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普通キノコ
六月二十三日 火曜日 雨

 雨、激しく降る。梅雨のようでない。台風なみ。風も
ある。庭を眺めていたらアマドコロの中にコンニャクが
混じっているのを見つけた。今年は庭のあちこちにコン
ニャクが生えた。そのうち庭じゅうコンニャクだらけに
なるかもしれない。
 母から電話。三月に英子叔母が亡くなったという。京
都の大金持ちに嫁いだ叔母とは、ここ二十年まったくつ
き合いはなかった。祖父の法事で会ったとき、叔母は
「小説なんか書いているというから、もっと面白い変わ
ったこと言うかと思ったけど、普通のことしか言わんね
え」と言った。

六月二十四日 水曜日 曇のち晴

 雨もよいの中、愛車アトレーデッキ(四駆ターボの軽
トラック)を「いたしき」へ走らせる。この車は平成二
年に買った。それ以来八年、この車に乗っている人を一
度も見たことがない。何年か前、九州でこの車を使った
強盗事件があり、私まで調べられた。アリバイもないし、
何か人物を保証できるもの、と言われても、答えようも
ない。小説を書いている、と言ったため、いよいよ疑わ
れた。言わなきゃよかった。
 鳳来町の「いたしき」で栗ぜんざいを食べてから板敷
川周辺の林の中を散策。ギンリョウソウを見つける。私
はこれを何年もナンバンギセルだと信じていた。小出さ
んがそう教えてくれたから。人にもそう言った。その人
はまた何年もそう思い、そのうちそうなってしまうかも
しれない。赤い小さな茸も発見。このごろ茸を見ると、
どうもこれは人間ではないかという気がしてならない。
まことに怪しい。警戒しながらしげしげと眺めた。茸は
平気な顔をしている。ばかにしているふしもある。

六月二十五日 木曜日 晴

 いつものように暇つぶしに百科事典を見ていたらニル
ガイというのがあった。これは貝ではない。牛科という
が、見たところ角の生えた馬である。見慣れない生き物
は気持ちが悪い。「インドにいる動物で草食。牛のよう
な短い角はオスだけ。性質はおとなしく、人によくなれ
る。しかしオスは年をとると気が荒くなり、危険」。思
わず笑ってしまった。人間だって同じだ。いばる、頑固、
文句ばかり言う、というのもつけ加えるといい。いつの
世か、人間科人間もこうやって百科事典に書かれること
になるかもしれない。

六月二十六日 金曜日 曇

 福岡から久保田裕子さん来訪。佐鳴湖にご案内する。
花も咲いておらず、鴨もいない。川鵜が一羽退屈そうに
浮いている。このところ市が以前ほど熱心に手入れしな
いらしく湖岸は草だらけ。葦もかなりの厚みで茂ってい
る。可愛らしい助教授はギシギシとハコベの区別がつか
ないとわかって嬉しくなる。ギシギシとハコベは全然似
ていない。助教授は「ハコベだと思ってずっと鳥にやっ
ていたけど、どうしよう」としきりに心配した。
 この湖は三十年前は通る道もなかった。このへんも沼
で、ただ葦ばかり茂る静かな湖であった、と説明する。
その頃の写真を私のホームページのタイトルのところに
載せるつもりだ、タイトルが「佐鳴」だから。白黒の写
真にきれいに色をつけ、葦が風でそよそよ揺れるように
する、と話したら感心してくれた。

六月二十七日 土曜日 曇

 午前中遠州豆本(同人三十二名)のワープロ打ち。豆
本は四百字約七十枚、短編集は二百枚以上、すべて私が
打つ。豆本のほうは日の余裕がないから、気に入らない
文は私が好き勝手にどんどん直してしまう。ひどいとき
は題と名前しか残らないこともある。午後は土曜会(碁
会)。欠席二名だから出席十三人分の食事を作る。魚嫌
いやパン嫌いもいるので今日は主食バイキング。鰺鮨、
手作り焼きたてフランスパン、白飯の中から選んでもら
う。おかずはしゃぶしゃぶ牛のサラダ、ピリ辛南瓜、ほ
うれん草と卵豆腐のスープ。

