ナビナビ
四月一日 水曜日。
奄美(何故、も少し、薄い、弱い、切れ切れにかすれ
て、耳にとどく島の名でないのでしょうね、……。「道
の島」も良いけれど、……。流謫の西郷さんのときもこ
の島の名だったのか。そうか「南洲」が「島の名」であ
ってもよかったね……。)「大島も広いところなので、
食事の時間は、村々によってそれぞれ違いはあるけれど
も、……」(「挿絵で見る『南島雑話』」奄美文庫5)、
そう、この(不図、何気無しに、語り出される、……)
「大島」があたっている。島の姿/形が、……どうたと
えたらよいのだろう、島尾敏雄さんなら「イズ半島が坐
洲したように、……」と独特の形態(把握)感覚(たと
えば、読書中の『徳之島航海記』から引いてみますが、
「……などと、私は少しはしゃいだ空虚な笑いをしてみ
せる。みんないらいらして待っているのだ。それに早く
後進をかけて船底を砂から外さないと、本式に坐洲して
やっかいな事になりそうだ。」)で綴られたであろう、
巨きな島山、……。(“本式に坐洲してやっかいな事”
の、“本式に”が、どうしてか、“心”をうつ、……)
名瀬から、ぶッとばして二時間位の古仁屋への山道、…
…の“つかれ”と“驚き”が言葉を(薄く、弱くし、…
…)失わせようとしていたのだろうか。(窓カラ波音ガ
シテネムリニクイ、夜半ニ、目覚メテ、ジュース。窓シ
メ。静かになる。)
四月二日 木曜日。
色は何色? みえているのに眼は奥で“色は何色?”
と訊ねている(惜しいことをした。四日も泊っていた、
ヤドリハマ(浜)=調べてみたらヤドリハラ(原)だっ
たけれども、……、このHotel、「マリン・ステー
ション」の泊り客、scuba divingの若者の
真似をして、「自給気式潜水装置=self‐cont
ained under water breathin
g apparatus」(この頭文字S・C・U・B・
Aだけを耳にしていたとは、口惜しい)を装着して、少
し、ヤドリハマの「前浜」に潜って、「海の底のその色」
を、見さえしていたら、……。たしかに、「わたし」は、
半ば盲目になっていて、そのさらに半ばは、その「半盲
目性」に気がついていて、そうして、ご覧下さい、冒頭
の写真をとっていた、……)。車は、ニッサン・マーチ
古/黒。ガラス戸を写っているのか境目を写しているの
か、dashboard/ダッシュ・ボード(と二重表
記にしてみないと、と囁くこえがする、……)に姑娘と
電動シャム猫、……。この日、小雨、曇り日。対岸の加
計呂麻島の安脚場か諸鈍あたりから幽かに囁き声が、窓
辺に、とどいている気がしていた。(ヒトバン、ナンダ
カ、ムナサワギノスルヨウナ、……天変細カク交響シテ、
驚カサル。枕元(ホテル、和室)マデクル波音、雨ノタ
タキツケル音、……、ノ交響、……ソノ、スキマニ(透
間?)身ヲヒタスカノヨウナ一夜ナリ)。こうして、よ
うやっと島尾敏雄、ミホさんの宇宙に添い/辿るための
心身の境域の薄い、弱い、……そう窓辺か“間仕切り”
(太古には、この“間仕切り”はなんといったのだろう。
カフカは“棒”にしたりするんだけれども。)に辿り着
いていた。
四月三日 金曜日。
加計呂麻への古仁屋からのフェリーは“マーチ”を乗
せても生間まで二十分、三千円。(これで“pints
of Guinness”が呑めたらね、柳瀬さん、…
…)呑浦へ、諸鈍、押角、……と明るく澄んだ、煖かい、
ミホさんの声のように、……“わたしも口中の茨、茨、
……”と粒焼きながら“島道”を廻って居た。至上のと
きなり。おそらく、きのう、ミホさんと対座して、ミホ
さんの口から、(泊っていた、四日も、その名が気にな
っていた、ヤドリ浜近くの「蘇刈」が、……)“スファ
です”と聞いたとき、(おそらく、決して、存在するこ
