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天地無用
 4月1日(木)
 ある書き下ろし小説執筆のため、お茶の水・山の上ホ
テル別館、カンヅメ初日。というのをすっかり失念して
いて、慌てて自宅からフロントにTELした。予約係の
女性の笑いを含んだ声に、エイプリル・フールだと得心
し、「マジだって、マジだって」と連発。夕方過ぎ、昔
からの知り合いで「秋田の狂い犬」と称される歌手・友
川かずき氏の新作アルバム「空のさかな」のライナーノ
ーツ執筆。泥酔者が起立したような声で叫び歌う「私は
そもそも品行方正ではありませんッ!」のフレーズに思
わず唸った。大好きだ、友川さん。週刊誌「アサヒ芸能」
の「日本一短い一○○字ポルノ」の選評をやってから、
メルロ・ポンティをパラパラ。郷里・新潟で行ったトー
クショーのテープ起こしゲラをめくるも、酒が呑みたく
なり中断。呼吸するのも難儀なほど疲労しているという
のに、アルコールが入ると俄然元気になり朝の四時まで
独り酒する。

 4月2日(金)
 山の上ホテル別館。パワーブックをセットし、シャワ
ーを浴びて、さて執筆と思うが、小説と同様にかけがえ
なき畏友、というか大先輩のパーティ。作家・佐藤洋二
郎さんの芸術選奨新人賞受賞を祝う会が神楽坂・出版ク
ラブにて行われ出席。参会者の錚々たる顔ぶれに、隅の
方でビールばかり呑む。遥か一五年も前の話、ある研究
会で評論家や学者や若手作家達がニューアカ語で喋りま
くっているのを聞いて、「何いってんだ、こいつら」と
目をそらしたら、洋二郎さんの眼差しと交差。「みんな、
頭、いいよなあ」と朴訥といって苦笑する顔に、男の純
朴さと肚の座りがあって、それ以来の付き合い。「周、
金、貸せよ」「こっちが借りたいっすよ」と、いつもの
ように別れ、あッ、お祝いの言葉をいうのを忘れてしま
った。カンヅメ明けたら、洋二郎さんの受賞作『岬の蛍』
をもう一度読み直そうと思う。山の上ホテルに一旦戻り、
少しくイメージを練る。日常、日常、日常、ど日常。テ
ンション、テンション、テンション、どテンション。天
地無用。ママで書け。

 4月3日(土)
 午前一時。ということは、昨日の延長か。山の上ホテ
ルのワインカーブで、何故か俺は、これまた畏友中の畏
友である詩人・城戸朱理、文芸評論家・石川忠司、「す
ばる」編集部・水野好太郎、初めてお会いした仏文学者・
堀江敏幸氏とチリワインを呑んでいた。話は怪獣と格闘
技に終始したが、仏文学者・陣野俊史の『フットボール・
エクスプロージョン!』の上梓を祝う会の延長でもある。
すなわち、昨日の洋二郎さんの会の後、合流。カンヅメ
の最中にとも思うが、俺が友人の方を取ってしまうのは
仕方のないことだ。そうでなければ、小説など書けない。
この分は、必ず作品で返します。だから、今回の友人を
祝うことに関しては許してください。酒を珍しく控え目
にやり、部屋に戻って仮眠。書き下ろし作品の、主人公
を取り巻く空気の緊張感を引きずったまま寝たせいか、
熟睡できず。上等。風呂に入ってから、マックを叩き始
める。感覚や知覚の襞に逃げ隠れるイメージの尻尾を、
息を詰めて待ち、掴む。いつも後で気づくが、この襞を
分け入っている時、呼吸数が異常に少なくて、一分間に
二回くらいしかしていないのだ。俺の不整脈はそのせい
かも知れない。途中、吉野家の牛丼を食いに外に出る。

 4月4日(日)
 書く。

 4月5日(月)
 書く。午後二時半、ホテル本館のバー・ノンノンにて、
月刊「太陽」の撮影。ロイヤルハウスホールドをチビリ
やって、危うく酔いの底に縄梯子を下ろしそうになるが
我慢。部屋に戻って、書く。

