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山の冬、里の冬
一月二十三日
 小雪の舞う朝、いつものリスたちがやってきた。二匹
はバルコニーの雪の上に置いてやったヒマワリのたねを、
コガラやシジュウカラたちと一緒に食べている。別の二
匹がカラマツの大木の幹で、らせん状に追いかけっこを
して遊んでいる。
 八ヶ岳山麓のこの山荘は今年で二十年目だ。ここで十
数冊、歴史小説、伝記、ファンタジー、エッセーなどを
書き下ろしてきた。だが、机に向かっていた時間よりも、
森の木々や鳥獣をながめていた時間のほうがずっと多い。
 バルコニー(露台)のおかげだなと思う。晴れた日に
バルコニーの寝椅子にねそべり、新緑の梢を見上げてい
るのもいいのだが、こうして室内にいてガラス戸越しに
鳥獣と親しめるのがありがたい。数年前に改築したとき、
敷地面積との関係でバルコニーが狭くなってしまったが、
それがかえってよかった。狭いから、やってくる鳥獣が
目と鼻の先だ。
 バルコニーは半野外空間だ。住居の構造の一部分では
あるが、室内とは別の空間だ。そこには雨が降り雪が積
もり風が吹き過ぎる。行く先々で自分の家を自分の手で
建てていたは、かならずバルコニーをつくっていた。屋
外でもなく屋内でもないその場所で、雲をながめ人と話
すことを好んでいた。人間の住居にはバルコニーは必需
品だとぼくも思う。都会の家であっても、バルコニーが
あれば、エアコン密室だけの暮らし方にはならない。
 リスの一匹と目が会った。きょとんとしてぼくの顔を
見つめている。このごろではぼくの顔を見なれているよ
うで、少々近寄ってもあわてて逃げ出したりはしない。
コガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヒガラ、ウソ、
カケスなんかも同様だ。彼らもたぶんぼくを見知ってい
る。
 たまにしか姿を見せないイカルもやってきた。と思っ
たら、バサバサっとバルコニーの手すりに来たのが、な
んとアカゲラだ。珍客である。ヒマワリのたねを食べる
わけはないのだが、どうも好奇心につきうごかされての
来訪らしい。木の幹には上手にとまるアカゲラだが、手
すりの上は勝手がわるそうで、家のなかをのぞいただけ
で森へ帰って行った。
一月二十五日
 きのうの夕方からふぶいている。煙突に逆風が入りこ
むとストーブが不完全燃焼になり、有毒ガスを発生する
心配がある。ストーブの火を消して寝た。
 今朝は六時に起床。寒いなと思って室内の寒暖計を見
るとマイナス六度だった。バルコニーに掛けてあるほう
の寒暖計も見る。マイナス二一度だ。ガラス戸が結晶模
様を描き、煙突に大きなつららが下がっている。
 十数年前にはマイナス二八度の朝があった。そのころ
の一月二月は、たいていマイナス二五度前後だった。
 家の前に雪道を掘る。門柱(といってもシラカバの丸
太二本、もうぼろぼろになっている)は雪の下だ。玄関
から門柱まで、人間ひとりが歩ける程度の簡易雪道を掘
り、長靴で踏みかためる。もっと低温だったころは踏ん
でも踏んでも固まってくれないメリケン粉のような雪だ
ったが、いまの雪はまあまあ固まってくれる。
一月二十七日
 風呂に入っていたら、あふれた湯ですのこが浮いてき
た。洗場の排水管がいつのまにか氷結していたのだ。入
浴を中止して、氷をとかす作業にかかった。冬の山荘暮
らしでは氷結がこわい。すこしでも早く解消しないと、
春までとけない頑固な氷が育ってしまう。
 洗場の水を汲み出し、排水口に熱湯をそそぐ。すこし
氷がとける。とけた水をタオルに吸わせて取る。また熱
湯をそそぐ。湯をわかしてはそそぎ、タオルで吸いとっ
てはまた熱湯をそそぐ。奮闘一時間半、ついに湯が流れ
落ちたときには、「ヤッタ!」と叫びガッツポーズをと
っていた。排水管は約五十センチ下まで氷結していた。
一月三十日
 昨夜帰京、今朝からは山積みになった八日分の郵便物
を整理する。山荘から帰ったときにも旅から帰ったとき
にも、かならずこの作業がある。重荷ではない。けっこ
う楽しい仕事なのだ。本や雑誌を仕分けたり、手紙に返
