まわる焦点リング
10月22日。朝と昼のちょうどあいだごろ、パソコンの
モニターをみていると目尻になにかがひっかかって、ひ
ょっとみると、庭にきていた。首輪をした、育ちのよさ
そうな三毛である。写真をとるつもりであらかじめ用意
していたはずのカメラが手近なところにない。さがしに
いけば、そのあいだに彼女は日課の旅をつづけていなく
なる。とりたかったらガラス戸をあけておくことだが、
そうすると面倒な事態になる。
一週間ほどまえに、庭にきたのをはじめてみたとき、
捨て猫の用心深さがないので、なんの用なんだと声をか
けた、すると人間なんてどうでもいいという態度で入っ
てきて、ただならぬ声をだしてあるきまわった。ひょい
と机にとびのったかとおもうと、キーボードのうえをあ
るいて電話とファクスのあいだをいって、となりの出窓
にいく。そこには割られたくない陶器がある。しばらく
まえに、町田で骨董屋をひらいている女性に、飼い猫に
古伊万里の徳利を割られた話をきき、なんてバカな骨董
屋だろうとおもったことがおもいだされ、あわてた。
おかしな猫だとおもったのはそのあとだ。わずかにあ
いていた押し入れのなかに入って布団と壁板の隙間にと
びこむ。そのあとは台所と風呂場のあいだの、一番ごみ
ごみした暗がりにいって、なきつづける。さらにそのあ
とは、追いかけるこちらの手をすりぬけて二階にあがっ
て、寝床がそのままの暗い寝室にいった。なき声のテン
ションはますます高まる。でていく様子はなく、これは
もう、なだめすかして抱きあげて、外につれだすしかな
いとおもう。だが庭にだしても、すきあらばとびこんで
こようという態度だ。抱いて一本となりの道にいって、
公園のそばで放してきたが、またあらわれた。気になる
のは家にとびこんだときのただならぬ声と、暗がりをみ
つけようとするひたむきさだ。
佐渡の海辺の村でくらしていた日本画家をたずねたと
きである、その家にふらりと老婆が入ってきた。その老
婆のことは、画家の家をたずねて村のなかを車でぐるぐ
るまわっているときに、道をいく姿をみかけて、顔つき
やくずれた和服の着方などから別世界で目覚めて生きて
いる人だと直感していたから、おやっとおもった。する
と老婆は、解読不能な言語でなにかいいながら家にあが
ってひとめぐりして、おとなしくでていった。日常の出
来事だから友人の画家夫妻はするがままにさせ、あとで、
ずいぶん昔に海で死んだ息子をさがしているんだと説明
してくれた。
この猫はもちろんメスである。不妊手術をしているよ
うだとおもうが根拠はない。彼女はカメラにむけて、そ
んなもの構えてなにをしてるのよ、はやく家にいれてよ、
といいたげだ。ほんの一瞬のことだが、ネパールでチベ
ットの難民にカメラをむけたときのことがおもいだされ
た。写真を撮るならおかねをちょうだい、と手をさしだ
してきた女たちの、つらい目を。このあと、いつまでた
ってもでていかない、ただただ、なきつづけるので、抱
きあげて道をあるいて、この猫はどこの家の猫ですかと、
精一杯大きな声をだしてあるいた。といっても人びとは
いそがしく、この時刻に外にいる人はすくない。二本と
なりの道にいって、ある婦人に、あの家の猫だとおもい
ますよといわれて、属する家はわかった。しかし、わか
ったからといって、なにかが解決するわけではない。彼
女は彼女の日々の旅をつづける。あしたも、あさっても、
くるだろう。いまだかって猫相手の精神科医がいるとい
う話はきいていない。
10月24日。ゼミの学生と、浅草の浅草寺の境内、ゴマ
の灰の前でという言い方をして待ちあわせた。朝の10時。
ということは家を8時前にでなければならない。車を通
いのスイミングクラブの駐車場において、12分あるいて
小田急の伊勢原の駅までいき、電車で新宿までいって地
下鉄にのりかえて……となかなかハードである。前の晩
に浅草にいってホテルに泊まろうと甘い計画をたててい
たのだが、連載の仕事との抱擁がとけなかったので実行
できなかった。そうしたら30分もまえについた。いちお
う先生だからこれでよい。すでに浅草寺はたいへんな人
だ。観光バスがついて高校生らしき集団が仲見世をとお
ってくる。外国人のツアーもくる。線香の煙に興味をし
めすのはそのうちの3割ていどで、煙を手ですくって頭
