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ヴァーチャル・ランド
 十一月二十一日
 午前三時頃、横浜でタクシーに乗ったら、ガツン! 
後ろから、乗用車にぶつけられてしまった。警察や救急
車が来て、ちょっとした騒ぎ。夜明け前のひっそりとし
た救急病院で検査を受けた。骨、神経に異常なし。頸部
捻挫。全治二週間との診断。
 帰宅する頃には、もうすっかり朝になっていた。少し
だけ眠って、さっそくEメールで友人たちに事故のこと
を知らせたところ、「縁起いいね」「ものすごくいいこ
とがある前触れじゃない?」「来年はいい年になりそう」
……等々の返事をもらった。皆、何て楽天的なの!

 十一月二十五日
 横浜中央病院で、再び診察を受け、その後、調書作成
のため警察へ。首が痛くて気分がぱっとしないから、映
画を観にいってきた。横須賀で『トゥルーマン・ショ
ー』。巷での評判は悪くないようだけれど、そんなにい
い作品かな? まあ、少なくとも、気分転換にはなった
から、よしとするべき?
 帰宅してEメールをチェックしたら、伊藤桂司氏から
メッセージが入っていた。一緒に行く約束をしていたハ
ーモニー・コリンの写真展に、仕事の都合で行けなくな
ってしまったとのこと。ちぇ。つまんない。ハーモニー・
コリンの初監督作品『ガンモ』は、映像が斬新で面白か
ったから写真展も楽しみにしていたのに。もちろん、本
当に興味があるなら、ひとりでも出かけてゆくべきなの
だろうけれど、タカイシイ・ギャラリーがある大塚は、
あまりに遠い。根性なしの私のことだから、きっと行か
ないだろうな。夜になったら、伊藤さんから本日二本目
のメールが入っていて、「怒ってるでしょ? なんとな
く、そんな気がする」だって。気弱な物言いがキュート
で可笑しい。インターネットはデジタルで味気ないメデ
ィアだという印象を持っている人も少なくないようだけ
れど、こういうメッセージを読むと、手紙や電話よりよ
ほどアナログでストレートだよなあ、と思ってしまう。

 十一月二十六日
 担当編集者のひとりに誘われて、青山のfaiへ。午
後十時から、ウィリアム・クライン監督の『ミスター・
フリーダム』のリバイバル公開記念パーティーが開かれ
るとのこと。
 私はクラインの映画の大ファン。アメリカで暮らして
いた頃、コーネル大学のキャンパス内にあるシアターで
彼の作品を四、五本立て続けに観る機会に恵まれ、すっ
かり魅了されてしまったのだ。ポップでヒップな映像、
大胆なストーリー展開、手厳しい批評性……。彼の映画
は一度観たら、忘れられない。何度も繰り返し観たくな
る。だから、あの幻の名作をニッポンで再び観ることが
できるなんて、とても嬉しい。一九六八年~六九年にフ
ランスで制作された『ミスター・フリーダム』は、スー
パーマンやターザン、ジョン・ウェインなどに代表され
るアメリカン・ヒーロー、自由のために闘う正義の男を
痛烈に揶揄していて、小気味いい。「アメリカ人はアメ
リカ以外の世界に対して傲慢であり、横柄な態度を取っ
ている」と語るクラインがアメリカ政治そのものをテー
マにして撮った作品である。となれば、本作がアメリカ
で正式に劇場公開されなかったというのも当然。でも、
フランスで「人物が現実的でない」「登場人物に心理的
実存がまったく見られない」などの批判を受けた、とい
うのは驚き。映画や小説において〈リアリティ〉とやら
に、やたらとこだわりたがるニンゲンに限って、実は、
リアリティの何たるかがまったくわかってやしないんじ
ゃないかな? という気がしてならない。
 パーティーたけなわ。真夜中近くになって、グルーヴ
ィジョンズが現れた。片隅のテーブルで一緒に落書きを
したり、ツルを折ったりして遊んだ。結局、編集者と私
がクラブを後にしたのは、二時半過ぎ。