事を書いたりしていると、夕方近くになった。
 調布市民会館へ、映画『地球交響曲(ガイアシンフォ
ニー)第一番』を見に行く。あちこちで自主上映されて
いる龍村仁監督の三部作映画の初編。以前、尚平(長男、
日本将棋連盟棋士・五段)が面白かったと言っていた映
画だ。たまたま調布で上映会があるのを知り、行ってみ
ることにしたのだ。
 第一番に出演しているのは、登山家ラインホルト・メ
スナー、植物学者野澤重雄、動物保護活動家ダフニー・
シェルドリック、ケルト音楽家エンヤ、美術史学者鶴岡
真弓、元宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートの六人。
ぼくはなかでもエンヤに惹かれた。不思議な魅力を見せ
ているこの美貌のアイルランド女性は、一九六三年生ま
れと若いのだが、その歌声は彼女の遠い祖先、古代ケル
ト民族の心を伝えているという。
 会場の音響設備がよくなく、それに、エンヤの歌声に
ナレーションがかぶさってもいたのだが、それでもゲー
ル語で歌う彼女の歌が、胸の奥に届いてきた。
 尚平が、エンヤのCDを八ヶ岳の家に置いてあると言
っていたのを思い出した。このつぎ山の家へ行ったとき
聴いてみよう。
一月三十一日
 阿佐谷の原田泰夫九段邸で、将棋ペンクラブの新年会。
今年から江國滋さん死去のあとを受けて、将棋ペンクラ
ブ大賞の選考委員をつとめることになったので、そのご
あいさつもかねての出席である。結局、三次会までつき
あって午前二時すぎに帰宅。もう高齢者なのだから無茶
をしてはいけないと自戒。
二月一日
 宿酔のまま長野経由で飯山へ出かける。NHKテレビ
でオリンピック前日の二月六日に放送する「長野の旅」
のVTR収録のためだ。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』
に沿って雪の飯山を歩くという企画。
 長野新幹線で、案内放送が通常の日本語・英語にフラ
ンス語を加えている。「メダム・メッシュー……」とい
うなかなかの美声を耳にしながら、オリンピックを実感
した。長野駅構内の案内標示も日・英の下にフランス語
を足している。
 環境問題や商業化をめぐってのオリンピック批判があ
るが、オリンピックを止めるほうがいいとは思わない。
平和を祝い、平和を祈り、平和を訴えるのがオリンピッ
クだ。オリンピックに代わるほどの平和の祭典はない。
オリンピックはいらないと言う人たちも、まさか平和は
いらないと言うのではないだろう。
二月五日
 新横浜駅ホームの喫煙コーナーで、中年男ににっこり
笑いかけられた。知らない顔だ。えっという顔をすると、
「ジャン荘のオヤジさんでしょ」
「え、えっ?」
「厚木のジャン荘のオヤジさんじゃないですか」
 よほど似ていたのだろう。あとで、そうだと言ったら
どうなったかな、と思った。ぼくとそっくりの麻雀屋の
ご主人は、たぶん客に親しまれているのだろう。そう思
うと、ちょっと嬉しい気がした。
 掛川駅で降りてタクシーで旧東海道の坂を登り、小夜
の中山峠へ。境内の夜泣石を見てから、寺の近くの古び
た子育て飴屋で水飴を買った。外にぶらさげてある看板
がいい。片面に「扇屋」、もう一面に「あふきや」とあ
る書が、書家の手になるものとは思えないのだが実にい
い。昔はふつうの人が、こういういい字を書いていた。
二月十三日
 午後、アークヒルズの国際交流基金会議場へ。文化庁
主催のシンポジウム「現代社会と敬語」にパネリストの
一人として出席する。
 ぼくは「マニュアル敬語」と「怠け敬語」というとり
あえずの造語を持ち出して、体験を軸にした話をした。
前置きで、敬語は日本語を豊かにしていると言ったのだ
が、二つの造語の印象が強かったのか、聴衆のなかには
ぼくが敬語の悪口を言ったと受けとる人がいたようだ。
それはともあれ三時間半の長丁場のシンポジウムはなか
なか活発で面白かった。
 夜は下北沢で友達と飲む。外に大提灯のぶらさがる店
だ。カウンターの片隅にイギリス製の陶器の猫二匹がい
た。あまりにかわいくて猫の鼻をなでながら酒を飲んだ。