や胸をさわるのは、そのうちのさらに3割から4割であ
る。ここで待ちあわせて、すぐに解散、昼にまたおなじ
ところで待ちあわせて昼食をたべたらまた解散、そして
夕方、水上バスの乗り場で待ちあわせて、隅田川を浜松
町までいくというスケジュールだ。
小説を書くことを目的としたクラスだからこそ、文学
概論や作家論をやっていたってむだなんだ、とときどき
おもう。小説を書くためには、多くの小説を読んで、小
説を読む楽しさをしってもらうことである。……そこに
目線をすえていると、いまは書かないでほかのことをし
よう、そのほうが書くよりも役に立つということになる。
東京のどこかをあるこう、とおもったときにまっさき
にうかんだのが浅草だった。小説家が通りの名前をこま
やかに書くことができた地域はこのあたりしかない。通
りには名前がなく、駅の名前を書いたところでなにも意
味しないことを承知したうえでなければ、つかうことが
できない場所と時代にいる。そうおもっているから、根
っこにあるのはやきもちだ。「古ヅボンに古下駄をはき、
それに古手拭をさがし出して鉢巻の巻方も至極不意気に
すれば、南は砂町、北は千住から葛西金町辺りまで行こ
うとも、道行く人から振返って顔を見られる気遣いはな
い」は荷風の「-東綺譚」。「道は再び浅草区へ這入っ
て、小島町から右へ右へと進み、菅橋の近所で電車通り
を越え、代地河岸を柳橋の方へ曲って、遂に両国の広小
路へ出た。女が如何に方角を悟らせまいとして、大迂廻
をやって居たかが察せられる。薬研堀、久松町、浜町と
来て蠣浜橋を渡った処で、急に其の先が判らなくなった」
は潤一郎の「秘密」……とこうして読みなおしてみると、
こまかく書かれているのは通りではなく、街の名前だっ
た。
いざ浅草にきてしまえば、そうした固有名はわすれて
しまう。「吉原遊廓の近くを除いて、震災前東京の町中
で夜半過ぎて灯を消さない飲食店は、蕎麦屋より外はな
かった」と荷風は書いている。夜中になってそば屋だけ
が明かるい街角とはどんなぐあいだろう。ラーメン屋に
おきかえればいいのかもしれないが、それではおもしろ
くない。たぶんおいしいそばだったのだろうとおもい、
昼食のときにあらわれなかった学生のことを気にし、ホ
ームレスのテントに目をうばわれ、老人臭くなったらこ
のへんでアパート暮らしでもするか、と思考には道筋が
なく、ぶらぶらと隅田川の河岸をあるいた。
ボートにのってまもなく日が暮れた。学生たちのほか
は客が五人ほどで、赤い色をした椅子の八割は空席だっ
た。折り重なったビルと、数多い橋にくぎられた空。流
れる側からみる街はひっそりとして、人の姿は目にうつ
らない。電車の窓からみる街、車の窓からみる街、ある
きながらみる街、そこには違いがほとんどないが、川は
別だ。川からの目を意識して、街はつくられていない。
録音テープの、つぎからつぎにあらわれる橋の縁起をか
たるガイドの声が気にならなくなるころから、ありえな
い世界をただよっているような感じがつよくなってきた。
のっているのがもしもただ一人だったら、すくなくとも
一度は、死んであの世から帰ってきているのかもしれな
いとおもっただろう。
11月8日。日本近代文学館主催の、作家と詩人が自作
を朗読する「声のライブラリー」の司会役。今回は河野
多惠子、日野啓三、清水昶各氏で、清水氏とは朗読をお
ねがいする電話をかけたのがはじめてで、まったくの初
対面。石原吉郎についての彼の文章を読んだのが二○年
くらい前で、以来、透明な重さに信頼感をもって作品に
は接してきた。緊張した。
司会はらくではない。声と姿を録画しておく企画だか
ら、なにか声について客席にかたらなければいけないと
いう強迫観念のようなものがある。前回は伊藤信吉、井
上ひさし、増田みず子各氏をむかえた。さきに会場にい
って声についてはなしていたら、各氏が入ってきた、そ
のとたん会場の人びとの目がいっせいにそっちをむき、
あまりにそれがみごとだったために、やっと立ち上がっ
た小説の最初の数枚を突風にもっていかれたような、驚
きと戸惑いと淋しさで、声をうしない、なにについては
なしていたのか忘れてしまった。だから今回はぬかりな
く……。
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