 十一月二十七日
 一時から松竹会館にて、黒沢清監督の『ニンゲン合格』
の試写会。彼独特の微妙にずれたユーモアのセンスに笑
えるか否かが、この作品に対する評価を決めるポイント
となるのではないかしらん? エンディングにおける主
人公の唐突で奇妙な死に方が、私は好きだったな。それ
から、喪服姿の参列者が居並ぶシーンは、懐かしの『ド
レミファ娘の血は騒ぐ』を彷彿させる。うわあ黒沢清!
 ってな感じ。
 上映後、本作のプロデューサー、大映の藤田くんとお
喋り。彼は、昨年、市川崑監督の『黒い十人の女』を渋
谷でリバイバル上映して、若い観客を動員するのに成功
した敏腕。その折に映画館へ行きそびれたことを悔しが
る私のために、今日は『黒い十人~』のヴィデオを用意
してくれていた。何て、いいやつなの! 本当は、ヴィ
デオで映画を観るのはあまり好きではないのだけれど、
この作品ばかりは何が何でも観なくちゃね。

 十一月三十日
 イラストレーターのトゴー・シノキチからのEメール
に、こんなことが書いてあった。「ヒトを裏切るのはイ
ヤだ! とか、これが私なのだ! ってことにばかりこ
だわっていると、ろくなことにはならない。いつでも自
分の中の声をちゃんと聞いて、ストレートに、単純にや
れば、きっと自分も周りもうまくいく。ほんとうに大事
なことは、たぶん、すごく簡単なこと」
 その後で、何かSPEEDの歌詞みたいだね、と茶化
してあったけれど、しみるメッセージだと思った。手帳
にメモしておきたいくらい。

 十二月一日
 今日は〈映画の日〉だから、チケット千円。やっほい
! いつもこうだったらいいのにな。普段の千八百円っ
ていうのは高すぎるよ。
 大森で『すべての道はローマへ』を観た。特にジェラ
ール・フィリップのファンというわけではないのだけれ
ど、どこかで彼の特集があるたび通いつめ、今ではもう、
全作品を観なければ……、と、ほとんど意地になってい
る愚かな私。本作では『肉体の悪魔』における名コンビ
が、がらりと雰囲気を変え、コメディを演じていて楽し
めた。ミシュリーヌ・プレールがジェラール・フィリッ
プに向かって、「あなたってゲーリー・クーパーに似て
いる」と言うシーンが可笑しい。

 十二月二日
 渋谷で『ニルヴァーナ』を観た。人生は、実は、目に
見えない第三者によってあらかじめプログラミングされ
ていて、生身の日常感覚などありえない、意識しようが
しまいが、すべてがヴァーチャルなのだ、というメッセ
ージ性においては『トゥルーマン・ショー』と相通じる
ものがあったけれど、こっちの方が私の好みには合って
いたみたい。降りしきる雪のイメージがとても優しく、
美しかった。
 麹町でFMラジオの収録。
 横須賀で『ドライ・クリーニング』を観た。

 十二月四日
 トゴー・シノキチと一緒に、渋谷で『ぼくのバラ色の
人生』を観た。

 十二月七日
 試写会のハシゴ。銀座で『ムービー・デイズ』を、京
橋で『りんご』を観た。

 十二月九日
 マクギル大学に単身赴任している夫が、冬季休暇のた
めカナダから帰国。あれ? 彼はアメリカ人だから、帰
国とは言わないか。成田空港まで迎えに行った。Eメー
ルで毎日メッセージを交換しているとはいえ、会うのは
数ヶ月ぶり。ここのところ、彼の存在は、私にとって、
ヴァーチャル・リアリティの中の〈愛のシンボル〉とで
も言おうか――実体のないものとしてしか感知できなく
なっていたのだけれど、実際に目のあたりにして、から
だに触れちゃったりもすると、あらら? 何だか温かく
て、彼って実在の人物なんだな、と感慨無量。
 夫と神保町に寄り道。情況出版の忘年会。ミスター&
ミズ・レフトウイングたち(?)と一緒におでんを食べ、
お酒を飲んだ。私はキャピキャピキャピタリストのつも
りなんだけど、『情況』の編集長は大好き。それに、こ
の日はじめてお会いした奥さまが美人でびっくり。冬の
夜、皆でつつくおでんは、イデオロギーを超えて美味し
かった!
 深夜、夫と家路をたどる。流れ星を探して空を見上げ
たけれど、全然、ダメ。曇っているのかな? それとも、
私の目が悪いのか。流れ星どころか、ただの星もあまり
見えない。ちぇ。ロマンチックが足りないよ。仕方がな
いから、「あ! 今、UFOを見たよ。白っぽい光の塊
がひゅうぅぅぅぅっと空を横切った」と騒いでみたら、
夫が「流れ星か何かじゃないの?」と馬鹿にしたように
呟いたので、「そうだよね、きっと」と頷いて、ちゃっ
かり願い事までしちゃった。神さま、いつの日か、私に
映画を作らせてください。
 はてさて、夢はかなうかな? 十年後がとても楽しみ。