とを許されることのない、狩人? 犯罪者となり、……)
白く、明るい諸鈍芝居の「ミルク」(「弥勒」だけれど
も、やっぱり「ミルク」……)の色に、きっと“わたし
の心”は成って居た。(「クルマ」に乗っている人は、
しかし、みな、少し地上から、少し樹上へと、浮き上っ
て居る、……。どうだろうカフカ、……。)これが仕事
のように、店をひろげていた。小車に詰めて、カメラは
すべてをはこんで来ていた。諸鈍芝居のお庭にて、全機
Contax G1, Konica Hexar,MI
NOLTA TC‐1,Nikon 35Ti, OLI
MPUS L‐3, そうしてLEICA M6を、並べ
て、……そうか地に並べて、低くして、まるで町工場み
たい、……撮るというよりも巻く、廻す、巻き込む、場
所をえて廻らす(蕉翁の“旅に病で”の動詞“かけ廻る
”も、そうね、……)ことをしていた。ミホさんが唄わ
れるようにしてみせてくれた“徳之島に向って飛ぶチョ
ウチョウ、……”も、たしかに、このとき、庭に舞って
いた。その一葉と、大潮の日(’98・三月三十日……)
の静かな干潟、前浜の絵を次にごらん下さい。また、瀬
相でフェリーを待つ間の車内が“書く場所”だった……。
不自由さ、狭さ。眼を少し上げて視界に巨船のように入
って来ていた「徳州会病院」。次の旅は、徳之島(渡九
之島)、……。
四月五日、六日、七日 日、月、火曜日。
名瀬港出航。淋しい船出なり。船客は三、四人、……。
(八○○○屯のフェリー「ありあけ」に、船客三、四人、
……というのは嘘だけれども、干潟、大潮のときに前浜
に佇む人の数のように疎ら、……十名前後か。)往時の
賑い、……ではないな、ではなんだろう、“不安”の“
道の島”その通路を辿ることが現実にはほとんど不可能
になって来ていて、その“あはひ”を(“あとはむちゅ
うになって妻の手を引っ張り、走るようにしてタラップ
のところまで出た。全くよく通路をまちがわずに出て来
られたものだ。タラップはもう巻き上げにかかっていた。
下の部分は地上を離れてぶらぶら揺れていた。不安定な
姿勢のまま私は先になって飛びおり、妻も私のあとにつ
づいてやっと地面に降り立つことができた。タラップは
そのまま巻き上げられて行き、船はすぐ岸壁を離れた。
”『日の移ろい』島尾敏雄。この“狭さ”と)読むこと
を、ほとんど同時に綴る、……。天地逆さの重ねられた
写真も、おそらくこの“割注”も。志布志のキリ、東京
湾の雨。
四月二十二日 水曜日。
San Diego上空。(American Wes
t Airlines‐HP2854)ほぼ満室の客席
の最中に挟まれるように坐っていたためもあったのだろ
う、機長のannounceを聞き違えて蝶々の大群が
舞って居る幻を見た。機長は“We needed to
flyover the city for about
forty minutes, …….”とannoun
ceしたらしいのだが、貧しい耳は、半ば誤聴とおそら
く知りつつ、“but, ……flyover, ……”
をだろう、“蝶蝶”と聞いていた。色は何の色、眼は誰
の眼であったのだろう。半眼半泥、……(“半泥”なん
ていい方は、ないのかも知れないけれども、……)。夢
中の蝶というよりも、えっ? “泥眼”に、……という
よりも、もっと澄んでふわふわと、階上に浮かんだ幾千
幾万の蝶々の大群であった。面白いものだと思う、……。
島尾ミホさんは、どうしてか不図、きっと稀らしい心の
弾ミの刹那に“蝶々”=“霊威あるもの”=“徳之島に
飛んで行く”を語りだしていた。その刹那、この人は天
才だな、……と内心で呟いたことをわたしは忘れない。
そして、そうか、綴りつつ、また判って来る。“徳之島
に飛んで行く蝶、……”“わたくしがもしもマリリアさ
ん(小生の妻)の傍にいましたら、……”と、これも不
