偽造パスポートで結婚しておいて《恋心》のひと言で片づくと思ってるのか?
 ……思ってるんだろうな、と俺はため息。八極にも言ったが、勺子のやることなら、どんなことでもありえるのだ、本当に。八極は俺がニュースサイトを一件しか見てないことを確認不足と指摘したが、四件見た八極もまた結局同じミスをしていたわけだ……が、とは言えこの世のどういう懐疑主義者が同じニュースを別のサイトで十八件以上も確認する?
 俺は腕の時計を見る。午後八時一分。たっぷり約三十分はこんがらがっていたのだ。俺はその間ずっとパインハウス中央ホールに乗り上げたままのフィアット・パンダの運転席に座っていた。三十分前にふらふらと運転席のドアを開けたときには、持ち主の死んだこの車を誰かが代わりに外に出してやらなきゃなって気分だったはずだが、尻をレザーシートの上に載せて軋む重いドアをイイギッバフンッと閉めた途端にもう動けなくなったのだった。俺はそこにいてフロントガラス越しに猫猫にゃんにゃんにゃんの遺体が運び出されるのも見た。俺はそのとき、その車の目だった。俺自身ではなかった。俺自身なんてものはどこか深く暗く遠いところに沈み込んでいた。俺はパンダの目となり自分を愛したラブリーな名探偵の退場を眺めていた。乗り手をなくした車だが、でも車だから、単なる機械だから、人間的な感傷や悲しみなんてないみたいだった。もう自分を動かす人間がいなくなったということもよくわからないみたいだった。走っていなくて停まったままでも車は車なのだ……ということが俺はしみじみと判った。こいつらは揺るがない。人に飼われた犬や猫とは違うのだ。だから持ち主の死をただ見つめるだけだ。猫猫を載せた担架がパンダの前方を横切っていく……。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。