写真日記 手前味噌日記
七月七日 遊びすぎましたな、と三月に去年のことを税
理士に言われ、何を言っているのかすぐにはピンとこな
かったのだが、ようするに、収入が少ない、という意味
で、そのツケというかシワ寄せで、確かに、ずっとお金
に不自由をしている。仕事をしないことと遊ぶというの
は、全然意味が違うはずだと思うけれど、たとえば、土
地を持っている人間などに、税理士は遊ばしておくのは
もったいない(あるいは、損だ)と言うのだろうから、
そう言った経済的効率のうえから遊びすぎということら
しいのだ。
お金がないと困るので、遊んではいられないと焦って
六月以後やたらと仕事をすることに決めたところが、こ
の猛暑で、呆然としている。やたらと引き受けてしまっ
た、とは言っても、その内容をいちいちここには書かな
い。充実しきった働き盛りだろうと自慢しているようで
あられもないからである。この日記も、書くのが簡単そ
うなので引き受けたものの一つ。
七月十六日 今日ももちろん猛暑。福音館編集者二人来
訪。『母の友』の絵本論の連載原稿を渡し、ビアトリク
ス・ポターの未邦訳の長篇童話『ザ・フェアリー・キャ
ラヴァン』の翻訳の話しが出るが、来年にならなければ
なんとも身動きが出来ない状態と告げる。
夜、『ザ・フェアリー・キャラヴァン』を少し読みは
じめるが、つい、頭のなかで石井桃子調の日本語に直し
て読んでしまう。毛の長い種類のジェントルマン階級の
モルモット(ギニイ・ピッグ)と毛の短いモルモットが
ママーレード村に住んでいて、そこに旅回りの毛生え薬
売りの商人がやって来る。タップペニイというお人好し
の短毛モルモットが短毛種の仲間のモルモットにさせら
れて、薬を試すことになって……
ウェスト・ハイランド・テリアの団長ひきいる旅回り
のサーカスには、革の衣装と長い鼻を付けて小豚が変装
したピグミー・エレファントがいるし、なにしろポター
だし、とても好きなのだけれど、読むのではなく、訳す
のが仕事となると……
七月二十六日 「猫が暑いのは土用の三日だけ」という
言いつたえがあるけれど、これは本当のことで、トラー
は意気軒昂として他所の猫とケンカをしてはノミを付け
て戻って来る。『ユリイカ』の児童文学特集に載せるこ
とになっている、姉が絵を描く小絵本『ノミ、サーカス
へゆく』の、「ノミの歌」だけは、トラーのノミ取りベ
ルトを入れるリボンを袋状の首輪に縫いながら、思いつ
いた。居心地の良いネコの住み家をあとに旅立つノミた
ちは、「トラーよ、あばよ、ソーロング! 行こうよ、
ノミのサーカスへ」と歌うことにしよう。それはいいの
だけれど、別の原稿のしめ切りが二十八日にもある。う
んざり。どうなることやら。
七月二十七日 毎年、この季節になると二キロほどのブ
ルーベリーを知人からいただく。いつもはジャムに煮て
いたのだけれど、暑くて火を使うのはいやだし時間がも
ったいないと考えていたところ、『四季の味』で読んだ
ブルーベリー酒の作り方を思い出し、酒屋に電話して氷
砂糖とホワイト・リカーを注文し、さっそく仕込む。凄
く簡単で、十分もかからずに出来あがる。もっとも、飲
めるのは三ヵ月後。諸々の家事万端をやって、食事を作
って食べ、その後で姉は絵を描き、私は原稿を書く。明
け方近くに眠むる前には疲れて頭がボーッとしている。
絵は描くのは手仕事で頭をつかわないから、かえって眠
むる前には本を読むほうがストレス解消になると言って、
姉はプルーストを読みかえしているが、私は『柔らかい
土をふんで、』の初校ゲラを読む。手を入れるのは、
「ホリゾンズ・ウェスト」の章の、「ブルーのジーンズ」
を「リーヴァイス」に直すだけなのだが、読みはじめる
と、つい、うっとりと読み浸ってしまうというありさま。
まさか、Gパンなどと書くのはいやなので、「ブルーの
ジーンズ」と書いたのだが、ハリー・ケリー・ジュニア
の自伝『ジョン・フォードの旗の下に』のフォード映画
の衣装あわせの様子についての記述によると、「ジーン
ズ」ではなく「リーヴァイス」と言うらしいので、そう
変えた。プリンストンの東洋学科で日本文学専攻の卒業
論文に『柔らかい土をふんで、』の六章分を去年訳した、
若いカナダ人女性サラ・ティズリーさんは、「ホリゾン
ズ・ウェスト」の「保安官」(リーヴァイスをはいてい
る)を「ポリス・マン」と訳していて、むろん、「ホリ
ゾンズ・ウェスト」というタイトルが、バッド・ベティ
カーというしがない西部劇監督の映画のタイトルという
ことも知らなかったが、それは、まあしかたのないこと
だろう。それでも、彼女はヴィデオをさがして見る、と
言っている。
彼女は「スカーレット・ストリート」の章も訳してい
