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忽然と川は消えた
五月三十日 前から決めていた目黒川探検。河口の形は
よく知っているが、上流のほうはどうなっているのか。
それがずっと気になっていた。ただ川に沿って歩いてい
くだけの探検だが、終点の見当がつかないので、目線は
自然に川面のずっと先のほうをうかがう形になる。案外
平坦なつまらない川べりである。以前、日本橋川を釣舟
で遡った時には、何か所か船着場が残っていて、都市の
玄関先としての川の顔が見えた。ところが目黒川には、
玄関と呼べる場所がみつからない。周囲の建物も、川に
向かって開いているのか、川を背にして閉じているのか
ひどく曖昧だ。川筋の道は、両側とも整備された桜並木。
もう少し猥雑な川べりの顔があってもいいのにと思うけ
れど、今の東京では無理な注文か。ただ、途中で水の色
が変わる。大崎、五反田近辺は褐色を帯びた灰色。それ
が目黒新橋あたりから、澄んだ水の色になってくる。中
目黒では、滝やシラサギまで出現する。一瞬、デコイか
と思ったが、本物のシラサギ。急に水路が細くなり、上
にかぶさる桜の影がいい感じの木下闇。青葉台を過ぎた
ところでいとしの猫も出現! 激写。休憩ついでに猫観
察。たどりついたのは池尻大橋だったが、ここで忽然と
目黒川は消えていた。コンクリートの暗渠の上は、フェ
ンスで囲まれた空き地にペンペン草。しゃくにさわるの
で、しつこく、また水の見える場所まで辿ってみたい誘
惑に駆られるが、家を出てすでに三時間。さすがに疲れ
てバスで帰宅。

五月三十一日 M氏とその友人のS氏と半年ぶりの晩御
飯。M氏は昔小川プロにいた映画屋さんだが、横浜の名
彫師H氏に惚れこんで、十年前に弟子になってしまった
人。くると必ず、持ち歩いているスウェットパンツに着
替えをする癖がある。腿の刺青が以前より増えているの
で、野菜のテンプラを揚げながら「また彫ったの?」と
聞いてみると、最近、修行を始めた若者に、「キャンバ
スを提供した」のだそうだ。「痛いのなんの、とにかく
ヘタなんだよな」と彼は言うが、一方で自分の技も“ま
あ、似たようなものか”と屈託がない。S氏が言うには、
M氏に彫られると、かさぶたが厚くなかなか治らないの
で、途中で逃げ出す鳶職人が何人もいるそうだ。ワン・
ポイントで二万円。こんなに安いのにどうして客がこな
いんだろうと嘆いている。今日の宴はテンプラ、刺身、
スモークタン、冷凍してあったツクシの卵とじ。ツクシ
がきっかけになり、M氏は昔、山形県の上ノ山にいたと
きの犬鍋体験を話してくれる。うまいのを食わせてやる
と誘われたので行ってみたら、当の相手が急用で外出、
しかもでかけるときに「あんた、代わりに犬、シメとい
てよ。やり方教えるからさ」。仕方がないから桟敷の柱
に紐をくくりつけて、悪戦苦闘したという。少しもおい
しくなかったそうだ。前に遊びに来たときは横浜中華街
で買ったという豚のミミをみやげにもってきた。犬鍋に
興味を示すといきなり犬を持ってきそうな気がしたので、
横を向いたまま聞いていた。
 M氏、酒が回るとしきりに言う。「彫った皮、もった
いないよね。死んだら影も形もなくなるんだよ。なんと
かならないかね」。ついには、「俺、気にいってる部分
だけ、自分で皮剥ごうかな。皮ってさ、また生えてくる
んでしょう?」S氏、隣で呆れた顔をしている。私も絶
句。そういえば、明治の女賊「雷お新」の全身の刺青が、
なめし革になって大阪医科大学に保管されている話を読
んだばかりだ。このところ仕事の関係で、明治・大正の
人の自伝・評伝づけになっているが、綿谷雪氏の本に載
っていた。十時半お開き。今日のみやげはブランデーと、
キャサリン・ダン著「異形の愛」。装丁がすごい。M氏、
帰るとき、また律義に着替えをしていった。老眼鏡を忘
れていった。

六月三日 一日中事務所。夜、眠る前、タイモン・スク
リーチの「江戸の身体を開く」を読む。もう二週間、同
じ本を開いている。この本は、ニューヨークに住む学術
派ハナちゃんが興奮気味に教えてくれたもの。「文献を
使って、外国人が江戸を書いている。日本のもの書きは
いったい何をしているのかね」とハナちゃんは言った。
解体新書から処刑の生首まで、図版もすごいが、江戸の
「医」を通して肉体のミクロコスモスに踏み込んだ驚異
的身体論。ここに描かれている「江戸」は、たしかにハ
ナちゃんが怒るほど新しい。

