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裏側の風景
 三月三日
 繁華街に出る。繁華街に出るのは好きなのだが、人ご
みは嫌いなのである。しぜんに、裏へ裏へとまわること
になる。
 大通りから、横道へ。横道から、脇の路地へ。どんづ
まりと見える路地から、その奥にさらに続く裏道へ。
 裏道には、茶色い猫がねそべっている。キャバレーの
錆びた看板が放置してある。草がぼうぼう生えている。
そのうちにいよいよ道が途切れる。壁にかこまれて、不
安な気持ちになる。こういう、こころぼそい気持ちにな
りたくて、裏にまわるのである。ふだん、町の表を歩い
ているときには、決してならない気持ち。
 しばらく不安なまま過ごす。壁と壁のわずかな隙間か
ら、町が見える。人のあしおとが聞こえる。揚げ物の匂
いがする。

 三月四日
 うらうらと晴れた日で、いろんなものが干してある。
 梅の枝にものすごく立派で写実的な東天紅(鶏の一種)
がとまっている柄の毛布が、近所のアパートのベランダ
に干してあって、見とれる。
 一回入ったことのある居酒屋の前を通ったら、きれい
に洗った蟹の甲羅が、日当たりのいい垣根にひっかけて
あった。いったい何に使うんだろうか。

 三月八日
 駅前の市場で買いもの。闇市の名残の市場である。
 このごろはスーパーマーケットというものがあるが、
子供のころは、「八百屋」「肉屋」「魚屋」「菓子屋」
と、各々の店は分かれていた。おつかいに行かされるの
は、恐怖だった。「豚コマ三百グラム」「葱とキャベツ
とにんじん」等々と、店のひとに言わなければならない
からだ。こみあう客の間にわけ入り、時機を窺ってささ
っと店のひとに話しかけることが、どうしてもできない。
「ぶ、ぶ、ぶた」とうつむいてつぶやくうちに、見知ら
ぬおばさんが大声で「鶏モツね」などと横あいから注文
してしまう。
 市場の店はこみあっていて、子供のころを思いださせ
る。八百屋で葱とほうれんそうを選んで店のひとに渡し
たら、「手に取らないでよねっ。手に取ったからお客さ
んあとまわしよ」と怒られる。よく見ると、壁に『お買
い上げは店の者にお申しつけください野菜にさわらない
でください』と、くろぐろ墨書して貼ってあった。
 魚屋の前でじっと切り身を見ていたら、「おいしいよ
っ」とおじさんが言うので、さらにじっと眺める。買わ
ずに立ち去ろうとすると、「ばっきゃろ」と背中に向か
って言われた。
 こわい市場である。あんまりこわいので、一週間に一
度は、つい来てしまう。

 三月十日
 影の濃い日。
 雲がやたらに早く流れてゆく。
 何本かの電信柱の写真を撮る。どの電信柱の根元から
も、くっきりとした影が生え出ている。

 三月十四日
 古い町なみを、二時間ほど、散歩。
 みちすじにある大学の構内を歩く。
 池のみずぎわに、蛙のたまごが産みつけられている。
三十センチほどの長さのゼラチン質の紐が、何本もから
まりあって、水の中にたゆとうている。最初は数本しか
見えなかったが、目が慣れてくると、無数に紐があるこ
とがわかる。全部おたまじゃくしになり、おおかたは死
ぬわけである。どのゼラチン質にも、よく日が差してい
る。
『あなたはポイステ
  サイテー人(じん)
     小学六年K子』
 という貼り紙をみつけたので、写真に撮る。布製のガ
ムテープで、きっちりとはりつけてある。尻の穴がむず
むずしてくる感じ。

 三月十五日
 友人と酒を飲む。
 雨風の強い日で、そのなか、めあての店をさがしてう
ろうろする。
 飲みはじめのころには、「十時過ぎると時間がやたら
早くたつようになるから用心しましょうね」と言いあっ
ていたのだが、知らぬ間に十二時を過ぎていた。店を出
てあてもなく歩く。
「ここ、どこかな」と言いながら、小降りになった雨の
中を二人でゆく。みちすじのどの店もすでに閉店してい
る。そのうちに住宅街に迷いこむ。タクシーも通らない。
マンションの植え込みの白木蓮が、雨に打たれて花びら
を散らせている。街灯に照らされて、踏みにじられた花
びらが、にぶく光る。
 いつまでたっても、駅につかない。住宅街の、奥へ奥
へと入りこんでゆく。

 三月十八日
 友人と電話。
「集中するたちなのよね、あたし」と友人は話した。電
話のむこうで、コーヒーかなにかすすっているのだろう
か、「ずっ」という音がときどきはさまる。
「前にね、玉葱の味噌汁に凝ったことがあって」
「はあ」
「ほの甘いでしょ、あれがよくって」
「ああ」
「二十四日間、毎日朝も晩も玉葱の」
「たまねぎの?」
「味噌汁飲みつづけた」
「外食しなかったの」
「ほとんどしなかった。しても、味噌汁だけは飲んだ。
飲まずにはいられなかった」
「で」
「二十五日めに突然飽きて、以来六年以上たつけど、一
度も」
「いちども」
「玉葱の味噌汁つくってないんだ」
 だから、そういうものなのよ、と友人はしめくくった。
恋愛の話をしていたのである。
 そういうものなのか?

 三月二十日
 神社を散歩。
 雨に、絵馬が濡れている。
 ぼうっと、絵馬を読む。
 梅はおおかた散ってしまっている。
「水谷八重子がほめた店」と張り紙のある露店で、あま
酒を一杯飲んでから、帰る。

 三月二十二日
 繁華街に出る。
 昭和四十年代ふうの喫茶店というものが好きで、見か
けると入るようにしている。何をもって昭和四十年代ふ
うと決めるのかと聞かれると、うまく答えられないのだ
が、「熱帯魚の水槽」「レモンスカッシュ」「合成皮革
張りの椅子」といったものが手がかりになるかもしれな
い。
 このごろはなかなか昭和四十年代ふうにはめぐりあわ
ない。十五年ほど前まであった渋谷の「カスミ」という
喫茶店が、いちばん好きだった昭和四十年代ふうなのだ
が。
 カスミは、道玄坂を少しのぼって右に入ったところに
あった。土曜日の、午後に、行くのが習いだった。コー
ヒーを頼むと、錫の盆に白厚地の陶器のカップをのせて、
店のひとが運んでくる。店のひとは毛糸のくつしたをは
いていた。店内はいつも暗く、隅の席には文庫本を読む
青年が陣どっていた。
 ある日突然店はたたまれて、跡地はスパゲティー屋に
なった。通りかかるたびに、「カスミ」と縦に書かれた
赤い看板をさがす癖が、しばらく抜けなかった。
 店がなくなってから一年ほどたったころ、世田谷を歩
いていたら、突然見知ったものが視界にとびこんできた。
カスミの看板だった。みちばたに、すとんと置かれてあ
る。みまわしても店はない。ただ、置かれてある。
 なつかしくて、しばらく撫でた。後で聞くと、店を経
営していたひとが、そのあたりに住んでいるらしいのだ
った。看板を、捨てかねたのだろうか。何回か、その後
も看板を撫でに行った。
 繁華街に、昭和四十年代ふうがないので、しかたない、
ふたたび裏へとまわることになる。裏には、裏の空気が
ある。暗く、しめった、こころぼそい空気がある。