サシバを逸した
十月十二日 伊良部島に来ている。かねて念願していた
サシバ見学のためである。
サシバは鷹の一種で、なんでも岐阜あたりの中部地方
で夏を過ごし、あるいは巣立って、越冬のために秋季寒
露の候に南方へ渡る、その通過地点として南西諸島に短
期滞在する。鹿児島県の佐多岬を朝飛び立って、夕刻に
徳之島に着き、次の朝さらに伊良部島に渡る。飛行速度
が時速四十キロで一日に四百キロ飛ぶとして、そういう
スケジュール、コースになるのだそうだ。体力しだいで
沖縄本島や宮古島、池間島などにも一部分が宿る。とき
には数万羽の真っ黒な集団が、夕暮れの空に川をなして
伊良部島を襲うようにして渡る――そんな風景を一度観
たいものと願ってやってきた。
ただ、天候により日程が特定しがたい。数日泊まりこ
む覚悟が要る。
伊良部高校の教頭をしている久貝先生が宮古野鳥の会
顧問という専門家で、彼に相談したほうがよいというの
で、電話で伺ったところ、十四日から三日間が勝負だろ
うということであった。で、十三日に入ることにしてい
たら、池間島の友人で宮古毎日新聞の記者をしている伊
良波弥君の情報で、一部分がすでに渡っているというの
にひかされて、今日の三時に島に入ったのである。
五時ごろ町役場の企画室を訪ねて仲間明典君に会って
いると、そこへ伊良波君も来て、終業後にビールを飲み
ながら、言葉や民俗の話題で盛り上がる。
気象台の予報では明日は晴れのち曇り。降るかもしれ
ない。小雨くらいなら、ちょうどサシバの渡りに良いの
だそうだ。
夜、伊良波君と飲みあるく。人口は七千人だが、スナ
ックが二十軒もあると聞いた。
十月十三日 あさ、晴れ。雲量三くらいか。
午後一時ごろ、久貝さんへ挨拶のため高校を訪問。サ
シバの資料をもらって、役場の屋上へ。ここがサシバ観
測には最適の場所だとのこと。趣味をもつ人が四人、六
時ごろまでねばる。昨日港から登ってくるときに、リュ
ックサックを背負った人たちを数多く見かけたのは、サ
シバを見に来たものと思ったが違ったのか。それとも、
ほかの場所をめざしていたのか。三十平方キロもある島
である。
三時ごろから南西の方向に鳥影がいくつか見えるが、
大挙飛来する様子はない。北から飛来するのだが、今日
は北風なので南へまわり風にむかって降りるのだ、とい
う。隣接した下地島のパイロット訓練飛行場を離着陸す
る飛行機が、鳥影の下を飛んでいる。五時ごろ久貝先生
が見える。その情報によれば、サシバは鹿児島で待機し
ているが、その空には高気圧が張っており、おまけに南
方に台風十号が発生しているので、飛び立ちかねている。
この分では飛来が怪しいとのこと。
十月十四日 あさ宮古気象台へ電話を入れて、台風情報
を仕入れた。明後日には宮古へ来るという。連絡船の会
社へ船便事情を問いあわせたら、今日の伊良部発最終便
(午後六時)から欠航とのこと。たった十分間の航行だ
が、船の用心とはそういうものだ。すると、サシバが来
るのは早くて十九日か二十日ごろになる。久貝先生も
「戻ったほうがよいですな」と言う。急遽、空振りのま
ま帰宅することにした。
平良に着くとその足で市役所企画室を訪ね、宮川耕次
君と会う。小説を書いている。しばらく前に、『海のま
ほろば』と題して八重干瀬伝説を描いた児童劇のビデオ
を送ってくれた。勤めが忙しくてなかなか書けない、と
ぼやいているが、今日は「柳田為正文庫」の受け入れ場
所を検分してきたとか。為正氏は柳田国男の息子さんで、
蔵書を平良市に寄贈されるという。その文庫の命名に苦
慮しているとのこと。たしかに二、三出ている案は一長
一短だ。帰宅してから宮川君へファックスを入れ、「海
上の道」という言葉を使っての新案を提示した上で、ブ
レイン・ストーミングを勧める。
十月十五日 台風が近づきつつあるが、宮古へ発つ前か
らはじめていた屋根や壁のリフォームの作業が一段落つ
いてほっとする。が、台風対策で別の仕事ができた。二、
三日前に幹夫(次男)の部屋の窓ガラスが空き巣侵入未