六月四日 忽然と消えた川の行方が気にかかって仕方な
い。事務所の仕事の合間をぬってついに都の建設局河川
課に電話をする。それによると目黒川は、池尻大橋の先
で烏山川と北沢川に分かれ、目黒川そのものは消滅する
という。これだから川の行方はやっかいだ。変身、消滅、
吸収、いろんな顔を持っている。以前、木曾川について、
愛知県の水資源開発公団に電話をしたときも、木曾川は
途中で忽然と消え、別の名前に変わっていた。ちなみに
目黒川“改め”二つの川の先は下水道だが、今の河川法
だとどんなドブ川でも暗渠でも、川の名前は消せないの
だそうだ。川の形は失われているのに、名前だけは残る
不思議!
 ところで暗渠には入れないものか。漂白剤で脱色され
たワニやカメがうようよしている地底の川……。河川課
の職員に中に入る方法をしきりに尋ねてみるが、あっさ
りと却下された。暗渠の管轄は下水道局だそうだ。夜、
海水湯。いい気分になって仕事。

六月六日 二時。池袋サンシャインで文化座の「おりき」
最終公演。池袋の町はいつ行っても頭がくらくらするの
でビル群をみないようにして歩く。帰宅後、連句仲間の
K氏に戻す句の続き。先回、山口真理子氏宅で時間切れ
になった「胡蝶」第二二句目七・七。春の呼び出し。若
芽にするか、雛にするか、蛙にするか、歳時記を前に季
語が決まらない。間にコラム一本。夜、妹が食事にくる。
マグロ刺身、チンゲンサイとベーコンのクリームスープ、
レンコンのキンピラ、昆布の佃煮。妹は例によってミス
テリーを何冊か持っていく。深夜になっても句はできず。
焼酎のウーロン割りを舐めているうち、浮かんだ。「雛
を並べてひとり盃」。

六月七日 気温十六度の曇り空。品川図書館に本を返却。
「新聞集成明治編年史」に目を通し、阪急とイトーヨー
カドーへ買い物。麦ミソ。高菜漬。アジ開き。漂白剤。
ついでに天王洲の「写真屋さん45」に行き、現像を待
つ間、目黒川河口と埠頭まで行ってみる。埠頭から見た
お台場のフジTV本社ビルがいい色をしているのでそれ
を写そうとフェンスを越えたとたん、警備員に怒鳴られ
た。以前は自由に入れたのにと文句を言うと、数日前、
密入国者が十五人もこの埠頭で捕まったという。家の近
くでも、ときどき密入国者をめぐる騒ぎがある。四月も
街道に、すごい数のパトカーが来ていた。夜、K氏に句
をFAXしたあと仕事。

六月十一日 東京女子医大へ日本女医会についての取材。
曙橋の駅で、出口がわからなくなってしばらく迷う。地
下に入るといつもこれだ。河田町は山を崩してできた町
なのか、女子医大付属病院がはるか高みにそびえている。
取材の帰途、坂を老女がゆっくりと下りてくる。レトロ
の気品。坂と老女と……こういう風景は悪くないと、つ
いつられてレトロ感覚のとんかつ屋で遅昼を食べる気に
なった。定食一○○○円。一口カツに海老フライ、カニ
コロッケに豚のショウガ焼きまでついていた。その足で
事務所。夜、海水湯、仕事。

六月十二日 日本での美顔術第一号の遠藤ハツ女史の資
料を借りに自転車で高輪台へ。野良猫一匹歩道で昼寝。
激写。帰りにウィング高輪で、妹の誕生日のプレゼント
(インドネシアの黒い皿)を買う。スポーツセンターで
三十分エアロ・バイク。夜、N氏にカルタゴの遺跡の砂
とお菓子(銀紙にくるんだ本物の魚そっくりのチョコレ
ート)の礼状。このところ、コレクションの砂の整理が
できない。N氏にもカプセル入りの標本を作って上げる
と約束してあるのに、どんどんずれこんでいく。ウーロ
ン割り焼酎付きで仕事。

六月十四日 二日続けて雨。鎌倉へ「モボ・モガ展」を
見にいくつもりだったがパス。真理子さんから届いた新
藤凉子・吉原幸子・高橋順子の連詩「からすうりの花」、
巽孝之監修「身体の未来」をぱらぱら。夜、カレーうど
ん、ポテトサラダ、さつま揚げ、ウリの漬物。サッカー
のW杯アルゼンチン戦を見て、仕事。深夜、散歩。「桜
桃忌花盗人になりにいく」