六月二十八日 日曜日 晴

 かっと日が照って暑い。関東方面は三日連続真夏日だ
とか。ブレ猫はぐったりし、コマ猫は涼しい場所でも見
つけたのか姿も見えない。ブレは、十五歳くらい。壊れ
かけたゼンマイのおもちゃのような低い声でギィーギィ
ーと鳴く。
 駅へ白馬の切符を買いに行く。去年も七月末に白馬へ
登ったが、台風が停滞して去らず、雨と霧でぐしょ濡れ
になって大雪渓の途中で退却した。今年はお天気がいい
ように。
 駅まで来たついでにデパートで晴雨兼用折畳傘を買う。
真っ黒で縁にレースがついている。ケンゾーだから、と
一万円。日傘みたいなもの有閑婦人みたいで好かん、さ
して歩くのもめんどくさいし帽子に限る、という主義だ
ったのに今年は日傘が誘惑的に見え、どうしても買いた
くなってしまった。しかも、なぜか黒傘。しかし、売り
場の女性が言ったようにさすと日陰が涼しくてなかなか
いい。これなら冬だっていいし、とみみっちい。日傘を
さして有閑ババアになる、というのも悪くないか。手始
めにうちへ帰って数時間エイジオブエムパイア(パソコ
ンゲーム)で遊ぶ。

六月二十九日 月曜日 曇

 大槻氏来浜。短編を渡し、紅雀へ行く。鰹の土佐作り
をさかなに飲む。私は文学上も有益であり、かつ必ず黒
字になる新雑誌について進言し、足利義政と室町時代の
文化と今川氏真の話をし、三千メートル級の高山へ登る
ときの心得を述べ、自分が作りたいと思っているパソコ
ンゲーム三種についてウンチクを傾け、私が毎年正月用
に創作するゲーム、「東名高速」(双六)「臓器交換」
(カードゲーム)「変形顔」(当てもの)などについて
説明した。大槻氏は鰹は苦手、歴史に興味はなく、登山
もゲームもやらない由。

六月三十日 火曜日 晴

 朝起きたらよい天気なので突然山へ行くことにする。
行く場所は前から奥三河の神野山と決まっている。例年
冬はスキーと登山でしっかり遊び狂っているが、夏は半
死半生でひたすら暑さを耐えているはずだったのに、こ
こ何年かは夏も登る。去年は白馬、一昨年は瑞牆山、そ
の前が南アルプスの尾高山。そういう高い山へ登るため
の準備体操として夏でも何回か低い山へ登ることになっ
たのである。御園熊野神社から登り、二十分で望月峠に
着く。ここには望月右近大夫義勝の祠がある。望月義勝
は武田の落ち武者で、この下の村で金品を奪われ、殺さ
れたのであった。そこから細い尾根に入る。背丈以上あ
る笹藪に顔を突かれ、両手を間断なく振り回して蜘蛛の
巣と虫を追い払いながら歩く。煤のような小さな黒い虫
は追っても追っても目を狙ってくる。ようやく909ピ
ーク。山頂付近には立ち枯れの大木があちこち倒れかか
り、その景色は何やら異界へ踏み込んだようなすさまじ
さだった。そこから驚くほど急な斜面を真っ逆様に一歩
一歩岩にすがってすべり降りる。あまりの暑さに顔が腫
れ上がり、目が開かなくなる。空気は固形化して厚く立
ちふさがり、息ができない。死にかけた金魚みたいにア
ハアハ口を開けて喘ぐ。なんで夏に山なんかへ登るのか


七月一日 水曜日 曇のち晴

 鼻のてっぺんの肉の厚いところの奥のほうに何かがで
きて日々育っていく気配。痛痒いがどうしようもない。
叩いたり撫でたり掻いたりしているうち、やや左側だと
いうことだけわかった。気になる。なにしろ暇だからい
じってばかりいる。この痛痒さ、覚えがある。カサブタ。
まあ、鼻全体もカサブタみたいなものだし。そうしてみ
ると耳もカサブタだ。頭は瘤か。自分自身だってカサブ
タか瘤か。いやいや、茸だ。歩く茸。笑う茸。騒がしい
茸。汗キノコ。にしても、紅色や水玉模様や、ひょろり
と高いのではなくて、ごくごく普通の茸だろう。むっく
り肉厚で冴えないブラウンの普通キノコ。
 汗がホタホタ落ちる。背中が煮えてくる。顔が茹って
くる。