図、ミホさんの呟かれた言葉が重なっている。San
Diegoは、静かな海辺の町だった。蝶々の大群のせ
いではなしに、gasolineの積み過ぎを、旋回し
て消費するために(でも、この“旋回”も、何処か、蝶
々の舞うのに似ている、……)四十分遅れて着地した、
わたしたちを赤ちゃんを片腕に、……伊藤比呂美さんが
出迎えて下さった。伊藤比呂美さんの笑顔と赤ちゃんの
笑顔にほっとしていたのか。招いて下さったJerom
e Rothenbergさんに、この世を、二重三重
のヴィジョンで見ることを教えてくれた氏の仕事に敬意
を表します、蝶々の幻とともに、……という小エッセイ
を、朗読会の朝(二十四日)綴っていました。帰途、A
rizona Phoenix近郊で、下絵のように
(映した? 綴った?)フィルムの上に、school
bus de´po^tと金網を折り重さねたとき、“
有刺鉄線”には意識的(見咎められた。危険な境界……)
であったのだが、色の不思議には、そのとき気がついて
はいない。どうでしょう、《乗物》という詩の題を、向
う側に差し出そうとしているこの手この指に、……わた
くしは覚えがない。どううつるでしょうか、……。これ
は何か、光を差し出している手のようだ。
五月五日 火曜日。
晴。佐木島の鷺港への海辺の道を、おにぎりを一個頬
張って倖せに、……歩いて行った。津田新吾さん、宮田
仁さんと。手を振って見送って居ると、振る手がわたし
の眼にも、蝶のように“宙に浮かんで”来て、驚いてい
た、……。次の三原港行のフェリーまでの一時間半、波
止場の古い岩壁の縁に坐って、“光の指を、……”“差
し出すように、……”“書法”がこうして、また、“差
し出され、……”と呟いていた。
五月九日 土曜日。
平澤(Pyung Taek、……その響きが、漣波
のように、聞こえて来て、心は静かに、和やかに平らに
なって来ていた、……)。豊島重之氏と「Molecu
lar Theatre」に同伴しての二十五年振りの
韓国、……。干潟、大潮の日に、漁る人の疎らで静かな
姿をみた眼が、そして蝶が島を渡って「ひらひらと、…
…」、その絵がもう目に沁みついていて、わたしの眼は/
心は平たい蟲のようになっていて、……それともきっと
関係があるのだろう、ハングルを静かになぞる僕の眼が、
初めての宇宙の門(透き間?)に出逢うことになった。
いまもゆっくりと、これがつづいています。かって、対
馬で、そして済州島で、不図、妖精に“ハングル”とル
ビを振ったことがあったが、いま、幾つかの“〓〓(註:
ハングル表記)”を綴るとき、ハングルを言語の妖精と
考えた、その刹那があったことを知る。“〓(註:ハン
グル表記)”この右辺の棒を、に、さわるときの心の胸
騒ぎ、……。
五月十一日 月曜日。
ソウル。Savoy Hotel Seoul、小雨。
今夜のChun Galleryでの「頌若林奮――緑
の森の一角獣」(豊島重之氏演出、八角聡仁、倉石信乃
氏構成)のために詩篇を書きはじめていた。初めの題は
「楽器として」やがて、ゆっくりと楽しみつつ、
平澤からソウルに来て
今朝は雨、……“雨”は“pi・ピ、pigaoda・
ピガオダ”に
(心は、本當に、……)驚いていた、……
「蝶」が現われ、……(おそらく“平澤”の平、平らか
な穏やかな水田が底に入ってだろう)「蝶層」となり、
「光の下に“蝶層”を」というタイトルに変って行った。
午前十一時半完了。「光=/pi=t」下唇を噛んで撥
ねるようにして発音を、……と教えてくれた金炳烈さん
に「蝶々」はと聞くと、“〓〓〓〓(註:ハングル表
記)、……花火のナビです、……”と。驚いて、そして
倖せを感じていた。
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