 4月6日(火)
 予定の枚数で、チェックアウト。導入部はこれで確定。
担当編集者Kさんと進行の打ち合わせをする。三月、い
や、二月、いや、一月、昨年と、ずっと書き詰めで蓄積
疲労が飽和状態。零れそうな疲れの表面張力を何とか気
化させてきたが、限界か。と思ったところに、携帯電話
に「群像」編集部・寺西氏からTEL。短期集中連載
「礫」完結、お疲れ様との由。ついては、呑みたし、と
いったのは、俺で、自分の体を何だと思っているのかと
自分に怒る。音羽のレストランでビールをやり、それか
ら恵比寿にてワインをやり、さらに日本酒をやり、焼酎
をやり……そのうち他の編集者の方々も合流し、いつの
まにかボブ・マーレー「ノー・ウーマン、ノー・クライ」
を歌っていた。寺西氏、酔っ払って俺のスーツに日本酒
を大量に零す。

 4月7日(水)
 郷里の地方紙「新潟日報」に連載エッセイ。「中日新
聞」でやった作家、重松清氏との対談ゲラチェック。因
みにテーマは、「家庭学習」。重松氏と俺は互いの目を
見て、「なんで俺達なんだろう、いいんだろうか」と無
言の会話を交わしつつ、「子供に必要なのは……」と営
業的に口は動かした。夕方過ぎ、大船で散髪。カリアゲ。
眼鏡をかけた出川哲朗となる。路上にて、風俗店のキャ
ッチの兄ちゃんと仲良く世間話。じつは、あることで、
その一帯を仕切るヤクザ屋さんと大喧嘩、「この街を歩
けないようにしてやる」と宣告を受けていたのだが、ヤ
クザの一流誌とそのスジでは呼ばれる「アサヒ芸能」に
頁を持っていることが知れてから、「アサ芸の先生」と
呼ばれ、認知されるようになった。「アサ芸」様、有難
う! 帰宅してから、早速、その仕事をやる。深夜、故
郷の酒「鶴の友」をやりながら、読者の方に送って頂い
た昭和初期の俳人・大原テルカズの句集コピーをめくる。
ずっと探していた句集。凄過ぎ。「積木の狂院指訪れる
腕の坂」「眼底階段一本の毛が傘をさし」……もう何も
要らない。略歴には「一頭の大衆たるのみ」とある。畏
るべし。

 4月8日(木)
「太陽」の原稿、「神奈川新聞」エッセイ、「鳩よ!」
連載小説「黒曜堂」、「星星峡」連作短編、朝日新聞連
載小説「オレンジ・アンド・タール」の続編……やらね
ばならぬことがあるのに、どうしてもマックの始動の▽
印を押す気になれず。詩人・城戸朱理からTELあり、
彼はこれから五本の締切りだという。「じゃあ、呑むか」
と冗談でいったら、「呑もう」ときた。北鎌倉から平塚
までいき、合流。飲酒時間一時間の予定が、一○時間と
なり、翌日の四時まで。何の話をしたかもまったく覚え
てないが、文学の話でないことは確かだ。不惑になった
今、どんな服を着たら良かろう、という話だったか。あ
れから、彼はきっちり仕事をこなした、らしい。脱帽。

 4月9日(金)
 二日酔い。城戸さんのお土産・大山の梅干しが有り難
い。クエン酸回路促進。

 4月10日(土)
 三歳になる豚児の入園式。タケオ・キクチのスーツと
ピカピカの靴が可愛い。だが、やはり、「いきたくない。
幼稚園なんて絶対いかない」とグズり始めた。のは、じ
つは俺だ。入園式一○分前になっても、不機嫌の塊とな
り、憮然と家でジャージー姿のまま煙草を吸う。ようや
く重い腰を上げて出かけた入園式、その途中から独り猛
烈と泣き始めた息子を見て、胸中、「いいぞ、泣け、泣
け、泣けッ!」と叫ぶ。パパはおまえを学校教育に従順
になるようなワルイ子に育てた覚えはないぞ。おかげで、
早速、不登園児となる。さて困った。「この時代だ。私
だったら、思い切り甘やかしてやるよ」(映画「セブン」
にてのモーガン・フリーマン)。