て、『群像』の鼎談時評で、このタイトルから、スカー
レット・オハラを連想したと発言していた若い批評家を、
「せめて、『スカーレット・レター』を連想しろ、批評
家なんだから」とあきれていた。若葉マーク付きとは言
え、批評家なんだから。
八月一日 とりあえず、やれやれ、と言いたいところだ
が、今月は『群像』の短篇を書くことになっている。
『柔らかい土をふんで、』について蓮實重彦が「芸術短
篇」と言ったのと、不規則な発表の仕方のせいで短篇集
と思われている『柔らかい土をふんで、』を、私は一つ
づきの一篇の小説として書いていたので――九一年から
今年まで――短篇というのは、どういうものだったのか、
あれこれ読んでは、また、ポターを少しずつ読み、別の
小説を書いて、ゲラを読み、童話(?)を書く、という
状態で、思い出すのに時間がかかってしまった。文芸文
庫『愛の生活・森のメリュジーヌ』の芳川泰久の解説の
ぬき刷りがとどいたので読む。頭も身体も疲れていて、
すんなり頭に入って来ない。なにしろ、ヤマネのお嬢さ
んが、長く長く伸びたモップのような毛で顔がおおわれ
ているモルモットに向って、うさん臭そうに「ヘア・ピ
ンというのを御存知?」というポターの世界から、「赤
青黄色のライト浴び、ここではあたしが女王さ/トラー
よ、さらば、ソーロング!」は遠くもないし、『小春日
和』の語り手が三十歳になってどうしたかを書くのも、
『群像』の短篇を書くのも、『柔らかい土をふんで、』
のゲラを読むのも、私には一連の、ある意味では、楽し
い仕事なのだが、芳川氏の解説を読んでいると、私とし
ては、小説を書いている時のあの楽しさがよみがえって
来ない、のでがっくりする。あの、めちゃくちゃに甘美
な楽しさと疲労と困惑とためらいと絶望と胸のむかつき
と息苦しさ、貧しい豊かさと豊かな貧しさが混りあう水
の中から浮かびあがり、それなのにひどくのどがかわい
ていて、かわきをいやすためには、もっともっと言葉が
必要なのだという全身的な渇望の疲労困憊のはてに、愛
する小説と愛する映画を飲みつくしたいと欲望しながら
読んだり見たりする渇きを含めた、書くことの快楽と疲
労がよみがえって来ないのが面白くない、などというの
は批評に対する小説家の贅沢すぎる不満か。
若い時は、自分の小説が駄目なので、批評家もいい批
評が書けないのだろう(!)と、謙虚きわまりなく、反
省的に考えたりもしたものだったが、今はそうは考えな
い。対象となる小説がどうであれ、ちゃんと読ませる批
評を書けばいいだけなのだ。
八月七日 閑中忙ありがたたっての忙中閑ありで、タン
スの中を整理する。何年か前、ボンヤリ寝そべって自分
のはいているソックスを眺めていて、ふと作ることを思
いついた黒い毛糸のソックス製のぬいぐるみの熊が出て
来て、久しぶりに御対面。縫い方は下手だけれど、全体
がスゴク、カワイク(ソニア・リキエルの熊に匹敵する
!)出来ているので、われながら感心してしまう。トラ
ーが家にやって来て以来、ぬいぐるみの類いはタンスに
しまってしまったのだ。可愛い生きものにぬいぐるみは
かなわない。夜、『新潮』九月号を読む。芳川・東浩紀
のくどい論争は、正直言って退屈。とは言え、小説を書
きはじめているという芳川の野蛮な反時代的けなげさに、
批評は負ける、はずだ。小説はそういう力を持っていた
し、持っているはずだろうし、持ちつづけるだろう。
八月十日 考えてみたら、去年の七月は大岡昇平全集の
『成城だより』の巻の解説を書くのに手を焼いていたの
だった。日記なんて簡単だろうと思ったのは、だから間
違いだったと気がつく。去年のはじめには中上健次全集
の初期作品の巻の解説を書いたのだが、考えてみれば、
中上も生きていれば私の書いた解説を読んで、がっくり
して、おれの小説の魅力をわかってない、と文句を言っ
たかもしれない。「過小評価だぜ」まあ、同時代の批評
というのは、そういう限界を持っているものだと、反省。
それにしても、批評だけを職業としていないのは幸福な
ことである。
八月十六日 三月始めに八キロほど仕込んだ自家製味噌
は九月に入ったら食べられる予定だったのだが、今年の
暑さで醗酵が早くすすんで、もう食べられる。「手前味
噌」という言葉が、実に実感として理解できる味。むか
し、ジーナ・ロロブリジーダとロック・ハドソンとサン
ドラ・ディーとボビー・ダーリン(ポップ歌手で、その
後サンドラと結婚したはず)の出た『九月になれば』と
いう映画があったけれど、九月になれば、どうなるのだ
ろう。さきに残っている仕事のことは、今のところ考え
たくもない。
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