遂で割られている。幹夫は巣立って、部屋がいまは物置
になってしまっているので、補修もすぐには着手しなか
ったのだが、これで台風に見舞われては大変だ。嵌めな
おさなければならない。急いでガラス屋に頼んで間にあ
わせた。
ガラスは嵌めたが、職人さんが帰ってから気づいた。
パッキンのつなぎ目が五ミリほど空いていて、そこから
雨水がしみ込む惧れがある。そこでふたたび手当てを要
請。しかし、今日は来ない。台風が今日中には来ない、
と業者も見込んでいる。沖縄の人は熟練というべきか、
被害予防も万全だが余裕も計算がうまい。テレビで本土
の台風被害の報道を見るにつけても、対策が下手で歯が
ゆい。これまでにも幾度かエッセイで書いたが、すこし
も改善されないのは、私の影響力がないということより、
生活慣習という文化の根強さを思う。
米須興文君の新著『文学作品の誕生』(沖縄タイムス
社刊)の出版祝賀会があるのだが、疲れているので老年
に義理をたてて失礼することにした。
宮川君からファックス。ブレイン・ストーミングで
「柳田国男『海上の道』誕生の地」となった由。
十月十六日 中村雄二郎『臨床の知とは何か』(岩波新
書)を読了。いささか格別な知的興奮を覚えた。般若心
経の現代哲学への演繹がなされているように見えたから
だ。
本のなかでひとつ知識を得た。ギリシャ語でmathemata
とは「認識」という意味だとか。「数学」を意味する英
語に近い。たぶん語源だろう。そこから連想で疑問をも
ったのが「幾何」という言葉で、これは、字面では「い
くら?」という意味なのに、なぜ日本語でも中国語でも
図形の学問にこの語を用いて、「認識=数学」と紛らわ
しい語になったのか。「幾何」の英語(geometry)が
「測量」と関わることは、あとで米須君に教わったが、
こういう言葉の交通混乱を考察するのは楽しい。
米須君と電話で話す。ついでのように、出版祝賀会に
出られなかった詫びを入れたら、本について目次を見た
だけでの印象はどうかと訊いてくる。頂いたまま、当分
読む暇がないと、かねて断ってあったのである。そこで、
「目次を見ただけで言うと、書かれていることは、文学
の基礎的なことで一見目新しいところはない。しかし、
日本の近代文学が見過ごしてきたことばかりだという気
がする。日本は西洋の時流を取り入れるのに急で、基礎
をやり過ごした面があると思う。それを引き戻したもの
と見ることができる。その意味ではコロンブスの卵のよ
うなものではないか」
と答えたら、本人もそのつもりだという答えが返って
きた。
いくつかの文学論を纏めたもので、私は通読をしてい
ないが、なかにはナマ原稿で読ませてもらったものがあ
る。とくに翻訳論は、古今東西の具体例をあげながら、
異文化間の格闘ともいえる翻訳の限界と可能性を教えて
面白かった。
日が暮れそうになってからガラス屋さんが来て、パッ
キンの不足をちゃんとパテで埋めてくれた。台風は逸れ
るようだが。
十月二十二日 東京。国立組踊劇場(仮称)準備調査会
の第一回会議が霞が関ビルであって、参加した。会長が
川口幹夫氏で、委員に演劇関係の研究者、作家や建築家
をそろえている。
琉球古典芸能である組踊は江戸芸能、上方芸能ととも
に日本の三つの基本芸能として国の重要無形文化財に指
定されているが、専用劇場がないので、数年来国立劇場
の設立を運動してきた。従来は県立郷土劇場その他のプ
ロセニァム・ステージで上演されてきたが、あらためて
文化財上演にふさわしいオープン・ステージを造ろう、
という運動だ。
設計事務所も決定し、今年度に基本設計がはじまって
いる。文化庁側の説明で平成十五年にはオープンの予定
だという。ところで、ハードが滑りだしているのはよい
が、開館の前にソフトをスタートさせたい、というのが
私の願いで、そのためには劇場名の「(仮称)」をはや
く省いて確定してほしい、と意見を言っておいた。
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